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ストレスや負荷は「用法用量」を適切に

今日の記事はちょっと僕の偏ってるかも知れない感覚なので、あまり共感も賛同も得られない話かも知れません。
 
 
ストレスや負荷の扱い方の話です。
 
 
ストレスとか負荷、というのはどちらかというとネガティブな意味合いで使われることが多い言葉だと思います。
なんとなくストレスも負荷も少ない方がいいと思います。
 
 
でも僕はそうは思っていません。
 
 
理由は2つ。
 
 
まず、これはとても現実的な話なんですが、実際にストレスを完全に取り除くことっていうのはちょっと難しいですよね。それとストレス、と一言で言っても、僕らができるなら避けたいと思っているストレス、というのは心理的ストレスが主です。
そこで心理的ストレスというのがなぜかかってくるのか、というメカニズムを考えると分かると思うんですが、細かいことは置いておいてざっくり言うと、「思う通りにならない」や「不条理を感じる時」なんかに僕らはストレスを感じます。
全てが思う通りになることや、全く不条理に遭遇しない生活、というのは現実的じゃありません。
 
 
 
そしてもうひとつはストレスや負荷は「用法・用量」の問題ではないかと考えているからです。
つまり、ストレスや負荷そのものがいけないわけではなく、「過ぎる」ことに問題があるんじゃないか、ということです。
 
 
 
 
僕の意見は、ストレスや負荷、という言葉がネガティブに取り扱われてしまうのは、かかり「過ぎる」事によって起こることは避けなければいけないんですが、現実生活の中で全く避けることはどうやら難しいものなので、できるだけ適切な用法・用量を理解して、むしろ付き合い方を覚えていくことが大事なんじゃないか。なんなら上手く扱うことができたら実はポジティブなものなんじゃないかということです。
 
 
 
これは支援の場面でよく感じるんですが、「本人のストレスにならないように」とか「負荷をかけると◯◯だから」とか「ストレスになったらいけないので」みたいに100かゼロかみたいな議論がなされることがあります。
 
 
ストレスがかからなければいいんでしょうか、負荷をかけるから問題が生まれるのでしょうか。
 
 
この議論を突き詰めてしまうと、「ストレスになるから本人が望むようにして下さい」になるし、「負荷をかけるといけないのでかけないでください」に行きついてしまいます。
それって果たして「支援」でしょうか?
 
 
 
 
今日利用者さんから相談を受けて面談をしているときに「特に叱られも注意もされずに平穏な毎日なんです。でも自分は一体なんなんだろう、って考えてしまうんです。」という内容の話を持ちかけられました。
つまりなんのストレスも負荷もかけられない事で、抑揚のない毎日になりこれでいいのか、と不安になった、という話です。 
 

その方は「注意や指摘や叱責」というストレスが自分には必要だ、と考えたんだと思います。そういうストレスがかかることで「ちゃんとやらなきゃ」という自覚を持てると。
 
 
でも多分それは少しストレスの用法としては違うんじゃないかと感じました。
 
 
多分、ストレスの適切な用法は「モチベーション」に言い換えられるものなんだと思うんです。今は思い通りにならないことを思い通りに向けていこうとするエネルギーになる範囲のストレスであり、多少の不条理、つまり整合性が少し欠けている状態を折り合いをつけていこうとするエネルギーになる範囲のストレスです。
 
 
このモチベーション化されたストレスがないままに注意や指摘や叱責が降りかかってくることは、納得感を得られず
ただの不条理というストレスにしかならないんじゃないか、という理屈です。用法も用量も間違っている事になります。
 
 
 
そして同様に負荷の適切な用法は多分「目標」に言い換えられるものだと思います。これは文字通りじゃないでしょうか。
今の自分の少し先「ちょっとだけ頑張って得る」ものだったり場合によっては「めっちゃ頑張って得よう」とするもののために負荷量を設定したものが「目標」です。
目標化された負荷は本人の活性剤になります。ただし、それを越えた負荷はただの負荷にしかならずこれは用法と用量を誤る事になる、という認識です。 
 
 
 

ただの言葉遊びだと言われてしまえばそれまでですし、いくら言い換えてもストレスや負荷という言葉自体に抵抗や嫌悪を覚える方からしたら意味のないロジックかもしれないんですが、ストレスと言うと全て避けた方がいい、負荷はかけない方がいい、という極論が当たり前になるのにも僕は抵抗があるので、自分なりに因数分解してみました。
 
 
 
少し意地悪な逆説を言うと、普段用いられている「モチベーション」は実は求め過ぎるとストレスになっているかもしれません。
そして見合わない高さの目標は、用量を間違えた負荷になっていることがあるかもしれない、ということでもあります。
 
 
なんにしても「過ぎる」のはよくないかもしれませんね。

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