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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第32話
◆第1話はこちら
第4章 村はずれの社に住む男
4 見てはいけない それはよくないもの
思っていたよりも高木の家に長居をした。
すでに日も落ち、屋敷についた頃には辺りには宵闇がせまろうとしている。
駆け込むように屋敷に戻った雪子を待ちかまえていたのは、案の定、世津子のお小言だった。
さも帰宅した雪子と玄関先でばったりと会ったという素振りをみせる世津子であったが、おそらく雪子が戻るのをずっと待ち続けていたのだ。
こんな遅くまで、いったいどこに行っていたのだと問い詰める世津子に。
「すみません。少し外を歩いていました」
と、曖昧に言葉をにごしてこの場をやり過ごしたが、閉塞した村のこと、明日には鈴子のことも、村人の誰かから聞いて世津子の耳に入ることは間違いない。
だから、隠しても無意味であることは分かってはいるが。
「いいですか……」
言い含めるように世津子のお小言は続く。
いい加減、利蔵の嫁として自覚をもって欲しい。
利蔵家の家風にあわないことはやめて欲しい。
何度も聞かされたそれらの言葉の最後を締めくくるように、決まって利蔵の跡継ぎを産むことがあなたの仕事だと釘をさされる。
延々と続く小言に、雪子もぼんやりとした頭で聞き流した。
〝たかこ〟のことが気になっていたからだ。
そんな雪子の気がかりに、まるで追い打ちをかける出来事がその夜あった。
お風呂に入るため主屋から外に出た雪子は、偶然にも使用人たちが交わしていた会話を聞いてしまう。
彼女たちの側には屋敷で働く使用人が寝泊まりする別棟がある。仕事が終わり部屋に戻ろうとした途中での会話だったらしい。
「本当にあの余所者の女に跡継ぎなんてできるのかしら」
「さあ、どうかしらね」
余所者の女という言葉で、自分のことを噂しているのだと思った。
どうせ聞いても気分のよい話ではない。
彼女たちの会話をこれ以上聞くまいと、そのまま風呂場に向かおうとした雪子の足が呪縛をかけられたようにその場に止まった。
使用人のうちの一人が口にした名前のせいであった。
「だって、多佳子のせいで……」
その名前がでた途端、別の使用人がしいっと口元に手をあてた。
「この屋敷でその名前は出しちゃいけないって、知っているでしょう? 大奥様に知られたら、あなたこの屋敷にいられなくなるわよ」
咎められたその使用人も、あっという顔で慌てて口元に手をあてた。
「とにかく、その名前はこの家にとって……」
声をひそめたため、どんなに耳をそばだてても、そこから先の会話は聞き取れなかった。
これは冗談ではなく隆史は、たかこという女性と何かしら関係があるのか。
それも、使用人公認の仲。
もしかしたら、隆史の以前の恋人か、亡くなった奥様、あるいは愛人。
雪子は静かな笑みを口元に浮かべた。
隆史は若くて誰もが見とれるほどの端整な顔立ちだ。それに、立派な名家の当主。
村の若い娘たちが隆史に思いを寄せないわけがない。
おそらく、彼に熱をあげた女性たちと付き合ったこともあるはず。
そういう女性がいてもおかしくはない。
結局、自分は夫にも必要とされていないのかもしれない。
雪子の胸のうちに、ますます不安という黒い影が落ちていった。
だが、その夜起こった奇怪な出来事に、雪子の抱いた思いは違う方向へと向かい始める。
深夜、隣の布団で眠る隆史の口から呻くような声を聞き、雪子は目を覚ました。
「隆史さん?」
小声で呼びかけてみるが隆史は目を覚まさない。悪夢にうなされているのか、相変わらず苦しげな呻きが隆史の口からもれる。
外からは、風によって枝葉がこすれる音がかすかに聞こえ、ゆらゆらと揺れる木の影が障子に投映されていた。
突然吹き抜けた冷たい風に雪子は背筋をぞくりとさせる。
隆史さん?
身を起こし、隆史の肩に手を伸ばそうとした雪子の手が虚空でとまった。
胸がどきりと鳴る。
伸ばしかけた手が小刻みに震えた。
隆史の布団が足元から盛り上がり、それが徐々に足元から膝、腰、そして胸のあたりまでと膨らんでいった。
まるで、隆史の布団の中に、誰かが入り込んだように。ひときわ盛り上がっている部分はおそらく頭か。
しらずしらず、雪子は呼吸を止め、それの正体を見届けていた。否、本当は目をそらしたかったのに身体が動かなかった。
やがて、隆史の首元のあたりから黒い塊が現れた。
質量の多い、長い髪だった。
それは、眠る隆史の顔の横に両手をつくようにして、じいっと隆史の顔を見下ろしている。さらに信じられない光景が雪子の目に映る。
その得たいの知れないものが隆史の唇に己の唇を重ね、執拗に貪っているのだ。
「うう……」
隆史の口から再び呻き声がもれる。
見てはいけない。
そこにいるのは、よくないもの。
そう思いながらも、恐怖心よりもその者がいったい誰なのかを確かめたいという気持ちが勝り、雪子の視線がそれに釘付けになってしまう。
顔を覆う髪のせいでそれの顔は見えない。
「た……」
夫の名を呼ぼうとしたが声にならなかった。
悲鳴が喉の奥に絡みついて言葉を発せられない。
だれ?
はたしてそれを誰といっていいものか。
なぜなら、それは明らかに生きている人間ではなかった。
だが、なぜそれが隆史にまとわりついているというのか。
女の首がまるで壊れたからくり人形のようにぎこちなく動き、こちらを振り返る。長い髪の隙間からのぞく、血走った白目にぎょろっとした大きな目とかち合う。
雪子は慌てて目を閉じて首を振り、もう一度目を開け怖々と隆史を見る。
そこには何もなかった。
悪い夢でも見たのだろうか。
「隆史さん、起きてください。今隆史さんの……」
何度も隆史の身体をゆすって起こそうとするが、やはり目を覚ます気配はない。すると、唸るような声で隆史の口から。
「たかこ……」
という寝言がもれた。
◇・◇・◇・◇
寝言で呟くほど隆史が、たかこという女性を思っているのかと思うと、昨夜はやりきれない気持ちで眠れず、とうとう一睡もできないまま朝を迎えた。しかし、徐々に気持ちが冷静になっていくと、思っていたよりも衝撃はなかった。
この村に来て、たかこという名をいくどか耳にした。
たかこという女性はいったい誰なのか。
本当に存在するのか。
なぜ、隆史がその名を寝言で呟いたのか。
それに、昨夜のあれはいったい、なんであったのか。
いくつもの疑問が脳裏を駆け巡っていく。
手っ取り早いのは隆史に直接訊ねてみることだが、何となくためらわれた。
ならば、他の誰かに尋ねるしかない。
そう思った雪子の行動は早かった。
村の誰か一人くらいは話してくれる者がいるかもと思い、意を決し屋敷を抜け村の広場に向かうと、村人たちは雪子に向けてきつい眼差しを向け、中にはあからさまに顔を背ける者がいたりと反応は様々だ。
この状況に慣れはしないが、あきらめを抱くようになった。
いつかは村の人たちとも打ち解けられると思ったが、余所者はいつまでも余所者扱い。
だが、そこで雪子は何か思いついたように足を止めた。
ならばなぜ、村の有力者でもあるべき利蔵家が余所者の女を妻として迎え入れたのか。これだけ、余所者を嫌う風習がいまだ根強く残っているというなら、村の女性を妻に迎えればいいではないか。
若くて健康な女性はもちろんいる。それどころか、年頃の娘たちは隆史の姿を見かけると頬を赤らめ、うっとりとした眼差しを向ける者もいることを雪子は知っている。
隆史に思いを寄せ、妻になりたがる女性はたくさんいるのだ。
もし、利蔵の家筋に相応しい女性が村にいないというのなら、雪子だって小さな神社の娘だ。
資産があるわけでもないし、それどころか借金もあった。
雪子自身も飛び抜けて美人というわけでもない。それに、世津子に言われている通り、年もいっている。
なのになぜ、隆史はわざわざ自分を選んだのか。
なぜ、村の女性ではだめなのか。
これまで考えもしなかったいくつもの疑問が、脳裏に浮かんでいく。
再び視線をあげると、数人の村人が輪になり、こちらを見ながらこそこそと会話をしていた。
雪子はぐっと手を握りしめ、彼らの元に向かって歩き出す。
よもや、雪子の方から近づいてくるとは思いもしなかった彼らは、あからさまにぎょっとした顔をする。
「すみません。お尋ねしたいことがあります」
雪子の問いに、予想通り村人たちは口を噤んだまま。
それでもかまわず雪子は続けた。だが、雪子の口からでたその名前に、村人たちの表情が一瞬にして凍りつく。
「たかこさんに会いたいのですが」
村人たちは引きつった顔のまま一歩、また一歩と後ずさる。
「教えてください。たかこさんは……」
「やめてくれ! その名前は出すな!」
「これだから余所者は!」
「たかこさんに会ってみたいのです。たかこさんはどこにいるのですか?」
逃げようとする村人の一人を捕まえ雪子はしつこく問いつめる。他の者は遠巻きに、雪子と憐れにも雪子に捕まった村人を見つめていた。
「知らねえよ」
「そんなはず、ないですよね」
「知らねえって、あんたもしつけえな!」
けれど、雪子は引かなかったし、遠慮もしなかった。
「たかこさんはこの村の人ですか?」
「だから!」
「教えていただけるまで、この手を離しません」
よほど雪子の形相が切羽詰まったものに見えたのか、とうとうその村人は観念して重い口を開いた。
「会えるわけがねえ!」
「どうしてですか?」
「どうしてもこうしても、曽根多佳子は」
「曽根多佳子、というのですね?」
「ああ! 多佳子は死んだ」
「死んだ?」
村人の言葉を雪子は繰り返す。
「ああ、死んださ。二十年以上も前にな!」
二十年以上も前に、たかこは亡くなっている。
「まったく、あんたはとんでもねえ女だ!」
「恐ろしい。くわばらくわばら」
雪子は茫然とその場に立ち尽くした。
ー 第33話に続く ー
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