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「ツル」から「コウノトリ」へ(後編)

「ツルからコウノトリへ 前編」では、それまで農家の日常生活と共にあった「ツル」は、その絶滅、そして野生復帰が行われる頃には、「守るべきコウノトリ」に変化したという話をしてきた。

今回はそれを踏まえて、コウノトリが野生復帰に至るまでの歩みをまとめるとともに、簡単に考察しようと思う。


まず、コウノトリについて、その基本を振り返ろう。
コウノトリは、1900年台中頃から徐々にその数を減らしていく。その主な原因としては、
①明治期の乱獲による分布域の減少
②圃場整備などによる低湿地帯の喪失や営巣場である松の減少といった生息地の消失
③農薬などの有害物質による汚染
④個体数の減少した時点での遺伝的多様性の減少

この4つが挙げられる。

いつの間にか希少種になってしまったコウノトリを保護しようと様々な対策を行うが、努力もむなしく1971年に野生最後の個体が、保護されたあと死んでしまい、野生化では絶滅状態となった。

その後、ソ連(当時)から6羽の幼鳥が贈られ、飼育繁殖が進められた。飼育繁殖は順調に進み、飼育下ではその数を増やしていった。

ただ、コウノトリは人の生活と密接に関わっている鳥だ。コウノトリの餌とする食べ物は、ドジョウ、フナなどの魚類、カエル、バッタなどであり、そういった生物が生息するのは水田や里山といった、人の生活によって成り立っている場所である。つまり、「里の鳥」であるコウノトリは、いくら人口繁殖化でその数を増やしたとしても、その生息地である里山がコウノトリにとって良い場所でないとコウノトリが自然界で生きていくのは不可能であり、その里山を作り出している地域住民・農家の協力なしでは野生復帰はありえないのだ。

しかし、現在里山は以前と比べて大きく変わってしまった。圃場整備(注1)の影響で、川と田が分断されてしまい、その間を行き来することが難しくなってしまった。そのためコウノトリの餌となる魚類(ドジョウなど)の魚が田に入れなくなってしまった。また農薬の影響は大きい。農薬は確かに害虫や雑草の発生を抑え、稲の生産性を大きく高めたが、その反面水田の生物多様性を低くしてしまった。

このようにコウノトリが減少した背景には、近代の農業の効率化・多収益化を目的として改変の影響があるといえる。

圃場整備も農薬も、経済的な視点で見れば悪いことではない。むしろ、農作物における価格競争の激しくなった現代においては、効率化・多収益化を行うのは、必須の流れだと言える。そもそも農家自身が、食っていけるだけ稼がなければ、農業自体が成り立たないわけだ。コウノトリが減ったからといって、今の近代的な農法を捨てて、以前の農業に戻るということは現実的ではないし、持続可能でもない。

つまり、コウノトリの生息地を確保するという取り組みは、農業の効率性と逆行するものであり、またコウノトリが稲を踏み倒す害鳥であるという側面を考慮するならば、コウノトリを増やすという行為自体が、農家にとっては不利益を被ることであると言える。

では、このように農業に不利益を被らせるコウノトリの生息地保全は、どのようにすれば進めることができるのか。今回は、兵庫県豊岡市の事例を取り上げ、どのように地域の農家と、コウノトリのwin-winの関係を作れるかを見ていく。

以下は、「コウノトリの野生復帰を軸にした地域資源化 菊地直樹著」を参考・引用する。(一部を省略・加筆修正している)


◇◇◇

豊岡市では1990年代半ばから、環境創造型農業に向けた取り組みが展開され、「コウノトリを育む農法」の技術の確立が目指されている。この農法は、「おいしいお米と多様な生き物を育み、コウノトリも住める豊かな文化、地域、環境づくりを目指すための農法」と定義されている。この農法のポイントは以下である。

①水管理によって生き物を育む:冬季湛水(冬も水を張り、水生の生物が住めるようにする)、早期湛水、深水管理、中干し延期(田んぼの水を落とすことを中干しという。通常、8月くらいに行う。中干しは、稲の生育に好影響をもたらすが、水田に生息する生物にとって急に環境が変わる出来事であるため、影響の大きいものとなる)

②農薬に頼らない農法:温湯消毒、魚毒性の低い農薬の使用、農薬に頼らない抑草技術

③生き物が生息しやすい水田づくり:水田魚道の設置、生き物の逃げ場の設置、畦草の管理の徹底

いづれも中々労力がかかったり、稲の生育には必ずしもベストとは言えない変化である。


このような農法はゆっくりではあるが広がっていき、2009年度には、この農法の面積は約212ha(水田耕作面積の7%)近くを占めている。

こうしてできたお米は、生き物のブランド米として高い付加価値がついている。コシヒカリの地元JAの買取価格は、慣行栽培が6,000円であるのに対して、コウノトリ育む農法(減農薬)の8,600円、コウノトリ育む農法(無農薬)では、10,800円となっている。これはコウノトリの野生復帰がメディア等を通して広く伝えられたことにも起因する。

しかし、このような農法を取り入れることで生じるメリットも当然存在している。農薬に頼らない分、草刈りなどの作業量が増え、また慣行栽培と比べ、同じ面積から取れるお米の量は減ってしまう。また現状、この農法の担い手の中心は高齢者であり、農家に負荷のかかるこの農法をいつまで続けてもらえるのかは分からない。また後継者がいない農家も多く、コウノトリ育む農法どころか、農業そのものが存続していくのか、その先行きも不透明である。


◇◇◇

以上を踏まえて、どのように地域の農家と、コウノトリのwin-winの関係を作れるのかを考察する。

まず、コウノトリ育む農法だが、それは農家にとっては通常のお米作りよりも負荷がかかる。そのため、その点だけを見ると農家にとってはデメリットだが、そうした農法によって作られたお米は付加価値がつき、通常のお米よりも高く売れる。結果的に増した労働負担の元は取れているし、この農法を取り入れた水田の面積は増えていることからも、農家にとっても利益があると考えられる。

コウノトリの保全ために、地域の農家がそのための農法を取り入れるということは、消費者が高値でお米と買ってくれる限りは、コストの面ではwin-winではないかと考えられる。


しかし、問題もたくさんある。まず、その安定性の低さである。ブランドというと聞こえはいいが、あくまでの消費者が価値あるものと思っているからブランドとして扱われるのである。月日が経つにつれて、人々の価値観が変わることはよくある。流行はいつか消える。今は高く売れているお米も、一転して売れなくなる可能性も十分に存在する。そうなったときに、農家はどうすればいいのか、あらかじめ考えておく必要はあるだろう。

また上での述べたように、この農法を取り入れているのは、豊岡市での水田耕作面積の7%(2009年度)というのは決して高い数字ではなく、そして大切なことは、コウノトリの生息は何も7%の水田によって可能になるのではなく、残りの多くの水田もコウノトリにとって重要な生息地なのである。

ここでは、では残り93%もコウノトリ育む農法に変更するべきだと言いたいわけではない。そうではなく、その93%の水田もコウノトリの生息地の維持に大きな役割を果たしているのにも関わらず、付加価値がつかないことは問題であると言いたいのだ。よく知られているように現在、お米の買取金額はかなり安い。稲作によって得られる収入がわずかならば、農家はその栽培事態をやめてしまう可能性も高まるだろう。

コウノトリの生息は、その農法を取り入れている水田だけによって成り立っているわけではない。その他の水田もいかに存続させていくかが重要となってくるだろう。


最後に、持続可能性について述べる。コウノトリを永続的に保全していくためには、このような農法を続けてやっていかなければならないだろう。しかし、農業への従事者の多くが高齢者であり、いま現在、そういった農法に取り組んでいる人が10年20年先も続けていけるかは分からない。例えどれだけ儲かったとしても、体力的に厳しい農法を続けていくのは難しいだろう。それは「利益率が良い・悪い」とは別次元の話であり、つまり、いくら割が良くても体力的に不可能ならば、することはできないのだ。

持続可能な保全を行うためには、農家の生活・農業・里山の持続可能性も同時に考えていく必要があり、この意味では、コウノトリの保全について考えることは「里山の存続」という大きな社会的テーマを考えることにつながると言えるだろう。




注1:圃場整備
既成の水田や畑を,よりよい基盤条件をもつ農地に整備する一連の土地改良をいう。よい農地になるようにその基盤を整備するとは,安定した多収穫の農地である(土地の生産性が高い)と同時に,農業機械が容易に導入でき,また労働が容易に行える(労働の生産性が高い)圃場に整備することであり,それらが永続的な効果を発揮するために農地保全上の能力も高い圃場にすることでもある。このような目的をもつ圃場整備の具体的内容には,区画形状を拡大かつ整形し,改良するとともに,分散した農地を集団化する区画整理のほか,農道を整備したり,用・排水路の整備,土層改良,客土・床締め・暗きょ排水の諸施工,土壌保全工事などがある。

(コトバンク 世界大百科事典)


参考文献:
コウノトリの野生復帰を軸にした地域資源化  菊地直樹

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