『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第26話
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第3章 多佳子の逆襲
9 押し入れの多佳子の亡霊
祝言をあげて以降、よくなったはずの体調が再び悪化しだした。
最初の二、三日は、緊張と気疲れからきているものだと思っていたが、一週間以上たっても倦怠感がとりきれず、身体が鉛のように重く何をするにも億劫であった。
嫁とはいえ、余所者である雪子の存在は屋敷内の下働きたちですら見下していた。
雪子の立場は屋敷の中の誰よりも低い。それでも、利蔵家の嫁としての勤めを果たそうと、雪子はそれこそ身体に鞭をうって頑張った。
そんなある日、居間の隅で一人で朝食をとる雪子は、みなの仕事の邪魔にならないよう手早く済ませ、最後にみそ汁を飲もうと椀を手にとった瞬間、
うっかり手をすべらせ中身を床にこぼしてしまう。
すぐさま年配の使用人の女が、不機嫌な顔で床を拭き始めた。
「ここ、さっき掃除したばかりなんですけどねえ」
やれやれといったていで、女はぞうきんを手に床を拭く。そして、侮蔑をこめた目で雪子を見下ろした。
古参の使用人はみな世津子の息がかかっているため、使用人という立場とはいえ雪子に厳しい。
「ごめんなさい……」
突如、雪子は胸のあたりを押さえた。
心臓のあたりが痛い。
めまいもするし、気持ちが悪く吐き気も。
我慢しなければ。
また、みんなに迷惑をかけてしまう。
「自分で片付けます」
申し訳なさそうに言って立ち上がった瞬間、視界が激しく揺らいだ。
立っていることもままならず、雪子はその場に崩れるように倒れた。
◇・◇・◇・◇
伊瀬毅、波木多郎、山片平治と、多佳子を懲らしめろと命じた男たち三人がたて続けに、奇怪な死を遂げていった。
村ではその話題で持ちきりだった。
いや、三人目の山片平治にいたっては、平治の父親、山片文雄が息子殺害の容疑者として警察に連れて行かれた。
警察の調べに対し文雄は容疑を認めており、素直に自分がやったと自供したという。
殺害理由は単純に腹が減ったからだと、警察を呆れさせた。
何しろ半分ボケかけた老人ゆえ、供述も一転二転してままならなかったと警察の者はぼやいていた。
だが、こうも立て続けに三人が死んだのはもはや偶然とは思えない。
利蔵は文机に両腕をつき、頭を抱えうなり声をあげる。
「これは多佳子の呪いだ。多佳子があの三人を殺した」
呪いなどこの世にあるものかと鼻で嗤ったが、これを偶然の一言で片付けるには、あまりにも奇怪すぎた。
そこで利蔵ははっとなって顔を青ざめる。
もしや、多佳子の怨みが今度は自分に向けられるのではと恐れたからだ。あるいは、次は妻が狙われる可能性もある。
事実、多佳子は妻を呪い殺すため、藁人形を作り北の山の神社に行った。実際に、御神木に打ちつけられた藁人形も見つけた。
最近、妻の体調もよくない。
そんな妻の様子を見とがめた世津子が、毎日のように自分の元へやってきては、愚痴をこぼす。
何とか彼女をなだめるものの、もはや利蔵自身、精神的にも限界を迎えようとしていた。
「どうしたらいい。どうしたら……」
利蔵は頭をかきむしり苦渋の声をもらす。
ふと、突然文机の灯りがちらちらと明滅して消えた。
障子の向こうから差す薄暗い月明かりが、蒼白い光を放って畳の上に落ちる。
利蔵はゆっくりと顔を上げた。
その顔に緊張が走り、しばしその場に硬直したかのように動けずにいた。
外から奇妙な音が聞こえてくる。
まるで土を掻くような音。
「誰かいるのか?」
外に向かって小声で問いかけるが、返事はない。
利蔵はそろりと立ち上がり、障子に手をかけ恐る恐る開けた。
庭に植えられた木々。
おのずと、利蔵の目が多佳子を埋めた一本の木に向けられる。
突然、その木の根元がぼこりと盛り上がり、そこから血にまみれた手が現れた。
土を掻き、這い上がるようにして多佳子が現れる。
「来るな! 消えろ!」
腰を抜かし、利蔵は腕を眼前で交差させ、目の前の恐ろしい光景から顔を背ける。
辺りが静かになった。
怖々と覆っていた腕を解き目を開けると、多佳子の姿はなかった。
利蔵は大きく息を吐き出した。
身体が震えた。
胸の鼓動がトクトクと鳴っている。
恐怖と罪悪感で悪い夢を見ていたのか。そのせいで、あり得ないものまで見てしまうようになったのか。
生前の多佳子にしつこくつきまとわれて悩まされ、さらに、彼女が死した後も、これほどまでに怯えさせられるとは予想もしなかった。
いや、僕が多佳子を気にしすぎなんだ。
そう思って緩く首を振った瞬間、目の端に何かが映った。
その何かが押し入れのあたりだった。
ごくりと唾を飲み下し、利蔵はゆっくりとそちらの方をかえりみる。
悲鳴が喉の奥に絡みつく。
締めてあった押し入れが半分だけ開かれ、その下段に丸く人がうずくまっていた。
それが視線を上げゆっくりとこちらを見る。
乱れた長い髪にやせ細った身体。
前髪の隙間からのぞく大きな目。
ニタリと笑う口元。
「い、いつの間に! なぜ、そこにいる!」
押し入れから這い出た多佳子が、畳を這いずるようにしてこちらへと向かってくる。
「やめ、やめろ……」
多佳子の腫れ上がった顔。飛び出しそうな眼球。ごぼりと口から大量の血がこぼれた。切り裂かれた腹から腸がはみ出し、それを引きずりながら畳を這いずってくる。
近づいてきた多佳子の右手が膝にかかった。
ひやりとしたその感触に利蔵はびくりと肩をはねあげる。
着物が多佳子の手に付着した血で、しっとりと濡れた。
はみ出た腸が、押し入れから蛇のように引きずっている。
血の気のない真っ白な顔に、血走った眼がじっと利蔵を射貫く。
「やめろ! 頼むからやめろ!」
手を振り回し、利蔵は絶叫する。
「旦那様、たいへんです!」
「誰か来てくれ!」
その声に助けを求めるように利蔵は声を張り上げた。
障子が開かれ、下働きの男が飛び込んできた。
その顔は真っ青であった。
「奥様が突然倒れて……」
「……なに?」
「息を引きとりました」
息を引きとりました?
しばらく、男が告げた言葉を理解できなかった。
頭の中でその言葉が空回りしていく。
死んだ?
誰が?
妻?
誰の?
ようやく、自分の妻が死んだことを理解し始めたとき、利蔵は正気に戻った。
多佳子の亡霊は消えていた。
ー 第27話に続く ー
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