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『超言葉術』を読んで、キナリ杯に落選した理由に気づいた

 期待してないつもりだったけど、心のどっかで大いに期待していた。

 昨日の夕方ごろからツイッター上で、岸田奈美さんが独自にnote上で企画された「キナリ杯」の受賞者の発表を一時間ごとに流していらっしゃった。応募していた身として、「何かの賞にかすったらいいなぁ」などと呑気に考えていた。だが、夜になって全受賞者の発表を見届けた後、その願いがはかなく崩れ去ったことに気づいた。

 各受賞作を、岸田さんはツイッターからリンクしたご自身のnote記事で一つずつ丁寧に紹介なさっているのだが、もうどれも表示されているサムネイルだけですごい熱量が伝わってくる。それだけで嫉妬して中身を開く気が失せる。
 文章を書く身として、他人への嫉妬心はご法度であり、むしろいろんな人の文章に触れることにより、自分の文章の幅も広がるんじゃないかと頭では思う。
 でも、心がそれを拒んでいる。嫉妬、というより、自分に対する情けなさ、そしてパンパンに肥大して膿が溜まりきった自意識の強さが邪魔をする。
 夜10時を過ぎてからの岸田さんのツイッターライブも最初は見ていたもののだんだん辛くなってきて、途中退出し、ボロボロと泣いて過ごしていた。

 あぁ、私は文章を書くことに全力を出せなかった。

 私が「キナリ杯」に応募した記事は、「まず自分が書いていて楽しいと思える文章にしよう」と、攻めの姿勢で書き上げたものだった。

 今までnoteの記事で書いてきたのは、自分の生い立ちについてだったり、「ほぼ日刊イトイ新聞」に関係することだったりで、恋愛のことは全く書いてこなかったので、あえて「楽しい妄想」という観点で書いてみたのだ。
 でも、何が悪かったのだろうか。
 最初にこの文章をアップしたときは上から目線の文体で、「攻めていく」というスタンスが空回りしていた。
 その後、冷静になって読み返したら「読者の皆さんに対してあまりにも失礼だ」と反省し、即刻、書き直した。でも、その書き直しが雑だったなーと、今さっと読み返して思う。
 それでも、読んでくださった上で「スキ」を付けてくださった皆さんには、無名の一般人の妄想にお付き合いしてくださったことに心から感謝の意を表したい。

 とはいえども。
 私の膨れに膨れ上がった自意識は、あまりにも脆くて繊細なのも、また厄介なところだ。
 ちょっと傷がついただけで、膿が飛沫を上げて吹き出せばいいのに、実際に出るのは目から涙ばかりだ。

 どうして私はいつも、本気で努力することを恐れるんだろう。
 反応が返ってこなくて、もしくは期待していたのとは逆の反応が返ってきて、傷つくことが怖いからだ。
 いつも、誰かからの見返りを、他人が聞いて呆れるほど、願って願って願い続けている。
 それでありながら、期待とは全く違う反応が来た場合はがっかりする。腹を立て、思いつく限りの罵詈雑言をリプとして返したくなることもある。
 心の中の大部分を占拠しているかもしれない、私の肥大した自意識は、あまりに膿が溜まりすぎて体にも負担がかかっている。
 「キナリ杯」に落選したことで、その自意識が更に腫れあがり、痛みで泣いていた。けれど、ひとしきり泣いたら、いくらか心が落ち着いた。
 そして、泣き疲れているけど眠れそうにないので、kindle版で買って途中まで読んでいた本をスマホから開いた。

 読み始めてしばらくは、普段あまり人と接する機会のない自分にとって実用性を感じることができず、さらさらと読んでいた。
 でも「キナリ杯」に落選した失意で読み進めると、いかに自分の文章が独りよがりで浅はかだったかに気づいた。
 「私が楽しいから」という全く身勝手な動機から、ただの妄想を書き上げて応募した痛々しさを、十分に感じて恥ずかしくなった。

 この本では著者で電通のコピーライターである阿部広太郎さんが、ご自身がお仕事をされていく中で「もがきあがいてつかんできた」とおっしゃる、人に「伝える」ための「言葉術」を書いていらっしゃる。
 読み進めていく中で、自分に一番足りないのは「自分が文章として書き記す対象への、徹底的な調査と敬意」なんじゃないかと思った。
 期待した見返りが来なくて傷つくのが怖いから調べない、というのはあまりにも失礼だ。
 その対象を徹底的に調べこみ、面白がり、感動するだけで、自分にじゅうぶん見返りが来る。
 そして感じた想いを、丁寧に選んだ言葉で文章にして伝えることにより、その対象や対象に関わる人はもちろん、もっと多くの人たちの心を温めることができるのではないか。

 私には覚悟が足りなかった。
 「ちやほやされたい」「褒められたい」そして「自己肯定感を上げたい」というような、よこしまもいいところの理由で、人からのいい評価を求めて文章を書いてきた。
 noteでも「いろいろ書いているうち、誰かサポートしてくれないかな?」などと、これまた呑気なことを考えていたが、あまりのお目出度すぎる頭に恥ずかしいという感覚すら麻痺しそうになる。

 まず自分が感動すること。その想いを選びに選び抜いた言葉で、相手に伝えていくこと。
 その重要さをこの本から教えていただいた。

 最後に、この場を借りて著者である阿部広太郎さんに改めて感謝の意を表するとともに、「キナリ杯」を全部おひとりで運営され、約4,200もの応募作があった中で私の記事(実際には一度、差し替えたので2記事)を読んでくださった岸田奈美さんに、心から感謝の意を表したい。
 「キナリ杯」は、自分の文章を改めて見直すことができるありがたい機会であり、『超言葉術』は、それに落選して落ち込んだ私を納得させ、新たな希望を与えてくれる本だった。

 とにかくまだnoteで文章は書き続けていこうと思う。
 自分なりに苦しんだり、悩んだりしても、読んでくださる方々と一緒に楽しめるような文章を書いていけたらいいなと考えている。

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