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子犬が家に来た日

子犬が家に来た。
ゲージを開け、室内に解き放つと小さな体は震えながら前進した。
匂いを嗅いで、歩き回る。
周囲の知らない人達が笑顔で自分を見つめている。
慣れない場所で、せめて居心地の良い場所を求めて彷徨いているように見えた。

6歳だった私は、自分よりもこんなに小さな生き物が、全身で未知の不安を感じていることに気づいた。
それはどれほど恐ろしい事なのだろうと疑問に思った。
考えたが、分からなかった。
想像がつかなかった。

せめて、この可愛い小さな生き物がこの家で暮らしやすくなるように、人間だからこそ出来ることをしようと決めた。

私は毎日、毎日、ゲージの中を掃除した。
まだ、トイレトレーニングが身についていないので、ゲージや家の中は犬の糞尿で大変なことになっていた。
粗相をする度に、あるいは粗相が無くても毎日掃除をして、人間の私が綺麗にすることで、犬にも居心地よく暮らしてもらおうと思った。

人間は高齢になるにつれ、様子がまるで子供のようにみえる。
歳を重ねているのに、子供に戻っていく。
犬も同じだと思う。

今年で誕生日を迎えたら16歳になる犬。

トイレトレーニングの成果や綺麗好きな性格だったこともあり、室内で粗相をしない子に育った。
しかし、現在は点滴の副作用もあり、室内での粗相が増えた。
その度にゲージの中と室内を整える。
家族で笑って叫んで掃除をする。
まるで、犬が我が家に来た時のようだ、と思った。

副作用でぐったりと眠る犬を撫で、伝わるはずの無い言葉を紡ぐ。
私は春から実家を離れて暮らすこと。
死に目には会えないかもしれないこと。
ずっと大好きだったこと。
これからも愛しい気持ちは変わらないこと。

寝息を聞いて、毛に顔をうずめて、飼い犬の匂いを全身で浴びる。
この感覚。
私を形作った子供時代。私はこの包容感のようなものに育てられたのだと思う。

もうボールで遊ぶことも、一緒に走ることも、ご飯を一緒につまみ食いすることも、帰宅時に駆け寄ってくれることもできないけれど、それでも犬が最後まで少しでも暮らしやすいように、今日も犬を見守って、掃除をする。

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