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自分の「書きたい」という想いを信じる

 ここ最近、SNSに文章を投稿することより、紙のノートに文章を書くことが多くなっていた。

 他の誰に読まれる可能性もほぼない世界で、ただ自由に気楽に書いていく。
 そのことが楽しくて仕方なかった。

 一方、SNSに文章を投稿することに対し、ある種の「怖さ」を感じるようになっていた。
 というのも、SNSに載せた文章は、当然のことながら、自分以外の人たちの目に触れることとなる。

 書くなら何か、立派なことを書かなければ。
 喜んでもらえたり、楽しんでもらえたりすることでなければ。
 そんな思い込みが、頭の中を支配するようになっていた。

 そのことに気づいてから、自分がSNSに載せる文章に、なんだか違和感を覚えるようになってきた。
 どれだけ一生懸命に文章を書いても、結局は、読んでくださった方々に「感謝」や「賞賛」を求めているだけなんじゃないか?
 そう考えると、自分の欲深さに背筋が寒くなった。
 過去の投稿を読み返して特にそう感じたものは、たとえ「いいね」や「スキ」を頂いたものでも、削除したり下書きに戻したりしていた(「いいね」や「スキ」をくださった方々には申し訳ないと思いつつ)。

 そして、「もうSNSに文章を投稿しなくてもいいかなぁ」とすら、考えるようになっていたけれど。
 「それでいいのか?」と思う自分もいた。
 それはなんだか、自分の文章を信じるのをやめたことになってしまう気がして。

 自分が書いた文章に対し、読む方がどのような感想を持たれるかは、その方次第だけど。
 せっかく自分の文章を読んでくださる方を、傷つけることは書きたくない。
 その最低限のルールさえ守るなら、あとは思い悩むこともなく、ただ自分が「楽しい」と思う文章を書いていてもいいんじゃないかと思う。
 これまで自分に対する期待値が高かったかもしれない。

 誰でも自由に文章を書いて掲載できる、SNSという場に感謝して、読んでくださる方に敬意を払い、文章をコツコツと書いていく。
 それだけでいいと思う。
 読者の方にとって、役に立ったり面白いと思えたりする文章になっているかどうかは分からない。
 でも私は、まず「書きたい」という自分の想いを信じたい。
 そして、細々とでも拙くとも、書き続けていけたらいいな、と考えている。

もしサポートをいただければ、とても嬉しいです。自分の幸せ度を上げてくれる何かに使いたいと思います。