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魔法使いの先生

ある絵画の展覧会へ赴いた。

連休最終日だと言うのに朝から激しく雨が降り、季節の変わり目特有のムワッとした暑さが身体を包んだ。
その何とも言えない不快感を、僕は体感だけでなく心の中にも潜めていた。

展覧会には、僕が小学生の頃に担任だったK先生が絵を出している。
僕は昔からK先生の絵が大好きで、先生が黒板に書くただ一本の線すら力強く、まるで魔法を使っているようだと思っていた。
どうしたら自分もあの線がかけるものかと、魔法使いの弟子さながら、紙にひたすら線を引いていた程だった。

そんな僕は、美術ではなく音楽の道に進んだ。絵も好きだったが、音楽はもっと小さい頃から触れ続けていて、自分により合っていると感じたからだ。
しかしこれは大人になってからわかった事だが、美しさを追求する面で音楽と美術はとても似ている。
僕にキレイなものを「キレイ」と思える心を植えつけ魔法をかけてくれたのは、まぎれもなくK先生その人だった。

展覧会は毎年GWの時期に開かれ、先生は毎年同じテーマを持った絵を描かれる。
時には旧作を手直ししたものと新作を並べて出展されることもある。
ここに来ると童心に帰り、僕の原点を思い出すことができるので1年に一回の楽しみになっていた。

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音楽のイメージ。こんな音にしたい、こんな気持ちで弾きたい…「イメージ」と言っても色々あるが、子供の頃は何も考えなくてもそう言うものが浮かんで来るものだった。
大人になって色々な理屈がわかって来ると、どうしても知識に頼ってイメージを作り上げようとする。

「君はどうしたい?どう思う?」

そうピアノのレッスンに行くと問われる事が多くなった。
僕はその度に、自分の中からは豊かなイメージを湧かせる心の源泉が消えていっていると思った。
一方、K先生は定年を迎えた今でも豊かなイメージを持って絵を描き続けている。
今の僕に先生の絵を見て、言葉を交わす資格があるのだろうか。
そんな心を映すように、会場が近くなっても蒸し暑い雨は降り続いた。

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K先生はいつものように優しい笑顔と、昨年より更に力強い絵でもって迎え入れてくれた。
僕たちは毎年、あまりたくさんの言葉は交わさない。
何だか照れくさいのもあって言葉にするのは近況報告くらいで、あとは絵を前にしてとにかくその暖かさに浸っていることが多かった。
しかし、今年は違った。
K先生は突然、どうやって絵を描いていくかというお話を細かくし始めてくれた。
そして、その中で先生が仰った次の言葉に、僕はハッとした。

「一番時間がかかるのは、描き始めるまでの、どんな絵にするかイメージをつくりあげることだなあ」

僕からするとK先生は昔から、いつでも何でもできる先生だった。
しかし、その先生も実際にはイメージを湧かす事に一番時間をかけていたのだ。
言われてみれば、そんなことは当然だった。
何もないところから何かが生まれるはずはない。
しかし、今の僕はイメージが生まれてくる程の十分な努力をしていただろうか?
豊かな源泉は、耕し続けることでその力を保つのだ。

もちろん、僕がこんな思いで日々を過ごして居たことなんて先生は知る由もない。
K先生はやっぱり僕の先生として、また魔法を使ったのだった。

さよならをして美術館の外にでると、雨は上がるどころか更に強まっていた。
しかしその大きな雨粒と雨音は、僕の中に綺麗な色と音となって沁み込んできた。

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