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ワークライフバランス:キャリアと家庭の両立について(1)

こんにちは。特に女性の方からワークライフバランス(キャリアと家庭の両立)について、実体験談を教えてほしいと聞かれるのでまとめてみます。全くキャリア志向はなく、行き当たりばったりの人生なので、あまり参考になるかどうかはわかりませんが。

キャリア意識は皆無の20代

大学に入学したとき、一般企業に就職する気は全くありませんでした。もともと経済やビジネス全般に興味がなく、資格を取って公務員になるかな、結婚、出産したら仕事やめるんだろうな、なんてぼんやり考えていたぐらい、意識の低い学生でした。
法律に興味が持てず、法学部ではなく教育学部に進学し(これが元で親とはしばらく絶縁)、おりしも就職氷河期、就職する気にもなれず大学院に進学(大学院の入試も、倍率が6倍という結構ハードな時代でした)。修士終了後、周りはそのまま博士課程に進学、研究室に残ってアカデミアの道を進む中、象牙の塔にこもるのが嫌で一人外に飛び出しました。

就職先は外資の小さなITソフトウエア会社。コンサルティング部門でプロジェクトベースで日系、外資系の色々な業種の会社(大企業が多かったです)と働く中、次のキャリアとしては製薬が良さそうだとぼんやりと思い始めていた頃。
就職4年目に当時付き合っていた彼(今の夫)が米国東海岸に留学することになりました。1年後に結婚予定(これもバタバタで決まる)となりましたがそれまで待てず、会いに行くために長い休暇が欲しくなり、衝動的に転職。今だから話せますが、その時は結婚したら1年で辞めるつもりでいました。恥ずかしいぐらい若いですね。

前の会社の有給休暇を使い切る形で1か月ほど米国で過ごすうち、「ここでの生活は私には無理」と気づきます。今であれば学校に通ったり、現地のコミュニティに入ったり、色々選択肢を考え付きますが、当時は狭い日本人コミュニティの中に入り、夫の帰りを待つだけの生活。ホームパーティに行っても、男女で分けられてしまう席(これ本当にびっくりしました)。女性陣は専業主婦でお子さんがいらっしゃる方も多く、共通の話題が見つからない。男性陣からすると、私はあくまで夫の付属物であり、個人としては誰も対等に見てくれない。今まで感じたことのない疎外感を感じました。

日本と米国での別居新婚生活

転職後1年で辞めるはずの会社でしたが、急遽予定変更し、米国行きを取りやめました。夫としては一緒に暮らすことを想定して借りた家に一人で住むことになり、不満もたくさんあったと思いますが、他にも現地の生活が合わずに日本に戻ってしまった方もいらしたようで、すんなり私の主張を受け入れてくれました。結婚式は現地で挙げ、別居婚がスタート。
こちらとしては申し訳なさもあり、当時は毎月、2泊4日で日本食持参で米国東海岸に行ってました。日本からの直行便のない場所なので、金曜の午後半休を取って現地の金曜夕方に着き、現地の日曜朝発で月曜の昼過ぎに日本に戻ってくるという、忙しいビジネスマンでもあんまりやらないような強行軍でした(もちろんエコノミークラス、若いってすごいですね)。この時にマイルをためたおかげで航空会社のプラチナ会員になり、ラウンジ使えるようになったのは良かったかも。

子どもを持つ決意をさせてくれた上司の一言

そんな生活も2年ぐらいで終わり、夫も帰国後2年ほどで内資系から外資系の会社に転職。共稼ぎで外食、旅行三昧の生活を楽しんでおりましたが、海外とのやり取りも多い日々の仕事は相変わらず忙しく、時にはタクシーで帰ることも。そろそろ子どもが欲しい、と夫が言いだしてきた時も、あまり両立できるイメージがありませんでした。

そんな時、直属の上司(男性)にそろそろ子どもが欲しいと思っているけれど、今の業務の状況では躊躇ってしまう、という胸の内を正直に打ち明けました。
その時に上司は、業務をどうするかは上司である自分の仕事であり、そんなことをあなたは考える必要はない、ときっぱり。
そう背中を押してもらえたことで、会社には代わりはいるけれど、自分の人生には代わりはないな、と憑き物が落ちたようにすっきりしたことを覚えています。
高齢出産ぎりぎりの年齢で長男が誕生しました。今考えると本当にラッキーだったと思いますし、当時の上司にはとても感謝しています。

私が育休の間、夫はほとんど家事育児をしなかった

息子の誕生とともに新築の家を購入したので、ローンの返済に加え、育休中収入のなくなった私に生活費を渡してくれるようになり、夫が名実ともに一家の大黒柱に。
そうすると私の中に「稼いでいない申し訳なさ」がでてきます。生活必需品以外のものにお金を出すことをためらってしまう。誰かに養ってもらうことがこんなに居心地が悪いなんて。

そして、夫はそれまでは6割ぐらいの割合で家事を負担してくれていたのですが、育休中はほとんどしなくなったのです。当時夫の会社はリーマンショックの影響を受け解体してしまったので、もちろん忙しかったこともあるのだと思いますが、それ以上に育休期間は家事育児があなたの仕事でしょう、と。
結婚前から「専業主婦になりたかったらなってもいいよ」なんて言っていた夫の言葉は、実は「専業主婦になるんだったらプロとして完璧に家事育児をやってね」という意味だったということにもようやく気づきます。

最初私は「出産後、もしかしたら赤ちゃんがかわいくて、仕事辞めたいって思っちゃうかなー」なんて心のどこかで思っていましたが、この時絶対に仕事は辞められない(私はプロ主婦にはなれない)、自分の食い扶持は一生自分で稼げるようにしなくては、と改めて気づいたのです。
当たり前のことなんですけど、会社でも夫でも、誰かに一生養ってもらおうなんて甘すぎるんです。気づくの遅すぎますね。

1年の育休をフルで取得しましたが、復職の日を今か今かと楽しみにしておりました。赤ちゃんと二人きりの生活が続くと、自分が何も生み出していない、社会とつながっていないような錯覚に陥るのです。リーマンショックで乱高下していたFXで小金を稼いだり、リスキーなこともしていました。
今考えると、100%子どもに向き合える貴重な時間だった、と懐かしく思いだします。離乳食とか、全部手作りしたのも良い経験ですね(今だったら絶対にやらない)。

復職後、真剣にキャリアを考えた

明日は何が起きるか分からない、目の前のことをやっていけばそのうちおのずと道は開ける、というタイプなので、今までに将来のキャリアのことをそれほど真剣に考えたことはありませんでした。

復職後はどうしても時間の制約があるので、効率重視、やらないことはやらないと決め、結果につながる最小限の努力で回す。夫も、私の復職後はちゃんと家事育児ともにきっちり分担してくれました。お迎えの日を調節し、残業できる日に海外との会議を入れ、仕事を片付ける、といった綱渡り生活が続きます。残業の日は、帰りになじみのお店で一杯ひっかけていくことも。

そんな中、3か月の米国への出張の打診が入りました。二つ返事で行きます、と答えた私に上司が驚き、家族でよく相談してから回答ください、と言われたことを覚えています。
当時息子は2歳でしたが、自分のキャリアにとってこれは逃してはならないチャンスだと悟ったので、全く迷いはありませんでした。夫はサポートしてくれると信頼していましたし、何とかなるという根拠のない自信も。
双方の両親は遠方に住んでいるのですが、交代でサポートに来てくれました。特に今は亡き義母から、後のことは任せて行ってきてください、と快く送り出してくれたことには今でも大変感謝しています。
もちろん、チャンスをくれた上司にも。

教習所に通い、出発前に急いで運転免許を取りました(結局使わなかったのですが・・・仕事しながら子連れでよく通ったと思います)。海外出張の話はまた別途。

非ラインの管理職(マネージャー)になる

私の部署は専門職の集団なのですが、このままプロフェッショナルとしてのキャリアを歩み続けるのか、それともライン管理職を目指すのか。一般職からマネージャーになるときにどちらを志向するのか、考えるタイミングが来ます。

つづく。



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