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性をインクルージョンに捉えていくことは障害者の性という問題には必要

つい先日、地域の支援者仲間に声を掛けていた「障害者の性について」のオンラインディスカッションを行いました。
普段あまりに表に出てこないこういった話に一体どれくらい同じようにどうにかしたいな、と思われている方がいるのかはイマイチ分からなかったのですが、僕の地域だけでも「関心がある」という支援者や福祉関係者の方が20名近くも声を上げてくださって、動き出すことになりました。



多分今後もう少し深堀りしていきながら、実際に支援のカタチだったりインフラだったりを作ることにつなげていかなければならないと思うので、しばらく定期的に集まっていこうと思います。

今回は初日のまとめと次回に向けての備忘録も兼ねて書かせてもらいます。



ちょくちょくとこのnoteや、ひっそりやっている音声メディアでも話しているんですが、




今、僕が運営しているオンラインコミュニティ「ふくし会社margin」で行っている婚活支援という活動があるんですが、実はこの活動と「障害者の性」についての取り組みは、僕の中では背中合わせのひとつのプロジェクトだと思っていて、今回ありがたいご縁で婚活支援が動き出したところで、こちらも進めていこう、という順番になっていますが、実は僕としては婚活支援よりも、障害者の性についての問題に向き合わなければ、というのが実は先にありました。


そんなこんなで、多分1年越しくらいにずっと考えてた「障害者の性」について、ようやくいろんな人と考えられるテーブルにつく事ができるようになりました。



とはいえ、僕自身もこの課題について明確な答えや、目指す成果物のイメージを持っているわけではありません。
逆にこの地域にいったいどんなインフラを生み出せばいいのか、いろんな意見を聞きながら考えていきたい、くらいの感じでミーティングに臨みました。




議論していきたいテーマは3つ。


・パートナーがいる場合の「性」について
・パートナーがいない人の「性」、つまり自慰や公共の資源との連携について
・そして、そもそもの「性」のインプットの仕方について



です。

僕の住んでいる地域では、どうも障害者の性は「トラブル」や「犯罪」と常に紐付けられているものらしく、性教育の場面でも「加害者にならないために」「被害者にならないために」、つまり性はまるでリスクのように扱われる事も少なくなかったり、忌避する事が当たり前だったり、触れさせないように蓋をする事が当たり前だったりしてきました。

だからここで議論するのは、同じように犯罪に関わらないための性への向き合い方でも、押さえつけるための抑止的な性への向き合い方でもなく、人として当たり前のものとして性をとらえていけるようにはどうする?という事です。



今回は初めて集まった中で、「そういえば僕らはぶっちゃけ性というものを何から学んだ?」みたいな話から始まりました。


何故こんな話をするかというと、僕らは「よりよい性教育」みたいなものを目指してるわけではないからです。


僕らも決して学校の性教育だけで性を学んだわけじゃなく、漫画や本、小説に動画媒体、そして友人とのやりとりなどのエンタメやプライベートなネットワークで一番「リアル」な性にふれてきたでしょうし、オープンな場ではなく、ちょっとクローズな場でふれてきたはずです。


多分それってものすごく大事な事で、詰まるところ知る「情報」自体が大きく変わるわけじゃないんですよね。


その情報を得ていく媒体、空間、タイミング、人。


同じ情報でも、学校の先生が言うのと、つい最近の経験を話す友人とでは違ったりするんです。
学校の授業と、なんか秘密の集会場所みたいな場所で数人で話すのとは同じ話でも違うんです。
それぞれ好奇心や関心の温度がない時に聞いても入らないんです。


つまり、性にふれるというのは、ただ性教育をアップデートする道順ではなさそうだね、という話なんです。



それだけの話題でめちゃくちゃ盛り上がってしまって時間が足りなくなってしまったので、また次回にその他の話も議論していくことになったんですが、少なくとも「性」というもの自体はオープンに蓋をせず触れていくことを前提にしながらも、クローズにふれやすいプラットフォームやコンテンツをきちんと整えていきながら、リアリティを持ってふれていける環境というか場を創っていくことは必要なんじゃないか、というところが議論したい話の3番目の「性についてのインプットの仕方」というところのベクトルとして必要なんだろう、という方向性までは見えてきました。



まだまだパートナーがいる場合の性、パートナーがいない時の性の発散についてなど議論が尽きなくて、これからもっともっと深めていかないといけないと思いますが、こうしていろんな分野やいろんな経験を持っている人が集って衆知やアイデアを募っていくことを積み重ねていく中で具体的なカタチが見えてくる、という事が動き出した事にはやっぱり価値はあって、少しずつこの動き自体をしっかりと定着化することが大事なんじゃないか、と思います。


ひとまず最初の一歩を踏み出しました、というご報告まで。

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