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これまで発券してきた紙のチケットが捨てらない

前に、地味に捨てられないもの第1位は「書店でもらえるぺらっぺらの薄い栞」だと書いた。

いいですよね、栞。なかったらないで困るくせに、ありすぎても困る。欲しいときにはないのに、欲しくないときにはやけに目につく。まさに小銭と龍角散のよう。

で、最近、部屋を掃除していてまた、地味に捨てられないものを見つけてしまった。


チケット類だ。

今は大抵のものは電子になってしまったけど、少し前はいろんなチケットが紙だった。

ぴあやローチケは、コンビニで代金を支払うと、紙のチケットが発券された。旅行サイトで予約した深夜バスの乗車券もそうだった。映画の半券も捨てがたい。タイトルを見るだけでなんとなく、誰とどんな状況で見に行った映画かを思い出せてしまう。

ディズニーランドのチケットも捨てられない。かつて、ディズニーランドはチケット売り場で購入すると、裏面に様々なキャラクターが印刷されていて「何が出た~!?」と、入園前に盛り上がることができた。

私はけっこうな大人数でディズニーランドに行ったことがあって、そのときのチケットはこんな感じでカラフルで楽しかった。

恐らく、総勢20人以上で行った

それから、美術館や神社参拝のための半券もとっておいてある。金沢の兼六園や21世紀美術館、八景島シーパラダイス、熱海のトリックアート展、京都の地下鉄乗り放題券、海外への旅券。


もしや、これを捨てらないのは私だけなのだろうか。みんなレシートのように捨てているんだろうか。


かつて私をいろんな場所に入れてくれたチケットたちは今、思い出への入園チケットになっている。日付を見るとバックトゥザフューチャーの逆が起こって、ぎゅーーんとその日に私が戻っていく。

隣にいた人、した会話、その日に食べたもの、その場で私が見たもの、撮った写真、聞いた音楽。もちろん全部を思い出せるわけではないし、ぼや~っと靄がかかっている光景も多い。

だけどチケットが、その日私がそこにいたことを確かに証明してくれる。自分しかもっていない思い出や記憶の曖昧さを確かなものにしてくれるのだ。


けっこういろんなところに行った。いろんな映画を見た。何回もディズニーに行った。たくさんのバンドマンに会いに行った。

今、そういう全部が私を作ってくれているのだと思うと、愛しくて愛しくて、チケットが捨てられなくなる。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。