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背中を撫でてあげることで和らぐのなら

過去を振り返ると、「どうしてあのとき、あんなに不安になっていたんだろう?」と思う出来事がいくつかある。

例えば、大学受験のとき。私はこの受験で人生のすべてが決まる、と思っていた。地元を飛び出して東京の大学を受験した私は、大学に落ちたらこれからの人生お先真っ暗、と不安だった。もちろん試験だから、そうなる気持ちもわからなくない。だけど今なら、大学受験ぐらいは、人生のすべては決まらないと知っている。

例えば、大学に入学してすぐ、どのサークルも新入生を勧誘するためにお花見やコンパを企画していた。私はそれに参加するには不安と勇気を天秤にかけて、勇気に傾いたときにしか参加できなかった。なぜかめちゃくちゃ不安がつきまとっていた。しかし今思えば、そんなに身構えるほどのものでもない。いろんなサークルを見たり、友達を作るチャンスだったから、もっと気軽に参加すればよかったなあ、と思う。


不安な気持ちとは、背中だ。自分が持っているものなのに、自分ではうまく認識できない。どうやったって背中を見ることができないように、自分自身ですら不安の正体を自覚するのは難しい。

「どうしてあのとき、あんなに不安になっていたんだろう?」と思う出来事の中でも、特に忘れられないのが中学3年生のときのことだ。


「誰にもこの気持ちはわかんないよ!」

私は、そう怒鳴り散らしてダイニングテーブルに突っ伏した。膨らんだ不安という名の風船にぷつりと針が触れ、それまで堪えていた涙がばたばたと溢れる。両親と姉は呆れ顔で私を見ていたに違いない。


そもそもこうなった原因は人生で初めての大きな分岐点、「高校受験」だった。6月に部活を引退し、9月に最後の学園祭を終えた。残るイベントは「高校受験」のみ。

私の地元は、”田舎”というには発展しすぎていて、”都会”というには遅れすぎているようなところだった。小学校、中学校は誰もが地区にあるところに通う。そして、ほとんどの人が地元の県立高校を受験して、進学する。

大学生になって、都会では中学受験が主流なことを知った。大学付属の中学校を受験して、高校と大学はそのままエスカレーターが普通、と友達から聞いた。選択肢が多いからこその環境だな、と羨ましく思った。

田舎とは、マーク式の問題だ。選択肢が4つぐらいしかない。それはこういうときに顕著になる。

家から通える県立高校は、賢い、そこそこ賢い、勉強より部活、工業高校、しかなかった。ごくまれに、県外の高校を志望して、寮生活を考えている子がいたりすると、すぐに話題にあがる。

小さなコミュニティである田舎は、マーク以外を選ぶことはとにかく珍しい。

私はというと、勉強は嫌いではなかったし、ほどほどに学力もあったから、賢い高校が志望校だった。


「受験」というイベントを経験した人ならわかるかもしれないが、受験には併願という制度がある。併願とは保険。志望校とは別の学校に応募して、万が一志望校に不合格になったとしても、併願校に合格していれば、そちらに行くことができる。受験でもっとも大切なのは「勉強」と、志望校と併願校の「戦略」だ。

併願すれば路頭に迷うことがないから受けたほうがいい! と思うかもしれないが、併願校にも試験がある。受ける、となればその分、試験対策をしなければならない。志望校の勉強だけでなく、併願校独自の試験傾向を分析し、過去問を解く時間を作らなければならなくなる。

私は、併願をするかしないかぎりぎりまで迷っていた。

通っていた塾の先生や両親からは、志望校に行けるだけの学力はあるから心配しなくていい、つまり併願はしなくていい、と言われた。もちろん私もそのつもりで、志望校に「自分なら受かるだろう」と根拠のない自信があった。

しかし、試験が近づいてくると少しずつ、その自信は不安に変わった。「ほんとうに大丈夫だろうか?」勉強しながら、不安がふくふくと膨らんでいくのを感じていた。

併願校の締め切りが明日に迫ったその夜。私は両親に話を切り出した。


「あのさ……やっぱり併願したい、と思ってるんだけど……」


「え~? どうして? 絶対大丈夫だって」の言葉を皮切りに両親は、「大丈夫」と「平気」を乱射した。そこに、部活動を終えた姉が帰ってきて、「しなくていい」の援護射撃が加わった。最初のうちは「だって、不安なんだもん」「落ちたらどうするの」と私も応戦した。

しかし、話は平行線をたどる。「併願したい」と私。「しなくていい」と両親、姉。そしてついには、私の気持ちがだんだんと温度を上げ、爆発した。


「誰にもこの気持ちはわかんないよ!」


抱えきれなくなった不安が破裂したのだ。悲しくもないのに涙が止まらない。突然のことに両親と姉は驚き、突っ伏した私に向かって「なんでそんなに不安なの」と諭すように聞いた。

わからない。だって、落ちたらどうしよう、という気持ちが勝手に生まれるんだもの。受かりたいし、今、受かるように勉強はしているけど、それで大丈夫だとはどうしても思えない。両親との話し合いは1時間ぐらい続いたと思う。

そうして結局、私は併願をしなかった。

担任の先生や、部活動の先生にも相談した。決め手となったのは、「田辺さんが想像するような試験ではないと思う」と渡された過去問で、どの年でも平均点以上が出せたからだった。

その後、3月に試験を迎え、無事に合格。4月から入学することができた。


今でもこのときのことを思い出すと「どうしてあんなに不安だったんだろう?」と不思議になる。

私はあのとき、「大丈夫だよ」と言われれば言われるほど不安になった。
それまで見えなかったから何ともなかったのに、その言葉に背中を撫でられ、そこに不安があることに気づいてしまったのだ。

このことに気づけた今は、触られて初めてわかる、なんてことはなくなった。私には、常に薄く不安がある。見えないけれど、そこにあることをわかっている。

あのとき泣いた私がいたからこそ、今はこうしてどっしりと構えていられるのだと思う。

そして同時に、周りの人にも同じように見えない不安があるかもしれない、と想像することができる。誰しも、いつもその背中に不安を背負っている。本人でも気づかないような、見えない不安を。

だからこそ、もし不安になっている人がいたら、その背中をそっと撫でてあげたい、と私は心がけている。

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