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【短編小説】「頑張れば必ず叶う」

 せっかく体力をつけようと思って、市営体育館に来たのに。
 走路をぐるっと一周、ランニングしただけで、息が切れてしまった。
 せっかく新しいジャージを上下揃えたのに。
 シューズボックスにしまいこんでいた、スポーツ用の上履きを持ってきて、張りきって走ったのに。
 ロビーの一角にあるラウンジのイスに腰かけ、備え付けの自動販売機で買った冷たい緑茶を飲みながら、ひとり落ち込んでいた。

 子供の頃から、運動は苦手だったけど。
 唯一、走ることだけは、そんなに嫌いじゃなかった。
 だって、誰に習わなくてもできることだから。

 でも、だからって足が速いわけでも何でもない。
 運動会のクラス対抗リレーで選手に選ばれることもなかったし、マラソン大会でもようやく完走できるくらいだった。
 当然、中学や高校時代に陸上部どころかスポーツ系の部活を選ぶ勇気もなかった。
 自分がチームの足を引っ張ってしまう未来しか見えなかったから。

 世間に新型の感染症が蔓延し始めたとき、職を失った。
 契約社員として、家電量販店で販売職をやっていたが、あるとき契約が打ち切りとなった。
 感染症を恐れて店頭で買い物する客が減ってしまったのが原因なのか、それとも他の原因なのか、未だに分からない。
 でも、その代わり一定の期間は、働くことなくお金を手に入れられる。
 そう開き直り、失業保険の給付に甘えてしばらくボーッと過ごしていたら、あっさり支給期間が終わった。

 それでも、今は貯金を崩せば、人並みの生活ができている。
 新卒で正社員をやっていた時期が長かったから、当時に貯めこんだお金は残っている。
 残業と休日出勤が続く生活に疲れ果て、体を壊して退職し、たまたま見つけて始めた販売員の仕事が案外楽しくて、ずっと続けられるかな、と思った矢先の感染症。
 「なんて理不尽な」と思いながら、世間の空気に合わせて不要不急の外出を避けてステイホームし、一日じゅう部屋でテレビやスマホを観て過ごしていた。

 感染症の蔓延も落ち着いて、「そろそろ働かなきゃ」とハローワークに出掛けては求人票を見ているけれど。
 いかんせん、約3年も引きこもりに近い生活を送ってきた。
 そして新卒で入った会社のブラックな日々や、せっかく「楽しい」と思える仕事を見つけた後の理不尽な結末を思い出すと、「本当に働きたいのか?」と自問したくなる。

 「心と体は繋がっている。心の筋力を鍛えたいなら、まず体の筋力を鍛えよ」
 という、どこかで聞いた強引な論理を思い出し、体育館へ来てみたものの。
 走路一周のみでヘトヘトになるとは、前途多難な気がする。
 一回限りの入場券を買ってよかったと思った。もしも思い切って回数券を買っていたら今頃、絶望的な気持ちになっていただろう。

 いつの間に、頑張るとか張りきるとか、バカらしくなってしまったんだろう。
 少なくとも働いていた頃は、頑張ることや張りきることって、美徳だと思っていたけれど。

 体育館のアリーナから、お揃いのジャージを着た4人組の、中学生と思しき女の子たちがやってきた。
 左胸には校章と思しきもののプリントと、その下に名前と思しき刺繍が施されている。おそらく中学校の指定ジャージだろう。
 彼女たちはバドミントンのラケットや羽を持っている。春休み中、遊びに来たのかな。それとも部活の自主練かな。
 ワイワイと騒ぎながら、彼女たちは目の前を通り過ぎていく。
 一瞬、苦い記憶が蘇った。

 中学生の時だ。
 当時から人と群れることが嫌いで、休み時間は文庫本を読んで過ごしていた。
 1年生の時、そんな私に声を掛けてくれて仲良くなった、同じクラスの女子がいた。
 彼女は積極的に私に話しかけてくれた。当時は自分に興味を持ってくれるのが嬉しかった。
 まぁ、後になって彼女は「クラスでいつもひとりぼっちで可哀想だったから声を掛けてやった」と言ってたらしいが。

 2年生になり、彼女とクラスが別々になった。
 私は再び休み時間を読書で過ごすようになり、彼女はたまたま入ったクラスに気の合う人が多かったらしく、すぐに徒党を組んで過ごすようになっていた。
 お昼休みや放課後も、彼女はその仲間たちと過ごすようになり、その中の数人に誘われて吹奏楽部に入部し、クラリネットを吹くようになっていた。
 「リコーダーと指の運び方が同じだからすぐ覚えられたよ」と彼女は言っていた。元からピアノも習っていた彼女にとって、楽譜を読むことも苦ではなかっただろう。
 先輩や後輩とも仲良くやっているようだった。

 そのうち、彼女は私にも「吹奏楽部に入ろうよ」と言ってくるようになった。
 部活動には一切興味がなく、学校も入部を強制していない。
 群れて行動することに興味がないし、授業の時間以外も学校に拘束されるのは嫌だ。
 ひたすら断り続けた。
 でも、そのうち、放課後や休みの日には、家に電話をかけてきてまで勧誘してくるようになった。
 聞くと、3年生が秋に退部すると部員が半分ほど減り、存続の危機に陥るとか何とか。
 私にできそうだと思った楽器を、あれこれと勧めてきた。
 「クラリネットだけじゃなくてフルートも指使いがリコーダーと同じだよ」とか、「打楽器のパートも3年生が卒業したら空きができるよ」とか。
 でも、全く心が動かなかった。
 私もピアノを習っていることを彼女は知っていて、それだけに更にしつこかった。
 楽譜が読めるとか、楽器経験があるとか、そりゃ即戦力になりそうなのも分かるが、嫌なものは嫌だった。

 秋になり、吹奏楽部の定期演奏会が、公民館のホールで開かれた。
 彼女から「とりあえず観に来るだけでいいから」と言われ、単なる興味もあって行った。
 いつの間にか彼女は司会を務めるほどになっていた。
 当時のヒット曲や誰もが知ってるクラシック音楽を吹奏楽にアレンジしたものを十数曲も演奏し、演奏会は終焉に向かおうとしていた。
 彼女はクラリネットパートの席から立ちあがり、スタスタ歩いてステージの前方中央にある、スタンドマイクの前に立った。
 そして、一気に喋り出した。
 今一緒に演奏している3年生はこのステージをもって引退する。残された私たち2年生と1年生だけで、何とかこの吹奏楽部を続けていかなくてはならない。人数が大幅に減ってしまって、部が存続するかどうかも分からない。でも、私たちは力強くこの部活を続けていく。みなさん、どうぞ応援よろしくお願いいたします。
 時おり、声を詰まらせながら、彼女は語り、頭を下げた。
 ホール内に大きな拍手が響く。
 だが私は、心の中で「バッカじゃねえの」と毒づいていた。
 あんた、中途加入だろうが。なんでそんな偉そうに出しゃばってられるの?
 周囲を見渡すと、その事情を知っている人はあんまりいなかったらしい。顔見知りの同級生の中にも、尊敬のまなざしで手を叩いている人があちこちにいた。
 白けているのは、私だけなのかもしれない。
 アホらしくなって、感覚が無(む)になった。
 最後の演奏が終わり、ホール全体に割れんばかりの拍手が響いたときも、私はその中でただひとり、渇いた音の、社交辞令の拍手を送っていた。

 その次の日から少しずつ、私の周りの雲行きが怪しくなってきた。
 まず、同じクラスの、吹奏楽部に所属している女子たちから無視されるようになった。最初は全く意味が分からなかった。彼女たちとはロクに話した覚えもない。
 「私は何も悪いことをしてないから」と気を張り、学校に通い続けていた。
 でも、そのうち、他のクラスの吹奏楽部の部員たちの態度も変わってきた。体育の合同授業で一緒になったときや、登下校のときなど、あからさまに避けられたり睨みつけられたりするようになった。
 同時に、吹奏楽部以外の同級生たちから、だんだんと悪い噂を聞くようになっていた。
 私が吹奏楽部や、その部員たちのことをあちこちでバカにしている、と。
 そんな覚えは全くないのに。途端に背筋が寒くなった。
 もしかして、あの彼女が画策したことなんだろうか。
 「吹奏楽部に入ろうよ」というしつこい勧誘は、あの定期演奏会を境になくなった。
 その代わり、彼女と廊下などで目が合うたび、すぐさま怪訝な表情をされ、露骨に視線を外されるようになった。
 近くに仲間がいたら、すぐさま小声で私を見ながら、何やら耳打ちをする。そのうち、聞いている仲間もうんうんとうなずき、彼女と同じ表情で私を見るのだった。
 どんどん、学校で過ごす時間が辛くなってきた。吹奏楽部と関係ない同級生からも、すれ違いざまに鼻で笑われたり、露骨に嫌みを言われたりするようにもなった。
 どうやら私の噂は独り歩きしているようだった。
 一体、どこまでどのように広がっているのかも、分からない。
 次第に学校へ行くのが怖くなり、しまいには家から外に出ることもできなくなった。

 その後、一日も登校できないまま中学校を卒業し、通信制の高校に入学した。
 あの彼女は推薦で、市内有数の進学校に入学したと、風の噂で知った。
 思えば中学一年生の時から、その高校は彼女の志望校だった。当時から「勉強を頑張って必ず入学するんだ」と、ことあるごとに口にしていた。
 夢が叶って良かったですね。しかも推薦ですか。吹奏楽部での活動も評価されたんでしょうね。おめでとうございます。
 心の中で棒読みのようにつぶやいた。悔しさしかなかった。

 通信制の高校でコツコツと勉強に励んでいるうち、自信もついてきた。
 外にも少しずつ出られるようになり、卒業後は地元の私立大学に入学した。
 そこでも4年間、無事に通うことができ、新卒で地元の企業に入社し、そこから今に至るけれど。
 何気ないことがきっかけで、当時の記憶を思い出す。

 あの彼女は今、どこで何をしているのだろう。
 いつの間にか噂も聞かなくなった。その後の進路どころか、高校すら卒業したのかどうかも知らない。
 彼女は中学一年生の時から、将来に対してのプランニングをこと細かく組立てていた。
 希望の高校や大学、就きたい職業、結婚や出産、子育てから復職のタイミングまで。
 「頑張れば必ず叶うはず」って、当時の彼女は言ってたけど。
 果たして全部、計画通りに進んでいるんだろうか。
 長く生きていれば、どれだけ努力しようと、叶わないことだってあるだろうに。

 「頑張る」っていったい、何だろう。
 体育館から家へ向かうバスの中、座席に座り、ぼんやりと考える。
 結局、ラウンジでしばらく休んだ後、走路に戻り、1時間ほど走った。
 といっても、傍目から見たら、ほぼ速足で歩いていただけだろうけど。
 ただ、走ってみたいから走った。それだけ。
 頑張ったつもりは一切ない。
 でも、不思議と爽快感がある。

 明日、またハローワークへ行ってみよう。
 いい仕事が見つかるかどうかも分からないけど。
 そしてまた、体育館にも行こう。
 これからマラソン大会に出たいとか、壮大な夢があるわけじゃないけど。
 ただ走ってるのが楽しい。
 たぶん、そんなに頑張ってない毎日だけど、それでいい。

 バスの窓から見える桜並木が、夕暮れの光に照らされて、満開に咲き誇っていた。
 自分を応援してくれているように見えて、なんだか嬉しかった。

 

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