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時代が変われば「常識」が変わるのは当たり前 アップデートを怖がらないでいい

僕らはどうも「自分」だけの意思で物事を決めたり行動したりすることは難しいらしいです。
いつだって「世間の目」や「常識(と呼ばれるもの)」、「所属しているコミュニティのルールやしがらみ」に影響されたり暗に圧力を受けながら、その意思や行動を決定せざるを得ないことがほとんどのようです。


よく、「普通」とか、「常識」とかという言葉を聞くんですが、(僕も気づかず言っていることがあります)「普通」って何なんでしょう? そして、「常識」って何なんでしょう?


僕の解釈なんですが、ちょっと整理しておきたいと思ったのでnoteを書きました。
あくまで僕の個人的な実感の範囲なので、本来の言葉の意味とは違うかもしれませんが、あしからず。

 


普通の意味

普通、って読んで字のごとく「普段の通り」、だと思っています。誰かが「そんなん普通じゃん」と言ったときには、「あぁ、この人にとってはこれが普段通りなんだな」という理解をしています。当然、僕の言う普通は、僕にとっての「普段通り」なんです。

同じような環境にいたり、同じような境遇にいたりすれば僕と誰かの「普通」がたまたま重複していることはあるでしょうし、同じことを「普通」と思えることでその相手との価値観や考えの共有率を推し量ることもできます。
より多くの人が「普通」と思うものについてはある程度の普遍性、みたいなものも生まれてくるんだろうな、ということも見えてくると思っています。


ただ、どうもこの「普通」という言葉にはとんでもなく大きな宿命が背負わされているようで、僕が普段仕事をしている中で出会う当事者の方少なくない割合で「普通になりたい」という方がいます。


普通、というのは本来各々個人が自分の中で普段通りと思うもののような気がするのですが、どうも「普通 = マジョリティ(大多数の意見)」みたいな構図が成り立ってしまっていることが多いみたいで、もしその方の言う意味合いで普通になる、って考えると、どこを切り取ってもマジョリティなものしか出てこない、すげーつまらない人になろうとしているのかな、ということになるみたいです。

多分、「普通」っていうのはそういうものじゃなくて自分個人の価値観なので、他人と必ずしも共感しあえなくても全く問題ないんじゃないでしょうか。


常識の意味

例えば「書く」や「描く」ための媒体ってみなさんどんな手段を思いつくでしょうか?
今だったらPC、タブレット、スマホ、紙、ホワイトボード、黒板、とかですよね。 まぁ人によっては「手」とかあるかもしれませんが笑

そうなると書くための道具はマウスかもしれない、タッチペンかもしれない、指やペン、鉛筆もそうですよね。

これらが現代において実際に「主に」認知されていて「主に」使用されているものです。


じゃあ、石器時代だったらどうでしょう?

書く、描くの媒体は主に岩や石だったでしょう、土や地面だったかもしれませんね。そして書くための道具は石や指、木の棒が主だったでしょうね。


僕はこれが「常識」の意味だと思っています。


日本ではまだ「常識的」にFAXは通信手段のひとつとして使われていますが、欧米ではFAXは非常識な非現実的な手段だと聞きます。

スマホ全盛の現代ですが、たった15年ほど前までは、携帯で仕事までできてしまうなんてことは「ありえない」事だったんです。

もう少し言えば、ものを買うのは「お店に行って」買うだったものが、今じゃネットショッピングが当たり前になっています。


「常識」って、つまり「ある程度誰でもが識(し)っている事柄」っていうことで、もう少し言うと「識って常(主)に使っている」人が多くなった時点で「常識」になるのかな、という理解をしています。


つまり、まだ世にあまり浸透していない、知られていなければそれは『非』常識と言われて当たり前。
よく言われるリテラシーやモラル、デリカシーのなさを意味してるような非常識、って言い方はあまり正しくなさそうです。



「普通」 「常識」 = 「正しい」 「正解」なの?

それらを踏まえての疑問は、「普通」と「常識」はいつも一緒くたにされていて、まるでそれが正しいかのような雰囲気で捉えられてる事。

「普通」なんて人それぞれでいいはずなのに、まだあまり知られてなかったり浸透してない事は「常識」になってなくて当たり前なのに、そうじゃないものはやや間違ってるげな空気はいつの時代にも誰かを無自覚に虐げて傷つけてる気がします。


多くの人の共通項に挙がる「普通」は本当に正しいんでしょうか?正解なんでしょうか?
多くの人が識って用いている「常識」だから正しいんでしょうか?


も少し掘り下げると、多くの人に受け入れられることが「普通」で「常識」で正しい、って事になるんでしょうか?


なんだか大多数が「うん、うん」と受け入れられるもの以外は表立って表明できない雰囲気ってしんどくないですか?



普通や常識なんて「アップデートありき」のもの

ありきたりなまとめですが、僕らの「普通」なんて、年齢と共に、時代と共に変わります。服の流行りと同じくらいにすぐに変わります。


多くの人は「朝」起きるかも知れませんが、仕事柄やリズム上、「昼」起きるのが普通な人もいます。(※健康上の問題などとは切り離して話さないといけんですよね)

多くの人は毎日三食食べるかも知れませんが、僕の普通は1日一食です。段々そうなりました。昔は三食食べてたけど、僕のライフスタイルには合わなくなったから。



携帯電話が普及し始めた頃は人前で電話するなんて非常識でした。
今それは非常識でしょうか?


インターネットが普及し出した頃はホームページがある事は「常識」じゃなく「ステイタス」でした。
今は下手したらホームページがある事はとうに「常識」で、公式SNSまでなかったら、やや信用に欠く業種さえあります。


現在では、コロナ禍の中で、通勤や出勤という「常識」が崩れ去ろうとしていて、「テレワーク」が新しく仲間入りしようとしています。



「普通」とか「常識」という言葉自体は長く変わらずに用いられますが、それが示しているものは、実はずっとアップデートされています。

当たり前です。1人の人間の「ふだん」の景色は時代や年齢などと共に変わり続けているし、その中で広く識られて用いられるようになるものも変わり続けるんです。



それを踏まえた上で、「普通」とか「常識」っていうものは、人や時代の価値観のあり方やひとつの判断の材料、くらいに付き合っていくのがいいんだろうな、と考えてます。


そして、自分の「普通」や「常識」を人に当てはめずに、強いることはせずに過ごしていけた方が、誰もしんどくならないのにな、と強く思います。



ありきたりな話ですが、しょっちゅう考える事なので自分の備忘録がてらにまとめておきました。



あまり「常識」的じゃないものですが、福祉に携わってたり関心を持たれてる方と「福祉を面白く、前に進める」オンラインコミュニティというのをやってます。
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ホームfukushigaishamargi.wixsite.com


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