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【大内家の野望 新生】 第12話:織田家征討戦 〜安濃津城の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
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▼第12話:織田家征討戦 〜安濃津城の戦い
■新当主・大内義尊の初陣「久居の戦い」
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大内義隆が引退して、21歳の若き嫡男・大内義尊が家督を継いだ大内家。龍造寺隆信の暴走で急遽、京都にまで迫っていた織田信長と正面対決。背後の今川家や長尾家の援護もあって、織田家は各地に兵力を分散しなければならず、大内軍が次々に諸城を落としていく。
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織田家との戦いのきっかけとなった龍造寺隆信が城攻めに苦戦していた後瀬山城(福井県小浜市)だが、琵琶湖湖畔の朽木谷城(滋賀県高島市)から堀立直正隊が背後を急襲すことで、ようやく陥落。「無理に攻めるな、じっくり囲もうぜ」じゃねーよ龍造寺隆信。おまえのせいで慌てて織田攻めやってんのに。
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内海の琵琶湖には水上ルートもある。琵琶湖東岸の小谷城(滋賀県長浜市)を、朽木谷城からの陸路で北側から攻める吉弘鎮理隊と、琵琶湖を船で東へと渡って南側から攻める陶隆房隊とが攻め落としてくれた。ここを落とせば、琵琶湖一帯を東西からぐるっと制圧できるぞ。
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後瀬山城を攻めていた龍造寺隆信や堀立直正は、その東にある金ヶ崎城(福井県敦賀市)に向かう。ここは城兵がわずか358しかいないが、武勇93という全国屈指の猛将・前田慶次が城主として守っており、武勇88、知略89というなぜかやたら強い謎の忍者・百地三太夫もいる。苦労しそうだ。
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丹波国(京都府北部)などからも大軍を回して、龍造寺隆信隊の金ヶ崎城攻めを後押しする。百地三太夫隊が金ヶ崎城から撃って出たが、数百しかいないので龍造寺隆信も「目障りぞ、消えよ」とノリノリで撃破したようだ。
同時に、毛利元就隊や甲斐宗運隊が琵琶湖南方にある日野城(滋賀県日野町)を落としてくれた。そして、伊賀上野城(三重県伊賀市)から安濃津城(三重県津市)へと自ら向かっていた新当主・大内義尊が、織田軍の一隊に出くわした。武勇87の優れた勇将・森可成(もり よしなり)だ。
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大内義尊軍と森可成軍による久居(三重県津市)での「久居の戦い」が開戦。とはいっても、大内軍が3万なのに対して、森可成軍は1部隊でしかも600程度しかいない。これは余裕だ。大内義尊が討死しないように気をつけなければ。
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若き当主・大内義尊が真っ先に森可成隊に突っ込んで、初陣にして一番槍に。若殿の天下統一事業、幸先がいいですぞ。
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森可成隊は400の兵を失って撤退し、若殿デビュー戦の「久居の戦い」は見事に大内軍が圧勝。大内軍も439もの兵を失っており、やっぱり織田軍の武将たちの強さは流石である。しかし、こちらは個の強さでの戦いではなく、戦略による総力戦で勝ち進んでいこう。
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伊賀上野城からは安濃津城だけでなく亀山城(三重県亀山市)も狙っている。弘中隆包が亀山城城主の滝川一益を闇討ちに成功。これで亀山城の防御力はかなり落ちるはずだ。
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城主の滝川一益が負傷中の亀山城に、鍋島直茂隊・戸次鑑連隊・鈴木佐大夫隊などを西から送り込む。ここが落ちれば、織田家の伊勢国の領地は南北に分断されることになる。
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琵琶湖戦線では、観音寺城(滋賀県近江八幡市)を包囲戦で落とすことができた。報告に来た朝倉一玄って、どこで味方についた誰なんだと思ったが、調べてみたら大友家の臣下である志賀氏の家臣なんだとか。知略81もあるなかなかの智将だ。知らなかった……。
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観音寺城を落とすと、越前国の大名だった朝倉義景が降伏してきた。以前に一瞬だけ同盟を結んだものの、瞬く間に織田家に滅ぼされてしまい役に立ってくれなかったが、こんなところにいたのね……。
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同盟者である長尾景虎(後の上杉謙信)には、さらに後方を揺さぶってもらうべく、能登半島の七尾城(石川県七尾市)を攻めてもらう。織田家の領土は縦に長いので、北陸から兵を回されると面倒だ。
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当主の大内義尊が自ら攻めているということがあってか、織田家は安濃津城に7000近い兵を置いていて、なかなか守備が手堅い。そこで長宗我部元親隊や弘中方明隊など、畿内に配備していた武将たちも安野津城へ後押しに向かわせる。
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さらに、織田家の本拠地・尾張国の喉元にあたる長島城(三重県桑名市)へ、島津歳久隊などを向かわせるふりをする。かなり敵領の奥地なのですぐに落とせるわけがないが、「そこにも来るの?」と敵軍を翻弄するのだ。
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城主の滝川一益が闇討ちで負傷した上に、長島城への援軍を出してしまい兵力が低下した亀山城を、吉弘鎮理隊が攻め落としてくれた。これで伊勢国の織田領は南北に分断されて、南側は本国からの援軍を気にせずじっくりと攻めることができるぞ。
■近江国一帯、そして紀州半島全域をも攻略
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琵琶湖全域を早く押さえたいところだが、佐和山城はかなり鉄壁の堅城で、さらに城主は名将・前田利家とあって、なかなか落ちない。孤立状態になっているからじっくりと攻めていこう。
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若殿がじっくりと攻めていた安濃津城は、新納忠元隊がとどめとなってついに落城。
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すると降伏してきた安濃津城の城将の中に、大友義鎮(後の大友宗麟)がいた。大友家を滅ぼした時に、降伏してくれずに出奔していたが、こんなところにいたのか。家宝にカステラを持って。ここにきて大友義鎮も観念して大内家に使えてくれることになった。大内義尊とは従兄弟の関係ですからね。仲良くやろう。
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紀伊半島で残る城はあと2城。そのうち、鳥羽城(三重県鳥羽市)は大内家の各城から遠く離れているのでなかなか攻められなかった。ここは今川義元軍に伊勢湾を渡ってきてもらって加勢してもらおう。
そして、琵琶湖一帯で唯一残っている佐和山城の攻略だ。力攻めだけでなく、城主の前田利家に謀略を仕掛ける。
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闇討ちが成功して城主の前田利家が負傷したことで、佐和山城の防御力は一気に落ちて、ついに佐和山城を落とすことができた。これで琵琶湖の周囲はぐるっと制圧することができて滋賀県を平定したぞ。
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滋賀県を支配下に収めて、次はいよいよ濃尾地方へと攻め込む。まずは手始めに大垣城(岐阜県大垣市)だ。ここは美濃国(岐阜県)にも尾張国(愛知県)にも攻め上がれる要衝だ。慎重に攻めていくことにしよう。
よく見ると、今川義元がすでに那古野城などを落としていて織田家本拠の清洲城(愛知県清須市)攻めにかかっていて、今川家はかなり尾張国に侵食している。こちらも急がないと、先に織田領を食い尽くされてしまう。
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そんな頃、北陸戦線では金ヶ崎城を攻めていた龍造寺隆信が「前田慶次隊を倒したぞ! 手柄を挙げたぜ!」と意気揚々。え、あの前田慶次を龍造寺隆信が撃退したの? 無茶すんな。
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龍造寺隆信隊が、本当に前田慶次を追い出して金ヶ崎城を攻め落としていた。まあ言うても龍造寺隆信は武勇86、統率85の猛将ではある。無茶な暴走は咎めたいところだが、順調に功を重ねている感じだ。
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南方の鳥羽城は新宮城(和歌山県新宮市)から鈴木佐大夫隊が少数で攻めていたが、今川軍に海を越えて援兵をしてもらっていたので、攻め落とすことができた。これで紀伊半島に残る城は、あと1城のみ。
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家臣が在野から将を見つけ出して登用してきた。三好長慶じゃないか。そう、以前に四国統一を激しく争ったあの大大名・三好家の当主である。滅ぼした時に降伏しなかったので解放してやったが、野に下ってにいたとは。三好長慶は政務93、統率92、知略88の全国トップクラスの逸材でもある。時を経てようやく大内家に参加してくれた。よろしくね。
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そして、広大な紀伊半島の中で唯一残されていた城・大河内城(三重県松坂市)も、孤立状態で織田家本国からの援軍は望めず、鳥羽城の翌月に大内軍の前に陥落。これで紀伊半島は全て大内家のものとなった。
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木曽川と長良川に挟まれた中洲にある長島城を、弘中方明隊が攻め落とした。これで織田家の本国である尾張国への侵攻ルートができたぞ……と思ったのに、これから攻めるべき尾張国の織田家本城・清洲城は、15000の今川家の大軍によって陥落寸前。尾張国はほぼ全域が今川家の手に落ちるか……。
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ほぼ同時に、吉弘鎮理隊が織田家の大垣城を攻め落とした。今川軍は清洲城を奪取して尾張国全域をほぼ手中に収めたため、大内家との戦いで弱まった織田家の領土をさらに侵食していこうとするだろう。同盟者ではあるが、ここらで今川家の拡大を食い止めておきたい。そのためには、岐阜城(岐阜県岐阜市)を大内軍が早急に攻め落として今川軍の北上を防がなければ。時間がない。すぐに取り掛かろう。
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中部地方攻略に本腰を入れるため、本拠地をさらに東へと移しておこう。山口から岡山城(岡山県岡山市)へと本拠を変えていたが、さらに二条御所(京都府京都市)へと移ってきた。二条御所は建設区画も広く商業地も高いため、かなり金銭収支がアップするぞ。いわば当時の首都である京都から、天下に大号令を敷く。
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ここで大内家の支配する城は100城となって、勢力の大きさもぶっちぎりの首位だ。一方、以前には全国3位の大大名にまでなっていた織田信長は、大内家との戦いで城を奪われて兵を消耗して、最大兵力は全国ワースト3位、現兵力で言えば東北4城の蘆名家をも下回る全国ワースト2位まで衰えている。
とは言っても、織田家の持つ城はまだ12城もある。いつ盛り返してくるか分からない。油断せずに攻略していこう。
そして織田家との激しい戦いの間に、また新たな強敵が出現するのだが……。
【武将名鑑】(12)弘中隆包(ひろなか たかかね)
山口の戦国大名・大内家の家臣。安芸国の守護代を任されるなど大内義隆から重宝された知勇兼備の将。「大寧寺の変」の後は陶晴賢(陶隆房)が擁立した大内義長に仕える。毛利元就軍との「厳島の戦い」で厳島渡海に反対したものの、総大将の陶晴賢の強行に従い渡海し、非業の最期を遂げる。
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