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初恋 第14話

  ホテルの警備員がやって来てから、父は彼とずっと話をしていた。少し経ってお医者さんもやってきた。僕はお腹を押さえながら母のそばにいた。母はまだ眠っていた。父は手にかすり傷を負っただけで、どこも怪我をしていなかった。

ドクターは僕と母を診察した。母に向かって言った。
「睡眠薬を飲まされましたな」
お医者さんと警備員は同時に言った。三時間ほど経って母が目覚めた。それから父と母はずっと相談していた。僕はまだ、体の震えが止まらなかった。

 次の日、僕達の旅程は変更になった。父は、これ以上、ここにいるのは心配だからと言って、行程を一日短縮した。ホテルの支配人は、警察に来てもらうと延泊を促したが、両親は拒絶した。下手をすると、事情聴取になって、父は学会に出られなくなる可能性があった。

私たちは被害者で加害者じゃない。何も知らないし、私も息子も泥棒には心当たりがないと、父は主張した。(僕が何か言おうとすると、父は目で何も喋るなと合図した。)それに事件は未遂だし、ことを荒立てるのは、ホテルの評判からすると如何なものか? と逆に父に説得された支配人は穏便に済ますことを渋々承諾した。

父は学会のためスイスへ向かい、僕と母は帰途につく。そうと決まれば、善は急げ。ここには一刻も居たくない。チェックアウトして、タクシーが迎えに来た時、僕は本当に安堵した。後部座席から振り返ると、ホテルの玄関にいつものツアーバスが止まっているのを見た。本来なら今日もあれに乗るはずだった。添乗員らしき人はいなかった。バスの前で当惑顔のアメリとクレジオが立っていた。
 
車の中で、僕は父に尋ねた。まだ、僕の耳元にはあの女の声が残っていた。
「お父さん、犯人と戦ったんだね。ひょっとしてメアリーとジョン?……」
「さあ……、覆面をしていたから分からない」
「でも、あれは確かにメアリーの声だったよ」
「お前、相手の顔を見てないんだろ?」

 確かに僕は女の人の声を聞いたが、彼女だと確信を持てなかった。それに……、もうこの話を続けるのはやめよう。
「僕、お父さんのような勇敢な人間になりたい。頭が良くて」
「大丈夫さ。そうなる、きっとそうなる」
 父は突然、僕をぎゅっと抱きしめた。僕は少しびっくりした。今までこんなに強く抱きしめられたことは無かった。

「愛してるよ」
 と父が言葉を続けた時、思わず僕は父の顔を見た。父の顔には微妙な表情が浮かんでいた。さらに、彼の目は心なしか潤んでいた。父は、僕以上に僕を失うことを恐れたのだ。僕はそう理解した。僕は父を思い切り抱きしめた。母も加わった。

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