マガジンのカバー画像

立ち読み小説

6
無料公開中の小説一覧です
運営しているクリエイター

記事一覧

トワイライト

1  電車の到着を告げるベルが駅のホームに響いた。  英単語の暗記カードをぱらぱらとめくっていた僕は、その音に顔を上げ、電車の到着を待った。  数秒後、ホームに電車が停車し僕の前でドアが開くと、僕はその電車に乗り込んだ。窓から西日が差し込み、眩しい。夕方の電車は人が疎らで、どこか寂しい雰囲気がある。僕は車内に彼女の姿を認め、いつものように隣に座った。 「こんにちは」僕は言う。 「こんにちは」彼女が応える。 「今日は何の本を読んでいるんですか?」僕は彼女の広げている本に視線を

アフター・グリー

 子供のころに魔法の呪文を教えてもらった。  あれは梅雨の季節の葬式だった。おばあちゃんが亡くなり、みんながさめざめと泣いていたが、僕は涙が出なかった。あの時の僕には人が死ぬこと、その意味を未だよく理解出来ていなかった。  雨の染み込んだ土と線香の匂い。お坊さんの唱える念仏の声。やたら豪華に飾られた棺。そういうものを、どこか遠い世界の写真を見つめるような気分で眺めていた。  おばあちゃんについて僕が知っていることはあまり多くない。数年に一度お盆の季節に会うだけで、

¥100

終わりのない冒険

 友達が一本のゲームソフトを持って遊びにやって来た。  彼の持ってきたゲームタイトルは有名なシリーズの少し前の作品で、僕も発売当時に遊んだことがあるものだった。 「どうしてそんなの持ってきたんだよ」と僕はきいた。 「やりたくなったんだ」彼は答えた。 「昔、一度やったことがあるんだけど、ストーリーがどんなだったか思い出せないんだ。俺の家にこのゲームを遊べるゲーム機がないからお前のとこでやらせてくれよ」  僕は承諾した。僕もこのゲームの記憶はあいまいで、結末がどうなるのか大きなと

¥100

田町くんのこと

 田町くんの家は緩い坂道の途中にあった。  坂に建てられたお宅は、家の中も傾いているんだろうか。ぼくはその家の前を通るたびに、そんなことを考えていた。  初めて田町くんの家に遊びにいったときにぼくは田町くんに聞いたのだった。どうして坂の上にあるのに、家はまっすぐになっているの。田町くんは教えてくれた。「コンクリートで土台を作って平らになるようにしてるんだよ」。  田町くんには兄弟がいない。リビングに通されたぼくは、部屋の中をぐるっと見た。棚に置かれた写真立てには田町くんの両親

五反田さんのこと

 あ、同じだ。と五反田さんに言われた。  なにが? と訊くと、ぼくの持っているシャープペンシルを指さした。五反田さんは自分の筆入れを探ると、シャーペンを取り出した。水色のボディで指を挟む部分に大げさなラバーのついたシャーペンだった。ぼくが手にしているものと全く同じシャーペンだ。 「それ、六角堂で買ったでしょ」五反田さんは言った。 「うん」と僕は答えた。 「あそこ、学校から遠いけど文具の品ぞろえいいよね」 「そうだね。ぼく、六角堂で本を買うついでにいつもあそこで文房具かってるよ

魔法の師匠と温泉にいくはなし

 ぼくは山道を歩いていた。魔法使いになるための修行で、山奥にあるという温泉へ向かっているのだ。  ぼくに魔法を教えてくれる師匠は、ぼくの一歩前を悠々と進んでいる。荷物をぼくに持たせて身軽なのだろう、鼻歌を歌ってハイキングを楽しんでいる。  師匠と出会ったのは二週間前だった。登戸駅で電車の乗り換えをして小田急線へと歩みを進めていたぼくに師匠が声をかけた。君には魔法の才能がある! が師匠の第一声だった。師匠の歳は二十代の半ばか多めに見積もっても三十代の前半で、ほとんど同年代だった