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「人」というものをずっと追いかける

前回から、自分の対人援助や支援ってどういう姿・カタチをしているのかを残しておきたいと思い、書き始めました。

               

前回の記事はコチラ↓

     

     

    

ここからもう少し僕自身の対人援助に対してや支援に対しての理念、みたいなものを掘り下げて残しておこうと思います。

    

    

   

僕たちは何を相手にしているのか

対人援助や支援の中での僕らの役割は、様々な「生きにくさ」を持った人に向けられます。
「生きにくさ」に定義されるものは、それぞれのフィールドによって違いはしますが、病気だったり、障がいだったり、経済生活だったりします。

  

つまり対人援助や支援の目的というのは、

その「生きにくさ」を軽減したり、要因を取り除いたり、脱却すること

じゃないかな、と自分では思っています。

   

   

僕らはそのために、病気についての知識や対処法、予防法などを学び、介護における知識やスキルを身に付け、障がい特性について知り、いろんな社会保障や福祉制度を知り、さらには援助スキルを身に付けて、援助者としての資格を取得し、本当にたくさんの事を知ったり身に付けたりしていくわけです。

    

    

でもね、

  

    

僕らは「病気」に対してケアしているわけでも支援しているわけでもない
「障がい」に対してケアや支援をしているわけでもない
「加齢」に対してでも「貧困」に対してでもないんです。

    

    

僕らが相手にしているのは「人」そのもので、ケアや援助や支援をしないといけない相手は「人」です。

   

   

病気の知識、障がいの知識、制度の知識、介護の知識、援助スキル、資格…
その並びに「人について」、というのはありますか?

     

    

病気や障がいや制度や介護やスキルや資格を学ぶのと同じ、いやそれ以上に、「対人」援助、支援をする僕らは誰よりも生々しく「人」について精通していないといけないんじゃないかと思っています。

  

   

どんなに高い知識レベルで優れた援助スキルを持っている人であっても、対象者を1人の人として見て関わらない援助者は多分対象者に信頼されません。
もちろん全ての対人援助がそうだとは思わないんですが、僕は「援助者」と「対象者」をそもそも最初から線引して関わることにすら違和感を感じます。

そりゃ例えば僕が非常に有名な人間で、誰からも知られている存在であれば違うのかもしれませんが、僕は無名な人間で、対象者からしたら初めて会う「知らない人間」です。

僕だったら、いきなり知らない人間が「あなたを支援します。」と言ったっていきなり信用はできません。相当警戒してかかります。

ほぼ全員最初はそうじゃないでしょうか?

いきなり専門家ぶってあれこれ言われても不信にしか思わないし、変に線引して距離感のある関わりをされても親身さは感じません。

  

馴れ馴れしくしろ、という話ではないし、ズカズカと踏み込めばいい、という方法論の話でもありません。
シンプルに「人間同士の関係性づくり」は援助、支援以前の大前提の話だよね、っていうことです。

  

  

支援者という立場になったら、援助者という立場だから急に「人間関係の構築」をすっ飛ばして「知識や技術」で相手に関わろうとすることだったり、最初っから「支援者と利用者」という立場での関係性を持ち込もうとするのはちょっとしたマウンティングに等しい行為に見えてしまいます。
逆に、相手を「お客様」扱いしてへりくだり過ぎるのも、そこには基本的な人間関係や信頼関係ではありません。それはただ「お金を払っている方が強い」みたいな構図を生んでいるだけです。

  

  

  

つまり、対人援助を行う上ではどれだけ適切な「人間関係」を構築できるか、というところが全ての土台に本来は横たわっているはずなんですね。
安易な言葉を使うと「人間力」みたいなものでしょうか。

支援・援助に入るよりもまず相手と最低限の信頼関係を作れないと、僕らが用いる知識も技術も上滑りして効果を成しません。
そりゃそうです。いくら僕らが「自分は支援者だ」「援助者だ」「〇〇という資格を持ったプロだ」と喚いてみても、肩書を誇示してみても、相手から信頼されなければそもそも相手は僕らを「支援者」とは認識しません。むしろ、「プロなのになんで自分の思いを分かってもらえないんだ」の不満が増加するだけです。

  

  

いつも初めてお会いする対象者の方と対峙する時に考えていることは、まず僕自身を信用してもらうためにも、僕自身のことも話すし、僕も相手のことを「分かりたい」と思うことです。

お恥ずかしながら、僕には一流の知識や一流の技術は多分ありません。大した肩書もありませんし、資格だって立派なものは持ち合わせていません。

  

でも、多分誰よりもお相手と対峙するときには相手を「知ろう」と努力しています。言動だけでなく、目の動き、手の動き、挙動などどんな小さなこともしっかり見つめて、相手のことを「分かろう」と努力します。
そして、相手に和らいでもらえるよう、自分に気持ちを少しでも開いてもらえるような関わり方を毎回探りながらやっています。

相手にとって僕を「支援者」と認定してもらって初めて「知識」や「技術」などを総動員した支援が始まると思っています。

    

  

今の時代、ほとんどの知識や技術は誰だってネットを使えば手に入ります。昔は知識や技術を身につけることが専門職・プロのひとつの定義だったと思いますが、今はそれはそこまで重要じゃありません。

  

でも、人を知ること、人を分かろうとすることはなかなか知識や技術ではまかないきれないし、ネットで調べてみても網羅することは出来ません。
対人援助業、福祉業のプロたる部分って、まず「人間のプロたれ!」っていうところじゃないかと僕は考えて今までやってきてます。

  

  

もちろんこれは僕自身の対人援助・支援の考え方なので考え方は様々かと思いますが、一応このスタンスで20年近く割と対象者さんには好かれることが多いので、まんざら間違いではなさそうだな、と思っています。

  

  

ということで、今日は僕の対人援助の考え方の中でも根幹をなしている【「人」というものを追いかけ続ける事】について書かせてもらいました。

また自分の中で少しずつ言語化しながらまとめていきたいと思います。

  

  

  

 

福祉人が繋がって地域の中でもっと面白いことできないかなぁ、と思って、オンラインコミュニティを立ち上げました。
まだまだ小さな動きしかできていませんが、所属や肩書きじゃなくって、福祉を少し前に進めたいと思う人が集うための待ち合わせ場所になればいいな、と思って日々記事を投稿したり、新しいプロジェクトを立ち上げたり、交流したりふざけたりしています。

興味がある方はコチラ(画像をタップorクリック)↓

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