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その「楽しい」の価値を考える。

皆様こんにちは PICOです。

私は基本的に仕事が終わるのが19時頃でして、帰宅する頃には約20時なのですが、それから着替えたり、シャワーを浴びたり、食事をしたりしていると、気付けばあっという間に時計の針は21時を差しています。

毎朝大体6時には起きて仕事の準備をするので、出来るだけ平日は23時頃までには寝ようと思っているのですが、そう考えると1日のうちで自分の自由な時間と言うのは【21時~23時】までの約2時間程度しかない事になります。

コレは社会人は勿論、学生さんでも同様の事が言えると思います。

学校(授業)が終わり「部活動」や「学習塾」や「アルバイト」など、それぞれ様々な場所へ向かい、それらが終わって帰宅した頃には皆時計の針はかなり進んでいるのではないかと思います。

さて、そんな自由な時間を皆さんはどのように使っているでしょうか…。

私は特別趣味らしい趣味が無く、毎日帰宅してはパソコンを起動して【YouTube】で様々な動画をボーッと眺めていると寝る時間になっている・・・と言うような、かなり勿体無い時間の使い方をしているのですが、私と似たような時間の使い方をしている人は案外多いのではないかと思います。

今回は、その時間の使い方が【正解】か【不正解】かと言う話ではなく、その時間の使い方について、私が気付いた事と言うか、感じている事を記事にしてみようと思いました。

もし宜しければ読んで頂ければ幸いです。


◆「楽しい」が溢れる時間で人が失うモノ。

数年前、お笑い芸人キングコングの梶原氏が「YouTuber」になる!と言う事で、一時期メディアを賑わせたのはまだ記憶に新しいかと思いますが、その成功を皮切りに、現在では本当に多くの芸能人がYouTubeに参戦し、多くの人達が日々登録者数や再生数を稼いで頑張っています。

前回の記事にも書きましたが、いつの間にか時代はすっかり変わり、人々は企業が提供する情報をただ利用するだけの側から、個人が不特定多数へ情報を提供する時代へ移り変わり、多くの人が様々なサービスを活用し、多くの人々と情報を共有する様になった様に思います。

そんな中で今回私は【YouTube】や【インターネット】にスポットを当てて考えてみたのですが、小さい子供がレストランなどの飲食店で親が子供にスマートフォンやタブレットを持たせてYouTubeを見せて黙らせている姿を目にする機会が多い様に感じました。

勿論、YouTubeなどの動画だけでなく「ソーシャルゲーム」や「カメラ機能」など、子供は手渡されたスマホやタブレットを嬉しそうに握り締め、様々なアプリを上手に使いこなしているのですが・・・こうした時間の使い方はおそらく他のお客さんにとっては静かになるのだから良いとは思うのですが、子供が【この時間】に慣れてしまうというのは案外恐ろしい事なのではないかと私は思うのです。

いったい何が恐ろしいのか。

それはYouTubeと言う膨大なサイトに投稿された「膨大な情報」の量です。

YouTubeを利用した事がある人であれば分かるかと思うのですが、YouTubeには検索機能があり「調べたい物」や「見たい動画」のタイトルを検索するとその関連の動画がバッと一面に表示されます。それも1件や2件ではなく100件以上表示される事などもざらにあります。

さらに、その検索結果より導き出した『あなたにお勧めの動画』と言った感じで現在視聴している動画の関連動画などもアナウンスされたりするので、ほぼほぼ無限に自分の興味のある話題(動画)を見続ける事が出来る、ある意味では最高の動画サイトなのですが、冷静に考えるとこの時点で若干の危険性に気が付きはしませんでしょうか・・・。

それは『永遠に動画を見ていられる』と言う事です。

一度検索をして気になる動画をチェックすれば、後はサイトが次から次へと興味のありそうな話題の動画を提案してくるのですから、視聴者側は画面をただ見つめ続けているだけでずっと退屈を凌げる訳です。

こう書くと「危険性」と言うよりは「魅力」に近いかと思われるかと思いますが、これは魅力でもあり同時に危険でもあるのです。

では何が危険なのか、その応えは・・・「自ら楽しい事を考える事が出来なくなる」のではないか・・・と言う事だと私は思うのです。


◆得た知識の「現実」を知る。

先に挙げた、次から次に楽しい動画が流れてくるので、いつまでも「永遠に動画を見ていられる」と言う事についてですが、この行動の結果だけ見れば【楽しい事をしている】のですが、重要なのはその結果ではなく、コレを第三者目線で見て、考えた時、動画を見ている人は何をしているのだろうか・・・と言う事です。

動画を見ている人は、その「楽しい」と出会う為に何をしたのか。

結論から言えば何もしていないのである。

映し出された画面をただ眺めているだけ、動画を見終えれば次の動画をクリックする・・・行動としてはそれだけなのだ。

その結果得られる物は何か、それは【大量の情報】です。

気になるキーワードを検索するだけで手軽に欲しい情報が手に入り、何の行動もせずとも眺めているだけでかなりの量の情報が手に入る。 やはり、これだけ聞けば危険性とデメリットではなく、メリットばかりなのではないだろうかと思われる方も多いかと思うのですが、話はまだ続きます。

努力せず手に入れたこの膨大な情報は知識として得る事は出来るのですが、経験としてそれを得る事は出来ません。

それはつまり【実際に自分は行動せず、しかし、何となくの答えだけは先に教えられた状態】と言う事になります。

いくつか例を挙げて説明します。

例えば冒頭で話題にしました【子供】を例に挙げますと、YouTubeで好きなアニメやゲームの動画を好んで見ていた場合、実際にゲームで遊んでいなくとも、子供は「実況動画」などで実際にそのゲームを遊んだ気になっていますし、仮にそのゲームに魅力を感じて買って実際に遊んだところで、行き詰った際に頼るのはやはり動画やインターネットの攻略サイトになると思うのです。

何故なら、既にそこには答えがある事を子供は知ってしまっているからです。

わざわざ自分で回答を探さずとも、キーボードを叩けば答えが出てくる事を既に知っている子供は、自分でその攻略方法を探す必要が無く、なんなら最初から効率の良い方法でゲームを進める事が出来るのです。 これはもはやゲームをプレイしていると言うよりは、解答用紙を見ながら問題を解いているのに他ならず、ある意味ではゲームと言う名の「答え合わせ」と言う作業をしているだけになります。

しかし、その環境で育った子供達はそれが当たり前の事なので、そうとは気付く事はありませんし、おそらく何の疑問にも思わないと思います。

その結果、インターネットに載っていない事や複数の回答のある問題や物事に対しての解決方法や、自分の意見や解答を出す事、新たに自分で何かに挑戦する、その最初の一歩が物凄く苦手になってしまうのではないかと思うのです。

勿論、コレは子供以外でも同様に言える事で、例えば「キャンプ」などのアウトドアに挑戦してみようと考えている人がYouTubeやインターネットでアレコレ事前に調べると、その魅力や必要な道具や、その道具の使い方の情報が簡単に手に入るかと思います。

そして、実際にキャンプへは行った事がなくとも、何となくの事前情報を得た状態になり、そこで初めて『やってみるか否か』と言う自問自答が始まります。 大抵の場合、そうした動画やネットの紹介サイトでは「魅力」について語る物が多く、その大変さや難しさについて記載しているものも当然ありますが、興味があって検索している側としては【楽しい】【魅力】にどうしても目がいきがちで、メリットばかりに気をとられてしまいます。

仮に大変さや難しさについても調べてしまうと、そうした情報が知識として植えつけられてしまうので『大変そうだから止めよう』と、折角興味を持った事を実際に行動する事無く諦めてしまう事にもなりかねません。

仮にいざ挑戦したとしても『必要な物を買い集めるのが大変』『テントを建てるのが実際は難しい』『食事が美味しく出来ない』…など、自分でイメージしていた事とのギャップにガッカリすると言うパターンも少なくないのではないかと思います。

何故こうした事が起こるのか。 それは、単純に「楽しい」と出会う順番が逆だったからなのではないかと私は思うのです。

まず「楽しそうだな」と興味が湧いたらやってみる。

やってみた結果、苦労した点や難しかった点を自分で考え、そして調べ、実際にやってみる。

多分、コレが答えだと思うのだ。

事前に多くの情報を得て、その答え合わせをしていくのでは、おそらく自分がイメージしていた物とはほど遠い現実しかそこにはない様に思う。 何故ならそうした魅力を紹介する動画やサイトは「他人に楽しみを教える」仕様になっている訳で、既にその魅力や大変さについて経験をして理解をしている人間が紹介しているので『楽しい部分』だけを抜粋しているし、本来大変な部分に関しては経験がカバーしているのでさほど大変そうには見えないのである。

言わば「料理人が料理を難しそうには作らない」のと同じである。

そうした苦労の過程は動画やサイトではすべてカットされ、「楽しい」結果だけがそこにあるのです。

その結果だけを見て「良い」「悪い」を判断して結論を出す訳なので、当然自分が想像した結果には辿り着けないのだ。

すると、もうそこから先は動画やネットには載っていない「経験」しかないのだ、そこで「経験」を得るために、経験をするのか。 「経験」と言う名の知識を得るために、やはり動画やサイトにしがみつくのかが人としての成長の差に繋がるのではないかと思う。


◆最後に・・・。

ここまで長々と文章を書いてきましたが、一番最初に話を戻します。

私は1日のうちで自分の自由な時間と言うのは【21時~23時】までの約2時間程度しかない事になる訳ですが、この2時間をどう使うかですが、皆様はここまでの話を受けて、どう思いましたでしょうか。

貴方が今感じている「楽しい」と言う時間で何か得るものはありましたでしょうか。

物に価値があるのと同様に、時間にも価値があります。

勿論、経験にも。


あなたやあなたの大切な人が「楽しい」と感じているその時間が、少しでも価値のある時間でありますように。

1日の限られた時間が、いつかの「経験」に繋がりますように。


今回の記事は前回の記事に引き続き「物事を始められない理由~」の記事内容にかなり近しいものがありましたね。

しかし「そこに答えがある事を既に知ってしまっている子供」は大人になった時に本当に苦労すると思います。

子供には「想像力」と「経験」を。

「楽しい」は是非、自分の足で見つけて下さい。



最後まで読んで下さいまして誠にありがとう御座います。

それでは・・・また次回の記事でお会いしましょう。


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