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「『愛は勝つ』の歌詞分析の論文なんて、書いてどうすんの?」と言われるのが怖かった

 ゼミの指導担当である先生から、半ば呼び出しのようなウェブ面談のお知らせが来た。

 いや、2か月に1度のペースで、必ず先生とはウェブ面談をして、その時点でどこまで研究が進んでいるか、今後の見通しなどについて、質疑応答や話し合いをして、論文執筆の準備を進めていくんだけど。

 現在、修士1年生である私の研究は、4月に入学してから空回りの一方で、せっかく先生が私のやりたい研究に役立つであろう、英語の本をコピーして送ってくださったり、正式に入学する前である春休みの段階から、おすすめの本を教えてくださったりしたのに、今のところは裏切ってばっかりいるんじゃないかと申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。

 私が学術的に研究したいほど興味を持つ先は、例えばプロ野球の観客の行動だったり、J-POPの歌詞だったり、はてまた漫才で使われるボケと突っ込みの言葉だったり、要するにサブカル系なのだ。

 だが、今所属している大学の卒業研究や、大学院で過去に書かれた論文のタイトルを見ていても、たぶん現役で仕事をしていたり、リタイア後に入学している方が多いこともあり、筆者の方ご自身が携わっている(携わってきた)仕事に関わると思しき研究が目につく。
 たとえ趣味に関すると思われるテーマを選んでいる場合でも、古くから日本に伝わる文化に関わるものだったり、広く名の知れた偉大な作家の生涯についてだったり、元々の素材が、誰でも価値を認めざるを得ないものなのだ。

 私は今年の3月、今在籍している大学院の学部を卒業したのだが、その時の卒業研究では、プロ野球の応援時における観客側からの非言語コミュニケーションを題材にしていた。それはまぁ大変だったが、なんとか出来上がってよかったと思っている。
 でも、プロ野球に何の興味もない人から見たら「そんな論文、書いてどうすんの?」という一言で終わるだろう。
 いくら私が「いやいやいや、野球の応援では応援団が主導でするのと、個人で行うのがあって、個人ですることを大まかに分けると拍手と歓声と周囲のお客さん達とのハイタッチがあって……」なんて熱く語り出しても、更に冷めた目で私を見てくる人もいるだろうし、一笑に付して終わる人もいるだろう。露骨に馬鹿にしてくる人もいるかもしれない。

 でも、書き上げた今はどうでもいい。そのために研究したり、執筆したりしていた日々は自分だけのものだ。
 ちゃんと筋道を立てて考えて結論を出すことの素晴らしさを学ぶことができた。だから、それで満足している。

 だけど、なぜ試験に合格し、その大学の修士課程に入学させていただけたのに、今は研究を進めることに対しての怖さしかないのか。

 「大切なものを汚してしまうかもしれない」という不安から、だろうか。

 最初に入学した大学で、たまたまJ-POPの歌詞分析を社会学的な見地からなさっている先生に出会うことがあった。一度はその先生の門下に入り、自分も歌詞分析をしてみたいと考えたが、意気地なさ云々がきっかけで諦めた。

 それから約20年近く経ってから、今在籍している通信制の大学を知って入学し、特に言語文化に関する科目が好きで取りまくっているうちに、「そういえば歌詞分析をしたかった」という夢を思い出した。

 卒業研究では非言語コミュニケーションをテーマにしていたが、修士課程では全く別の研究をしたいと考えていたこともあり、歌詞研究をテーマにしようと思った。でも実際にどのアーティストとか、どの曲を中心にやりたいとかはなかなか思いつかず、
「まぁ思いついたら受験すればいいやー別に急がないし」
と、呑気に構えていたつもりだった。

 でも、卒業研究履修中、過去に書かれた論文や新聞記事のデータベースなどで、息抜きがてらに検索して見つけた、好きなアーティストや曲に関する文献を読んでるうち、修士論文でやりたいテーマが決まってしまった。

 あ、いや、そもそもは、ツイッターで私が相互フォローさせてもらっている方のツイートを目にしたことがきっかけだったかもしれない。

 え、違うの?何その「叶わない恋を諦めて」って?!

 『愛は勝つ』が大ヒットしはじめた1990年、私は中学一年生だった。
 FMラジオでやたらと耳にしていた頃から好きだったけど、確かテレ朝のバラエティ番組のエンディングで使われ、その後に当時の大ヒット番組「やまだかつてないTV」で猛烈プッシュされるようになり、その曲の歌い手であり作詞作曲もしているKANさんを認知し、私の地元のローカル局でラジオ番組をされていることを知り……という経緯でファンになり30年が経過しようとしている。

 『愛は勝つ』の歌詞について実はあまり深く考えたことがなかった気がするのだが、多分大ヒット当時は「どんなに振り向かせるのが難しい相手とも、願い続ければいつか必ずその恋愛が成就するよ」という歌だと思っていた。

 だが東日本大震災のとき、たまたまこの曲を耳にして、歌詞の捉え方が変わった。「心配ないからね/君の想いが/誰かにとどく明日がきっとある」も、「どんなに困難でくじけそうでも/信じることさ/必ず最後に愛は勝つ」も、もう恋愛の歌に聞こえない。ひっきりなしにテレビで流れる映像や情報が頭の中に溢れた。大きな地震により、苦しんでいる人たち、助けようと必死で全力を振り絞る人たち、何をしていいのか分からず戸惑っている人たち、いろんな人たちのことが頭に浮かんだ。
 でも、「この歌がきっと今の日本に勇気や元気をくれるだろう」と思うよりも先に、捉え方ひとつによって、意味がガラッと変わる歌詞に感動した。
 そして調べているうち、阪神淡路大震災の追悼式でも合唱されていることや、日本財団の子どもサポートプロジェクトというCMで使われていることも知った。

  なぜ一つの曲の歌詞が多義的な解釈をすることができ、様々な場面で使われているのかを知りたいと思った。だから、その研究をしたいと思い立ち、修士課程を受験することにした。

 それから約一年が経過し、晴れて修士課程の一年生になっているはずなのに、ちっとも研究が進んでいる気がしない。それどころか研究は迷走の一途を辿り、指導担当の先生からは相当心配されているだろう。というか、ムカつかれているかもしれない。

 やみくもに、1988年(バブル全盛期)から2011年(東日本大震災)までのオリコン年間シングルCDランキングの1位から5位を調べてみたり、過去の論文でヒット曲や流行歌に関するものを片っ端から検索で読み漁ったりした。そして各学期末の課題である「研究レポート」の第一回目を出す頃には、元々自分が何をしたかったのかがブレまくり、「ヒット曲の歌詞と社会情勢との関係性の検討」というタイトルで、それに沿った内容のレポートを提出した。
 受験時の「『愛は勝つ』の歌詞がどうしてこんなに多義性を持つのかを調べたい」という動機をすっかり忘れてしまっていたのだった。

 だから、その後に行われた、自分の所属するゼミと隣接分野の研究をする先生方のゼミ、そしてそれらのOBやOGが集まってZOOM上で開かれた合同レポート発表会では、それに沿った発表をした。
 「J-POPにおけるヒット曲と社会情勢との関係性を歌詞分析から検討したいです」と言って「分析対象にする曲はできれば、KANさんの『愛は勝つ』一曲にしたいです」と付け加えた。
 発表後の質疑応答ではひたすら「その一曲でやるのは厳しいんじゃないの?」というご意見ばかり。
 参加なさっていたゼミの先生方からは、私の「『愛は勝つ』だけを分析したい」という気持ちを汲み取った上でのアドバイスを頂けたが、参加者の一人であるOBから「KANは捨てて(本当にこう言った)〇〇〇〇〇(長年活動し、ヒット曲も多々ある女性シンガーソングライターの名前)にテーマを変えればいい」と言われた。あまりに私の意向を与しない発言にビックリするしかなかったが、そもそも発表内容に落ち度があったのは否めない。その後、別のOBで、ある大作詞家の歌詞分析をテーマに修士論文を書いて卒業された方から温かいお言葉を頂けたのがせめてもの救いだった。

 そして合同レポート発表会から約一週間後に開かれた、所属するゼミの定例ゼミでも、結局どう研究を進めていいか分からないから大まかには合同レポート発表会と同じ内容の発表をしたところ、指導担当の先生をまた怒らせてしまった挙句、「KANは一発屋」という趣旨の言葉を受けた。
 いや、彼女に悪意はないだろう。だけど「もう研究内容をガラッと変えなくてはならない」と思った。

 要するに、その言葉を誰かから言われて傷つくのが嫌だった。
 「そんな一発屋の曲の歌詞を分析してどうしたいの?(笑)」と言われるのが怖かった。もしかしたら合同レポート発表会で「KANは捨てて〇〇〇〇〇にした方がいい」と言ったOBも、根本的にはそのようなことを言いたかったのかもしれない。

 私の大学院修士課程の受験時の研究テーマは「歌詞分析から考察する『愛は勝つ』のメッセージの多義性」だった。

 だけど、タイトルに『愛は勝つ』を入れるのが怖かった。
 好きなものを好きだと、おおっぴらに言うのが怖かった。
 私を嫌がらせて面白がる目的で、私が大切にしたいもの、愛しているものを傷つけに来る人は、今までの人生で、ごまんといた。
 だから気がつけば、本当に自分のことを分かってくれるであろうと思える人にしか、自分の大切にしてるものや、愛しているものを教えようとはしなかった。
 そして何より、自分から先に大切なもの、愛しているものを人前で汚したり、傷つけたりすることもしてきた。他人に汚されたり、傷つけられるくらいなら、まず自分の手で、と思ったのだ。

 私は自分にとっての大事なもの、愛しているものを守る勇気も、力もなかった。笑顔で私に近づいて心にナイフを突き刺す人に「やめてよねー」と笑って痛みをこらえるしかなかった。
 そしてその人が満足してナイフを抜き、去っていった後、心から血が大量に吹き出し痛みに苦しんで、その場にいる人たちに「本当は私、痛いんだよ」と言っても、「え、あのときあんたも笑ってたじゃん(笑)」とか「あの人を楽しませてあげたと思えばいいんじゃない?(笑)」とか言われ、心の傷が割り増しされてきた。

 自己犠牲してでも人に喜んでもらえることを優先していた人生を、変えていきたい。
 自分に対して礼を欠いている人からは離れて、本当に自分が一緒に居て心地よい人たちと過ごすことを選べるようになりたい。
 あぁ、「好きなものは好きと言える気持ち」を抱きしめてたい。

 実は、冒頭で挙げた「呼び出しのような面談のお知らせ」は、上記の合同レポート発表会と、定例ゼミでボロボロになった私が「テーマを変えます」という趣旨のメールを先生に送った後に届いたものだ。
 テーマは「歌い継がれる歌謡曲の歌詞における多義性の検討」にするつもりだった。
 『愛は勝つ』よりもだいぶ前にヒットして、なおかつ震災や新型ウィルスなどで人々が危機に立たされた時、必ずと言っていいほどどこかで歌われている曲を数曲ピックアップして、それらを分析した上で「ちなみに1990年代以降でしたらKANの『愛は勝つ』も歌い継がれてます」的に紹介しようと思っていた。

 そのメールの返答として、先生から今週末のウェブ面談のお知らせが来た。先生は周囲に影響され、何をやりたいのか見失ってしまった私を見透かしたようで、もう一度何をしたかったのかを考え直してほしい、ということが書いてあった。

 あぁ、本当は『愛は勝つ』の歌詞分析といっても、ただこの歌詞の多義性を調べたかっただけなんだ。
 社会情勢がどうとか関係なかったんだ。
 たとえ世間的には一発屋でも、この世には一発すら当てられずに消えていくミュージシャンなんて、きっと掃いて捨てるほどいるだろう。
 たとえ世間で認知されている曲がたった一曲でも、その曲が後世に歌い継がれるほどの名曲であれば、そのミュージシャンは偉大だ。

 だいたい、一発屋をバカにする人は、今後ぜったいに、次に挙げる人たちを見て笑っちゃダメだよ。




 と、ここまで書いて、まだ元気は出てないけれど、修士課程でやってみたかった研究を思い出すことができた。
 自分を大切にすることや、愛することができてなかったことにも気づけた。
 まだ覚悟は決まりきってないけれど、今度の面談で先生に、少しでも本音を話せたらいいなと思っている。


※本来の趣旨とはちょっと違うかもしれませんが、あえて「私の勝負曲」というコンテストに参加いたしました。どちらかというと「私が『これで勝負したい』と思っている曲」という感じですね。

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