2022.07 奈良・某所
先月、奈良の寺院や神社を訪ねた中でも、蓮の花が見どころであったあるお寺であまりに楽しい出会いがあったので、紹介させていただきたい。
(野生の生き物に関する言及があるので、具体的な場所を一応伏せる。)
蓮の花はこのように鉢に植えられ丁寧に並べられていて、なかなか、圧巻の花景色! とはいかなかったけれど、どの花もはっとするような美しさだった。
きちんと参拝も済ませた後、地図の案内に従って苔庭を目指した。
雨上がりで木陰ですら蒸し暑く、蝉しぐれがまた、その暑さを引き立てていた。
すいすいと涼しそうに飛んでいるトンボが、時々ぶつかりそうになってひやりとする。
ここからは、ほぼ、キノコたちの紹介になる。
そう、今回私がこのお寺で一番多く写真を撮ったのは、キノコだったのだ。
季節と、土地と、天候と、条件が揃っていたのだろうか、今までの人生で一度にこんなに出会えたのは初めてというくらい、キノコたちと対面できたのだ。
ついつい興奮して、たくさん写真を撮ってしまったので、こうして記録しながら自慢したい。
ネット検索をたよりに、上の写真のキノコを調べてみた。
雨上がりのベンチや切り株、木製の手すりや欄干などでよく見るイメージのある、黄色いニョロニョロキノコだ。
これはすぐに見つかった。ツノマタタケというらしい。
美味しくないが、食べることはできるのだとか……?
(素人は食べてはいけません。)
この、白いひょろひょろキノコは、正体がわからなかった。
一番よく見る姿のように思ったが、検索してみるとなかなか似たものの写真は出てこなかった。
これはいずれ、検索よりも図鑑を見てみた方が突き止められるかもしれない。
こちらも微妙にピントがあっておらず、申し訳ない。
発見したときには「わぁ、マイタケだ!」ときゃっきゃと喜んでいたのだが、どうやら本当にマイタケか、その仲間かもしれない。
と、思っていたら、ニンギョウタケやコウモリタケなるひらひらしたキノコの名前も出てきた。
こんなに特徴的なキノコでも見分けがつかない。迂闊に食べてはならないと注意喚起がなされるわけである。
名前を突き止めることはすっぱりと諦め、写真だけを載せていくことにする。
これまた名前を突き止めるのは難題だった。
ディズニーの『ファンタジア』に登場するキノコたちを思い出す。
遠かったので綺麗に撮れなかったのだが、緑にくっきり映えるような赤いかわいらしいキノコだった。
キノコが生えているのは苔のあるところばかりではない。
このように土の上にも、自宅の庭では会ったことのないキノコたちがいた。
このあたりはずっしりと美味しそうにも見えなくもない。
切り株にもぎっしりと、びっしりと、平たいキノコが生きている。
色は地味だがお洒落なキノコもいた。
このように襟巻というか、クラヴァットのようなものを巻いたファッショナブルなキノコも素敵だ。
この二つはおそらく同じ種類だろうか。
もう少し、丸いときの姿も見たかった。
それにしても、キノコ、見えないところにも彩りを持っていたりして、お洒落上級者といった感じだ。尊敬してしまう。
遠くにすっくと立つキノコがいたのでどうにかそれも写真に収めた。
これだけ落ちた枝や落ち葉などがあって、遠くに生えているのでも、キノコはキノコとわかるからすごい。
切り立った、といえるほどの斜面にもキノコは生きている。
3歩歩けばキノコが生えていたので、いちいち立ち止まっていてはキリがないのだが、ついつい嬉しくて、暑くて倒れそうなのに次々にカメラを向けてしまった。
上手く写真に残せなかったのだが、これらのキノコ、白い頭の上にベリーのソースのようなものを湛えていた。
甘い味がしそうだけれど、これだけハッキリ「きれい」な色だと、やはり毒があるのだろうか……。
ここからはまた別の場所で出会ったキノコたちだ。
やはり季節と天候だろうか、ほかの場所に移動してからも、キノコとの出会いは続いた。
帰ってから写真を整理しようとすると、鹿の写真に迫るくらいキノコの写真が多く、我ながら笑ってしまった。
これよりほかにもまだキノコの写真はあったのだが、ここらで切り上げておく。
この他にも地元の水辺では会わない水鳥にも会った。
そして、奈良といえばの鹿たちだが、ちょうど夏は子育ての季節で、おおらかな母鹿などは自ら子供を連れて近づいてくれたりもした。
暑い中、ぐったりと木陰で涼んでいる鹿もいれば、虎視眈々と観光客が鹿せんべいを購入するのを待っている鹿もいた。
今回、私も当然鹿せんべいを食べてもらったのだが、鹿は犬猫よりコミュニケーションが取れている感じがしないなぁと呑気なことを感じた。
気持ちがお互いに一方通行というか。
とはいえ私の主義としては、人間がコミュニケーションを交わせると思ったり、賢いと言っている動物は、人間に合わせてくれる優しい動物なのだと解釈している。
彼らにこちらに合わせる義理はないので、会話が成立しなかったことがあっても、気にしないことだ。
仲間内では変わり者なのかもしれない、人間に優しい個体は、その中にもいるものだ。
随分話がそれてしまった。
結論として、わざわざ目的の決まった観光地で、その目的のものではなく、そこにある自然を見聞きする楽しさに目覚めてしまった私は、できれば今後もそういった楽しみ方をしたいなと思ったのだった。
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