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退屈な人生が最高であり、毎日祭りでは困る

本題に入る前に

過去に、毎日が退屈ならギャンブルでもやったらいいじゃないかという記事を書いたことがあると思う。
全てはないものねだりであり、ポジショントークだ。
この記事は暇つぶしで書いているところがあるので深い意味はない。

・・・と思って探してみたらこれかな? ギャンブルではなく神ゲーか。
まあいいやw


本文


私が大学1年と2年の頃。
地元の祭りに高校の友だちと一緒に参加したことがある。
祭りの終盤、私は普段車が多く走っている道路で大の字になって寝ていた。そして、祭りがお開きになると売れ残った屋台のうどんを100円で売ってくれたので、みんなで買って食っていた。なんかめちゃくちゃ楽しかったような記憶がある。

私はとあるコスプレもしていたので、写真もたくさん撮った。水着のようなものをきたおねいさんたちや女子高生たちと何枚も写真を撮った。
こちらからは、一回も「写真を撮って」と言わなくても相手から声を掛けてくれた。有名人になったようななんとも言えない感覚だ。

その日、
「どうせ、人生一回なんだから毎日祭りでよくねえか」とも思っていた。

祭りといっても真剣に踊っている人達が8割ぐらいで、2割ぐらいはただ酒を飲んで歩いているような祭りだった記憶がある。

それでよかった。非日常があった。みんな頭のネジが飛んでいたのだ。
きっと「クラブ」とよばれる場所ではそういう雰囲気なんだろうと想像している。私の家は田舎にあるので、クラブというものに行ったことはないが。


退屈な方がいい

毎日祭りでは困る。

仕事をしていないと世の中が回らないとか、そういう意味もあるのだが、刺激的な毎日はそれはそれで考えものだ。

仮に本当に毎日お祭りで踊って酒ばかり飲んでいたらどうなるのだろうか。
確かに楽しいかもしれない。でも刺激が強すぎる。本当に死ぬまで何十年もその生活が保証されているならいいかもしれないが、自然災害なんかあったりもする。どこかでプツリと現実に戻ったときが災難だ。

刺激的な楽しい生活というのが生活水準になってしまっているから下げることができないかもしれない。きっとできないだろう。

たまにディズニーランドに行った翌日にUSJに遊びに行けないのかな?と思ったりもする。ハードスケジュールだが、楽しいだろう。新幹線で友達とワイワイしながらアホみたいに遊ぶのだ。
もう私はそういう年齢ではないかもしれないが、いいでしょう。ただの妄想だ。最高のともだちとやらがたくさんいたら毎日が楽しいに決まっている。
が、そんな無茶苦茶な生活をしていたら感覚がぶっ壊れるだろう。

一回楽しい思いや、良いことがあれば人間はもっと欲しくなる。
欲求はどこまでもエスカレートするだけだ。

つまり、生活水準を上げるなということだ。私ぐらい本を読みあさって心理学やなんやら勉強している人間でも、生活水準を下げるというのはしんどい。すごい抵抗があると思う。だから浮かれたことなんかするべきではないのだ。これが人生をやり過ごすコツである。

だからこそお祭りは年に1回しかない。そのぐらいでちょうどいいのだ。
毎日退屈な生活をする。お祭りがあれば参加する。少しハメをはずす。
これが大事。つまり、自ら行動をせずに受け身でいけということだ。
自分から主催者になって祭りを作るというのは感覚がぶっ壊れるに違いない。

まあ今の私は、祭りも花火大会も参加しないのだが・・・w
きっとそれは毎日が退屈ではないからなのだろう。好きな本を1日中読んでいて、祭りの頼らなくても楽しくやっている。だから他人が主催している祭りなんかに参加したくないのかもしれない。

月曜日の仕事が鬱。毎日がつまらない。が正しい人生

最近ふと思う。月曜日がしんどくて泣けてくる人がいるらしいのだが、それは幸せなことだなということである。本人はとてもつらいと思っているし、何を無責任なことを書いているのだと思われるかもしれないが、やることがあるというのは素晴らしいのだ。

仮に月曜日、仕事がない。自由であるとなったら人はどうするのだろうか。最初から旅に出るとかそういう大きいことはしないまでも、少しずつ刺激を求めて行動するだろう。ネトゲをやってみたり、投資をしてみたり、つまり制御不能になる。

でも、やることがあれば制御されている。これがとても大事なことだ。

「つまらないけれど、安定している退屈な生活」が素晴らしいのだ。
やることさえやっていれば金がもらえて安定的に生活ができる。これがいい。

刺激を求めると身を滅ぼす。私はそう思う。投資でも短期売買(投機)をすると大損をする。FXや暗号資産で大負けをしたら再起不能かもしれない。

ギャンブルをして楽に金儲けをしようとか、調子にのって起業したりとかすると大目玉を食らう。

そして、大ダメージを食らった後で反省するのだ。

「退屈な人生の方が幸せである」と。

実際私の知り合いの社長は起業して3年ほどで2000万円の赤字を出して会社を潰した。
あのときの社長の顔は今でも忘れない(連絡は取ってないけど)

デスノート1話

確か「退屈だったから」という話をしているシーンがあると思う。うっかり、デスノートを拾ってしまったからおかしな人生になってしまった主人公。

あれがよくない。拾わなければよかったということがある。それによって何かドラマが生まれるかもしれないし最初は良い思いができるかもしれないが他人の死を操れるというのは刺激が強すぎる。
そのうち「行けるところまで行こう」となってしまう。
そして「神だ」と思ってしまう。

まあ漫画のたとえを出している時点でおかしいのだが、そういう感じだ。

「毎日退屈だなあ」と思って生きてる大半の人達は正しい行動をしている。
次に何か新作ゲームが出たり、映画が公開されたりしているのを待っている。それでいい。退屈な生活をありがたいと思えば結構人生も悪くない。

(退屈だけど)