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「愛」について、私はまだまだ何も気づけていない

今日、表参道にあるスパイラル1階で行われていた「100色の結婚式−2100年までにカタチにしたい100のこと−」展に行ってきた。

このイベントで、ウエディングフォト展示があるんだけれど、友達がモデルとして参加したそう。

昨日の夜、インスタグラムのタイムラインを見ていたら彼女からその投稿が流れて生きた。ふと会期を見ると今日までで。すっごく仲が良かったわけじゃないけど、私は彼女のスタンスのファンだったから、入場のチケットを取った。

大学時代、同じサークルで出会った彼女。彼女のスタンスのファン、というのは、彼女のオープンマインドが私には強烈に眩しかったからだ。

高校時代に留学経験をもつ彼女は、心持ちがとても大らかで、そして情熱的だった。嫌なことは嫌だというし、愛しているものには愛していると太陽のような温度で叫ぶ。
彼女を見ていると、(行ったことがないけど)スペインを思う。情熱の国スペイン。色だと赤、お湯だと熱湯、ダンスだとフラメンコ、花だとバラ。そういう感じだ。

アグレッシブ。ダイナミック。だけどそこに厭らしさとか、大胆さに伴う下品さみたいなものはない。上品で質が高いのだけれど、ホットホットな子なのだ。

そんな彼女が、どうして今回このイベントでフォトモデルを務めたのか。彼女は昨年春、2回り上のカナダ人男性と結婚した。

大学生のとき、バイト先にお客さんとしてやってきた彼に、アルバイトだった彼女は一目惚れ。アプローチの仕方も、とても彼女らしい。一応お客さんと店員さんだから、まずは彼のお冷を注ぎまくるところからスタート。減ってはすぐさま注ぎ、減っては注いだ。のちのちわかったことで、彼は普段からめちゃくちゃ水を飲む人だった。

その後、そんな彼女に気づいた彼から連絡先を渡し、デートを重ねた。大学生の彼女と、会社員として年相応の役職をもらっていた彼。初めはお互い、年齢が離れていることをわかってはいたけれど年齢は明かさなかった。ここがとても彼女らしい。

もちろんお互い年齢を知って、「そ、それは……」となりたくなかったからだけど、それでも私だったら最初のデートで「おいくつですか?」と聞いてしまいそうだ。
彼女は年齢を聞いたあとも、「それでも私はもっともっとあなたのことを知りたい」そう英語で伝え、彼とお付き合いをするに至ったのだ?

100色の結婚式。彼女の他に飾られていたウエディングフォトも素敵だった。異性、同性、動物、距離、国籍、無機物、年齢。たくさんある結婚の要素を見させてもらった。彼女を含めたどの写真も、夫婦は顔つきが似ていた。一緒に居続けると赤の他人からちゃんと、身内になるのだなあと思った。

身内。体の内側に相手の部屋ができるみたいだ。相手の存在が自分の中に入り込んで、自分の存在が相手の中に入り込む。

さらに、このイベントに寄稿した又吉直樹さんのエッセイがこれまた素敵なのだ。

この記事にちょっとあらすじが載っているのでよかったら。簡単にいうと、未来の自分の子孫から手紙が届く、というストーリーだ。

その手紙の中、未来の子孫からみた曾祖父母(これが又吉直樹さんの孫にあたる設定)がお互いに言っていた一言が書かれているんだけれど、それが「結婚」を訳しているのだ。

夏目漱石が「愛しています」を「月が綺麗ですね」と訳したように。チオビタドリンクのCM、朝食のときに妻役の水川あさみさんが「あれ、私のウインナー1本多いよ?」というと、旦那さん役が「それ、愛だから」と言ったように。

いろいろな「結婚」の訳し方があったのだけれど、特に私が好きだと思ったのを紹介。(ちゃんと覚えてないので曖昧です)

「『ごめんね、こんなに老けちゃって』と僕がいうと、『老けた姿も想像して結婚したから全然余裕』と言われて、マジ嬉しい」

「月が綺麗ですね」を「愛」だと思うこと。「老けた姿を想像してたから余裕」を「結婚」だと思うこと。そういう自分だけの定義に気づけたら、愛も結婚も深いものになるのかもひれない。

私は、まだまだまだ「愛」については気づけていない領域が多いなあ、と思った1日だった。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。