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【歴史小話】優れている。【超短編】

イギリスの哲学者、ハーバート=スペンサー
提唱した社会進化論(社会ダーウィニズム)。

〔ハーバート=スペンサー(Herbert Spencer)〕

社会進化論とは、ダーウィンの進化論が人間社会の理解にも応用された理論である。

簡単に説明すると、社会は弱肉強食である為、能力のある者が生き延びるとした理論である。

この理論は後に、帝国主義の植民地支配の正当化や、優生学・反ユダヤ主義の根拠として使われた。

19世紀末から第一次世界大戦の時代にかけて、欧米列強は世界を自らの植民地や勢力圏に分割した。

文明化され優れた国々が、未開の劣った国々を支配するのは弱肉強食の社会にあっては当然だとされた。

20世紀には、優生学による人種政策によって、「絶滅政策」の名の下に大量虐殺が行われた。

優れた者を生かし、劣った者を殺すのは弱肉強食の世界にあっては当然だとされた。

しかし、「優れている」とは一体どういうことだろうか。

優れた国と劣った国。
どこを比べて優劣の判断を下すのか。

文化に優劣など存在しない。
で、あれば生産力・富の量で優劣をつけるのか。
だが、そこには優劣ではなく、ただ強者か弱者かの違いしかない。
強弱は決して優劣とイコールではない。

優れた者と劣った者。
どこを比べて優劣の判断を下すのか。

個人に能力の差があるのは当然だ。
しかし、それは優劣ではない。
現代では、それを個性と呼ぶ。
能力によってのみ個人を判断するのは危険だ。

結局、国と国、人と人を比べて優劣を下すことは出来ない。

優劣とは、強弱を覆い隠す為の言葉でしかない。

もし、優れたことを盾にして、劣っているとする人々を攻撃する集団があれば、それは強者が弱者を虐げているだけでしかない。
ただの「弱い者いじめ」だ。

人は「価値」の優劣ではなく、その「尊厳」で理解されなければならない。

人類はそれを夥しい死体の山で学んだ。

人が人を貶める権利なんて誰も持ち合わせていないし、まして優れていると自負する自国の価値観を他国に押しつける権利もないのだ。

それを忘れた時、時代は逆行する。

再び私たちの前に夥しい死体の山が築かれることになってしまう。

それだけは、何としても避けなければならない。

(終わり)

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