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福祉の仕事してたら無条件に「善い人」なわけじゃない

最近本を読む時間がなかなかとれなくて、でもあまり睡眠を削るとひどくパフォーマンスが落ちるので、書き物の時間を削るか仕事の時間を削るかを本気で悩んでいます。
怒られたくないので書き物の時間を減らし気味にしてます。

 

 

元々福祉の世界に入った最初のキャリアは介護だったんです。介護の仕事を約10年、そこから障がい福祉に移って丸7年くらいでしょうか。


昔から思ってるんですが、一定数いませんか?「してあげてる」っていうスタンスの支援者。何なら「してあげてる」って言っちゃう人。

 

 

きれいごと言うつもりはないんで、「させて頂いてる」だろ!とは思ってませんが、「してあげてる」を対人援助職やってて思うメンタリティは、僕はあんまり理解できません。

 

 

それでもその人にはその人の理由や事情、というのがあるはずなので、一概に否定するのではなく、精一杯「してあげてる」のメンタリティになる理由をできるだけ自分なりに置き換えて想像してみます。

 

 

奉仕や自己犠牲感が強い。

仕事ではありながらも、割に合わない事を半分飲み込んでて、ボランティアの延長の「つもり」でやってる。自分としては無償でしてるくらいの気持ち?

 

ストレスになってる。

支援を懸命にしてるのに自分が思い描くように相手が振る舞ってくれない→10の力かけても3くらいしか返ってこない、の繰り返しに苛立ったり、不満感を感じ始めている。
最初の頃は良かったんだけど、あまりにも思う通りにならないところから下手をしたら「あなたが言うことを聞かないから」というところまで心の余裕がなくなっている?

 

そもそも自分は善い事をしている前提。

人を助けたり支えたり救ったり。対人援助業をしてるんだから全面的に自分は善いことをしてるに決まってる。だって困ってる人に手を差し伸べているんだもの。

 

そもそも「しょうがなく」この仕事を選んでる。

別にこんな仕事したくてしてるんじゃない。安い給料でこき使われて、それでもちゃんと仕事してる。もっと評価されたっていいくらい。

 

実はこころの中で見下してる。

もう歳だから、認知症だから、障がいがあるから、貧しいから、、、。
自分は健常だしまだ若いし、しっかりしてる。自分は「助ける」側、相手は「助けてもらう」側、っていうポジションがデフォルト。
上下関係みたいな構図ができあがっている。

 


こんなところでしょうか。

 

 

福祉業とは言え今やひとつの産業という側面も否定できないので、働く人のメンタリティは様々なのはそりゃ当たり前で、そこ自体を否定できるもんじゃないと思うんです。

それ自体は人の価値観なので。

 

ただ、ここの事実は切り分けていかないといけないんですが、

働く人の価値観やメンタリティと、職業というか業態そのものが持つ価値みたいなものは全く別で、そこはきちんとゲートでチェックしていかにいといけないと思うんです。

 

多分僕が知ってる限り、対人援助業は「善」なわけでは必ずしもないんですよね。むしろ医療とかに近い気がしてます。
人の人生や生活やこころに対しての属性が高いから従事してるだけで、よさそうに見えるけど、そうじゃなくてむしろ結果が出せなかったらその責任の方が重い、一生恨まれても仕方ない世界です。

だからこそ、業態の倫理チェックというか仕組みが必要なんじゃないかな、と思うわけです。

 

 

 

 

話が逸れましたが、そこの良し悪しは置いといても、とはいえ対人援助業に携わる人のメンタリティ、どうも僕の想像のような事だけではないのかも知れません。

もう少し課題があるかも知れません。

 

 

最近、障がい児の保護者の居場所の事業をされているNPO法人の理事長さんとお話をしていると、「マウント目的で福祉の仕事に就いてるように見える人もいる」っていう話を聞くことがあったんです。
それが、ちょうど障がい児の保護者の障がい受容プロセスの中で起きうる課題と似ていて、これって福祉職だけでなく、対人援助職全域にもしかしたらひっそりと横たわっている問題かも。

という話が盛り上がりました。

つまり、「価値観の問題」ではなくもしかしたらこれって「こころの課題」なのかもしれない、ってことです。

 

 

自身の承認欲求の解消を援助現場で自覚なく行ってしまっている。

自己実現の表現の「道具」として対象者への援助を用いてしまっている。

実は自身の中で受容しきれていない何かしらの思いを補完するために仕事をしている


 

みたいな課題です。

 

 

一般的には対人援助職、というのは社会的な意義や価値は高いとされる職業ではあります。(ただしそれは適正な援助ができ、結果が伴うことが前提ですが)
その仕事に就いている、ということが自身の「善意」のステータスになる、という認知が、もしかしたら少しだけこころの課題が未解決な人のそれを『埋めやすい』業態なのかも知れないです。
例えたら失礼ですが、少し前に「IT会社の社長 = モテる イケてる 最先端」みたいなイメージがあったのと同じ感じで、職業というか肩書が自分をラベリングしてくれるような感覚なんでしょうか。

 

 

たちまち今は答えを持ち合わせていないんですが、一緒にお話をしていたNPO法人のその理事長さんが、「オンラインでディスカッションイベントやってみる?」と声をかけてくれました。

 

 

 

やるに決まってるじゃないですか!! 

 

 

 


 

ということで、11月5日にオンラインディスカッションを行うことになりました。

オンラインなので全国どこからでもご参加いただくことが可能です。

もしよかったら、少しだけ根深そうなこのテーマ、一緒に掘り下げてみませんか?

 

 

 

長-い文章を練って練って練り上げた「宣伝」でした。

でもマジで面白いと思うんで、よかったらご参加下さい。

 

 

僕も共同ホストとして参加させていただきます。


 



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