言語化されていない言葉を読む
最近ずっとnoteとかTwitterとかを自分でも運用しつつ、もちろんたまに他の方の言葉も読ませてもらっています。なかなか落ち着いて読む時間がないのでたくさんのものを読むことはできていないんですが。
本当に皆さん素晴らしい活動をされていたり、事業を行われていたりしていていつも「すげぇな」と思いながら読ませてもらっています。
特にnoteなんかは読み応えのある活動のプロセスや思考のプロセスを綴られているので、とても勉強になります。
Twitterでも端的にその方の想いを垣間見せてもらえるので、いろんな気づきをもらえたりしています。
そんな時にいつもふと考えてしまう話です。
言語化された思考や取り組みや活動のプロセスを読ませてもらっていると、とても体系化されたり整理されていたりして分かりやすいんですね。
当然、その思考は行動に変換されているし、取り組みや活動は具現化されていて僕らは出来上がったそれを目にしています。
つまり、「現実化できる」ということを知った上でそれをインプットするわけです。
(もちろん具現化されていない失敗談をシェアするために書かれている方もいますが)
そうしていると、その思考や活動のロジックは「現実化できる」ことを前提に読み込んでいくので、何となく「理解できた」感を得るんです。
つまり姿が見えているから理解もしやすいし共感もしやすいんです。
ただ、それを実際に真似してやろうとしたって簡単にはできません、多分。
同じような思考を持ちながら物事に取り組もうとしてもなかなか上手くいきません。
それってなぜなのか。
行間を読む、みたいな話なんだと思うんですが、物事のほとんどは、やり方さえ分かってロジックさえ手に入れれば何でも誰でも再現できる、なんてものじゃないんです。
思考のプロセスや数多のインプットを繋ぎ合わせていく過程、課題問題の何を見てどこを切り口にしようとするのか。何かのきっかけがあったとしてそれに気づいてキャッチすることがそもそも何でできたのか。
言語化されきっていない行間に、多分いろんな血と汗が染み込んでいて、そこにこそ実は大事なものが潜んでいたりすることが少なくないんじゃないかと思うんです。
素晴らしいプロジェクトを生み出した方がいるとします。
きっかけは1人の子どもさんとの会話だったりする、みたいなエピソードだったり、地域住民からの相談だったり、1本のDMだったりメールだったりと綴られているとします。
それ自体はたまたまの偶然のように見えたりします。
神様の啓示みたいな奇跡のように映ったりします。
でも多分それは何の偶然でもなく、いや起きたこと自体は偶然かもしれませんが、それを受け止めて何か思考したり行動を起こす準備が出来ていたからカタチになっただけです。
もっと言えば、ほんの小さなきっかけに気づくだけのアンテナを日頃から張っていたからこそフックがかかっただけで、大半の人は気づけないかもしれないような事だったりします。
こういう事って、どこまでもその人が積んできた経験や体感値のもので、そこに至るまでのプロセスって全て言語化は出来なかったりします。
あくまで書かれているものや、あるいは人の話って、きれいにまとめられていたりロジカルに整えられた状態でアウトプットされていることが多かったり、「偶然だよ」「運良く」みたいな表出をされることも少なくないと思うんですが、その背景には、たとえ頭では理解出来たとしても、そうそう簡単に本当の理解には至れないほどの経験や体験、行動や葛藤が隠れています。
結局真に理解をしようと思ったら、自分で身体を通じてやらないと分からなかったり、そもそも自分の価値観を完全にひっくり返しでもしなきゃ出来ない理解の領域みたいなものはあって、そこに踏み込まなきゃ分からないことだらけだったりするんだと思うんです。
時に本や文章をチョチョッと読んで理解した気になることや、人から話を聞いて分かったような気持ちになりそうになる自分がいたりするんですが、読むとやるとじゃ大体大違いです。
いかに自分の理解が甘いかと、その思考やロジック、活動を実際に行うのが難しいものかというのは自分の身体を通す、つまり実践してみるとよく身につまされます。
なので、人の言葉を見聞きする時には、この言葉の行間にどんな苦悩があったのか、どんな経験や体験からここにたどり着いたのか、みたいなものも想像しながら読んだり聴いたりする方が自分にとっても学びになるし、安易に額面通りの言葉で理解した気になって頭でっかちにもならないように、聴き方や読み込み方、理解の深め方ってとても大事だな、と思うわけです。
ロジックや思考は全てが言語化して説明されているわけじゃない、その行間を読む想像力や言葉になっていないものをキャッチできる力を自分自身養っておかないといけないし、おそらくそれは自分が積んでいる経験や成熟した思考を持っているか、という事にもつながるような気がするので、全然関係のないような話題だったりしても何だかいつも自分の成長を試されているような気持ちで学ばせてもらっています。
人の文章、人の言葉、人の話には言葉にならない行間が存在すると思うよ、という何ら取り止めもない話です。
▼margin WEBサイトはこちら
(※月額制コミュニティです。Facebookの非公開グループで運営しています。サイト内リンクよりBASEにアクセスして、会費決済後、商品説明のリンクから、もしくはFacebookで「ふくし会社margin」を検索して、Facebookグループにアクセスして参加申請して下さい。)