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彼が言ったその一言は、今でも私の”恋人に求める条件”に入っている

「俺はさ、嫌いの感覚が合う人が良いなって思うんだよね」

へえ~って言った私は、その瞬間その人のことが好きだって思った。

大学生のとき、授業をさぼった男女数人で学食を拠点にだべっていた。大学4年間が人生の夏休みって言われるのは、こういうところだと思う。

義務教育と違い、授業は学年ばらばらの何百人とともに受ける。大きな大きな大教室は、映画館のように遠くにいけばいくほど高くなる。どこからでも教授が見えるようモニターまでついている。

でも、これほどまでに大きな教室で、大人数で授業を受けると、たった一人、自分がいなくてもきっと気づかれない。最初は真面目に出ていた授業も、だんだんと手を抜くことを覚える。

出席をとらない授業は出なくてもいい。これが大学生の不文律。暗黙の了解。

そうやって意図も簡単に授業をさぼった私たちは、学食で”恋人に求める条件”を話していた。だらだらと、ただただ時間を消費する。この贅沢の美味しさが今ならわかる。このときの私たちの時間は、圧倒的に贅沢な時間だった。だけどこのとき、この無駄な時間が果てしなく続くんじゃないかと思っていた。

結論のない話題「恋人に求める条件」。

「やっぱり優しさでしょ! 優しさ一択! 優しくなきゃだめだよ!」

「え~そうかな? それってどういう優しさ? 自分にだけ優しいってこと? 周りにも優しいってこと? 周りに優しいはだめじゃない?」

「笑った顔がさ、くしゃってなる女の子が一番だって。けっきょく顔」

「けっきょく顔かい! やっぱり顔は天性の才能だなあ」

とりとめのない、どうしようもない、空気のような会話が生み出されては消えていく。みんなが吐く呼気のような会話。

「で、〇〇くんは?」

それまで「ふんふん」と話を聞いていた彼に何気なく会話を振った私。ちょっと気になっていた〇〇くんに、これはなんとも自然なパス回しだ。

「おれはそうだな~……」

もし、それが自分にあてはまってなかったら? もし、それが自分にあてはまっていたら? 私はどうする?

「俺はさ、嫌いの感覚が合う人が良いなって思うんだよね」

ことり。そう鳴った音は、心臓か。私が彼に落ちた音か。

「嫌い? ふつう好きじゃない? 趣味とか好きなものが一緒なほうがよくない?」私の前に座っていた友達が聞く。ナイス、よくやった。

「だって、好きな人が好きなことしてたらそれでよくない? 興味があったら一緒にできるし、興味がなくても、好きな人が嬉しそうならそれでいいじゃん。しかも好きって割と説明できることが多いと思うんだよね。どこが好きとか、どうして好きとか。

でも、嫌いって結構むずくない? 嫌いな食べ物とかも『なんで』って聞かれたら『なんとなく……』ってなるっしょ。そういう説明できない、なんとなくって、どうしても感覚的なものだと思うからそこが一緒の人がいいんだよなあ」

確かに! と周りから賛同の嵐がふぶいた。

「おまっ! そんなこと考えてたんかい!」と、彼の隣に座っていた男の子が肩をばしばしと叩く。痛いって、と笑う彼と、それを見て笑う私たちは、健康的に爽やかで、若かった。

数日後、彼には年下の彼女ができた。

彼と好きが合いそうな彼女。そのとき私は、この子と「説明できない、なんとく」の嫌いも合うのかあ、と思った。私だって、彼と「説明できない、なんとなく」の嫌いが合うかもしれなかったのに、それを知る前に私は蚊帳の外にはじき出された。

果てしなく続きそうだった甘やかな時間は、4年間でちゃんと終わった。

今になって、彼が言っていた恋人の条件はその通りだな、と思う。社会で働いていると、自分と合わないなと思う人がもちろんいる。”合わないな”と思う瞬間は、私がされて嫌な連絡の仕方であったり、話し方であったり、笑い方であったり、ほんとうに些細な「嫌だな」から生まれる。

でもそれは説明できない。なんとなく「嫌だな」と感じる。

「嫌い」の感覚を彼と合わせることはもうないけれど、彼が言ったその一言は、今でも私の”恋人に求める条件”に入っている。


”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。