見出し画像

複雑性PTSD/CPTSDと二次被害。生き地獄、安楽死。



元々不眠症だか、サイコの攻撃に加え

寝れない日々が続いている。

今年の特に4月頃から、

長い期間出来なかった事に関して

大きな壁をぶち破り、沢山出来た事がある

今年は飛躍の年だ。

今年、以前できていた事をまた出来るようになれなければ

もう、後はない。時間がないと決めて行動にうつしてきた

そのはずだった

しかし、達成できていく度に

その一方で、言語化できない何か重たさを胸に感じていた

複雑生ptsd/cptsdと一口に言っても色々ある。

一般的な概念として、PTSDは、一時的、短期間のトラウマ被害により発症する

それに反して、加えて、CPTSDは、長期間、人によっては、人生で殆んどの期間、過酷な環境でトラウマ被害に晒されている被害者を示す。そして、大きな特徴、違いは、CPTSDの殆んどの被害者/サバイバーが、長期間にわたる、性的虐待もしくは、暴行を受けていた、いる事である。

CPTSDを持つ人は、同時にPTSDも持つが

現時点で、PTSDであると名乗る人が、私はCPTSDも併発、発症しているという風にはなり得ない。

私は、本人様も拡散はされたくないので、名前は伏せますが、大きな性的暴行事件の被害者の方が、日本でもう暮らしたくないとヨーロッパに事件後移住し、パートナーもその国の方で、日本にいると事件を思い出すと共にメディアやら、支援者と言われる人達から、これだけ支援してあげたんだからという二次被害をうけたという、スピーチを夜から深夜近くまで、日本にその為のスピーチだけの為に来日し、苦しい表情の中語ってくれた場に参加した事がある。

私が嫌悪感を感じたのは、ざっとみて、その場に聞きにきている人はサバイバーとは、関係のない目上の人ばかりで、真剣な場所なのに、その方が現れるまで、笑い声をあけて関係ない雑談をしていて、こういう連中が二次被害をもたらしたのだと痛感した。

アンケートで質問を紙にかき、彼女は三人だけ選び、その中の一つが私の問いかけだった。

『被害を受けた後に、どのように他人と人間模様を構築していくことができましたか?私はそれが難しくとても苦しんでいます。』と確か書いたはずだ。

彼女は、私の質問をとりあげてくれ、こう答えてくれた。とても疲弊した状態と厳しい表情で、悪辣な観客を前にして

『信じてないですね。被害を受けて、支援団体の人達が、その僅か数年後に、あれだけ支援してやったのに、まだ立ち直れないのか?まだ元気になれないのか?恩を忘れたかとか、言ってきますから』早口に、もう日本から飛び出して、彼女のもう今は本国である国へ帰りたいと、来たのも後悔してらっしゃるようだった。

私も、憤慨していた。彼女の答えにも、共感しかなかった。そして私もこの質問をできるだけ傷つけないように、書いたが、どんな質問もトリガーになることは、それこそ、被害に大きな差があり、彼女の大きなトラウマにシンクロする想いであった。

その夜、私はその講演があるから、私も行くか?と車に乗せた私の当時の支援団体とまでいかないが、そういう人達の車に乗りながら、物凄く重苦しい気持ちで、長い時間、車にいるのが、苦痛だった。

その人達も同じ類いの連中だったからだ。二次被害の被害者は数えきれない。
支援団体と名乗る有名な団体の実態は、貧困○ジネスである。断言する。

今は、簡単にソーシャルメディアでPTSDです。CPTSD ですと名乗る人が増えてきた。

しかし、知識無く、自称○○の人も非常に多い。

SNSで情報が入り乱れ、自分で詳しく調べず、それに頼ったり、YOUTUBEやメディア、フェイク記事を鵜呑みにしている風潮が懸念される。

そして、時間が解決する

マインドフルネスが解決してくれる

は全ての被害者にはあてはまらない。

一生、付き合っていくしかないのだ。

解決策なんて綺麗事はない。
壊れたというと、関係者ではない外野が何故か自分を粗末にするなと、レクチャーしてくるのだが。

人間は、機械ではない。
限界がある。
何千回と燃え尽きると、もう二度と元には戻れない

廃人になってる人を見ればわかるはずだ。

安楽死を望む人の中でも、CPTSDが完治する事はないと、長年治療の末断言され、最終的に、OKが出され、安楽死した女性も、とある国、ヨーロッパにいる。私が知っているのは、CPTSDで安楽死許可が降りたのは、かなり希で、その一例しか知らない。

一度、本気で飛び降りたり、自殺を心みたことがあり、死にきれなかった人なら、
分かると思うが

私は、死ぬ死ぬという人の気持ちが分かる反面いついつ死ぬと告知し、
周囲に迷惑をかけるから、まだ待つとか

死ぬのは怖くない、とうだうだ言う人にうんざりする。

私が、死ねないのは、

苦しくてこの生き地獄から解放されたいけど
心の何処か奥底では、死ぬのは簡単ではないと知っているから

それは、物理的な面でもそうだし、

人は年を重ねれば重ねるほど、生きる事に執着きてしまう生き物だと私は思う

思春期の子供達の方が、死ぬのに躊躇いがないと私は思うのだ
何故なら私もそうだったし、データーは私は一切信じていないから

しかし、あまりにも追い詰められ、

半分ではなく、廃人化してしまうと、年齢関係なく、人は予想もしない行動をとる

他人を傷つけるか 
己を傷つけるか 

そのどちらかが多い

その中間地点にいる、私も相当ヤバい。

もう、人生の殆んどを雪だるま式のトラウマで、

苦痛、恐怖、失望、絶望感、虚無感などに覆われている。

真っ黒な世界が
真っ白になり

時々グレイの世界に私はいる

真っ黒な世界にまた舞い戻りつつある

真っ白も怖いが。。

沢山成し遂げても、たった一人の理解者が存在しなければ

人は何の為に生きるのか?

生きる理由を考えるなという人は楽しめている人達だ

私が問う時、私は回答を求めてない、

アドバイスも不要

自分の事は客観視してきて、ほぼ理解している
まだ、ブラインドな部分もあるが

ミームは、エンタメだが、私は、作者とは関係ない後から作り出された、SAD PEPEにとても共感していた時期がある。

言葉は不要。あのイラストを見れば、その表情が全てを物語っている。

悲しいペペは、決して死にたくはない。
だが、生きる事にもう耐えられないでいる、