見出し画像

モノがありすぎると合理化できない

時短とか、節約とか、割と好きな方です。実験的にやってみて「あ!これは合理化できる」「お?!これはいけるかも」って言う発見は嬉しい限りです。


突き詰めていくと、生活動線を合理化して、最短で到達、できるようにするとか、時間短縮のために、段取りを考えるとか、そんなことをやっていたりします。合理化していくと、余裕も生まれてきますからね。


時間的な余裕もそうだし、金銭的な余裕、そして精神的な余裕も、合理を追求していくと生まれてくると思うんです。


ミニマリズムをベースに、「モノを少なくする」ということは広義には、合理化するってことだと思うんです。モノがありすぎて、どれを選択していいかわからない、右往左往する。合理化していたら、迷いはありません。


逆転の発想で考えてみると「モノがありすぎると、合理化できない」ってことだと思うんです。できないは言い過ぎかもしれませんが、合理化しても効果が薄い、そう感じます。


たとえ、何かを合理化したとしても、モノがありすぎると、まだまだ合理化する余地が残っているし、その合理、せっかくやっているのにもかかわらず、効果が発揮できないし、効果も感じられないことはないでしょうか?


そうなんです。合理化しているのに効果が薄くなっちゃうんですね。


生活を合理化したいなら、まずはモノを捨てる、手放すのが一番先にした方が良いと思います。そして、ある程度モノが減ってきてから「合理化」に着手すると、劇的な効果を感じられるように思います。


まぁ、あまり合理化ばかりしていると、味気ない生活になるかもしれませんが、それは人それぞれ、好みがありますから、大丈夫です。嫌だったら、やめれば良いですからね。


でもですね。


個人的なことを書きますけど、いくら合理化してもし過ぎることはないし、合理化には終わりはないと思うんですよね。


合理化したとしても「モノは残る」わけで、完全には合理化できないと思います。究極の合理化(なんだかよくわからない話になってますけどw)を考えるなら、それは、完全にモノを無くすこと。無になると思います。


だけど、実際やろうとするとそれは難しい。


いやほとんど「不可能」と言ってもいいくらいのことだと思うんですよね。だったら、ゼロにすることはできないのであれば、「合理化」を繰り返して洗練していくのが、良いのではないかと。


合理化することがモノを減らす絶対条件ではありません。ここは注意しておきたいところですが、日々進化するように、合理化を進めていけたらなぁ、って思います。


それでは、また。



この記事が参加している募集

#最近の学び

182,202件

よろしければサポートをお願いします。次の記事の執筆の励みになります!