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相手不在のパートナー問題の終焉

タイトルはもちろん(?)、パートナーができたという話ではない。

私には二年ほど前までパートナーがいた。紆余曲折あったけれど、二十代の全てを一緒に過ごしたその人は、確実に私のパートナーだった。訳あって一緒に残りの人生を過ごすという結論には至らず、私たちは十数年に及ぶ交際に終止符を打つことになった。

それから二年。私はその間、決まった恋人ができることもなく、30代も半ばになった。周りの友人たちの結婚ラッシュも一通り落ち着いた後で、二年間恋人がいないと、どこかでもう恋人ができることはないのかもしれないと不安に苛まれた。

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私の人生で大きなテーマはずっとパートナー問題だった。幼い頃から両親が不仲で、どうしたら幸せに人と人生を分け合うことができるのだろうとずっと考え続けた。
高校生の時、夜中に辻仁成の『目下の恋人』という映画に出会って、この物語に出てくる未婚の年老いたカップルに憧れた。
このカップルは、主人公ネネちゃんの恋人、ヒムロの祖父母なのだが、いつでも別れられる恋人のまま、一緒にいることを選択し続ける人生を選んだ。
その選択が当時はすごく格好良く思えたし、仲睦まじげに歩く老夫婦を見るとどうしてその歳まで連れ添っても仲良くいられるのかと本当に羨ましく思った。

のちに、十数年付き合うことになる恋人に出会い、数年付き合ってからは、私はきっとこの人と結婚するのだろうと思っていた。

だけど現実は思ったより厳しい。

私は30歳を過ぎて、恋愛市場に再放流された。おそらく多くの結婚したい人が結婚してしまった年齢で、なかなかこの人とと思う人とは出会えなかった。
誰かと人生を分け合いたいとは思うものの、婚活文化にどうしても馴染めず、また、その頃からカナダへ発つことを考え始めていたので、私は結局二年をシングルで過ごした。
カナダへ発つから一人なのだと思ってみても、さみしさは拭えなかった。

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それが、ふっと視界がひらけたように、そんな夜を過ごすことがなくなった。
簡単で、そしてとても難しいことなのだが、自分は自分のままでいいのだと思ったら、全てが大丈夫に思えたのだ。
自分を自分のままで好きでいられると、その時の自分に相応しい人がいずれ現れるだろうと思えるし、もし現れなくても、自分をちゃんと大切にしてくれる人が現れない限り、慌てて誰かと付き合う必要もないと思えた。
そのことに気づくのにだいぶ時間がかかってしまったけれど、日本から遠く離れたこの街で、今日も新しいことを学びながら生きているので、私はきっと大丈夫。

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