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「LADY」の普通さで、逆に際立つ米津玄師の特別感

ドラマの在り処は?

 新ジョージアの「何気ない毎日にも幸せがあることに気づいてもらいたい」「毎日って、けっこうドラマだ。」と言うテーマを受け、米津玄師はそのCM曲「LADY」についてこう語っている。

平坦な⽣活からほんの少しだけフケられたらいいなという気持ちを⾳楽にしました。

新ジョージアプレス発表会より

ドラマがあるんだったらその裏には、しょうもない日常があるはずで、その日常を表現するために、単調なリズムとか、ちょっと躓きそうなピアノのニュアンスを取り⼊れて、そこからバーッと解放していくというダイナミズムをこの曲で表現できたらいいなということを考えながら作りましたね。

新ジョージアプレス発表会より


 米津はライブMCでも「イヤなこといっぱいあるでしょ?日常生きていく上で。(略)俺も人生はクソだなと思う時がたくさんあります」と言い、「ゆめうつつ」リリース時のインタビューでも現実と夢の世界を行ったり来たりすることの大切さを語っている。 

残酷なまでの「現実」と、そこから対極にある「安らかな夢の中」、その夢と現実の間を反復しながら生きていくというのが、自分にとってはものすごく大事

NEWS ZEROインタビューより

 「LADY」の歌詞にも”キミと二人 行ったり来たりしたいだけ”とあるように、米津が見つめる毎日は”残酷で、クソで、しょうもない”ことが前提であり、そこからフケる=エスケープしていく場所が必要ということのようだ。

 ということは、”今すぐ行方をくらまそう”と2人で行く場所は、恋をしていた”あの頃”なのか?

”今日は昨日の続き 日々は続く ただぼんやり”

 失われていくトキメキ。そばにいることが当たり前になり、相手の優しさに甘えたり喧嘩したり面倒くさくなったり、ついぞんざいになってしまう関係性。

 代わりに得たはずの深い愛情、なんでもない毎日の尊さは、”どっちか一人 ひどい不幸が襲い 二度と会えなくなったら”と ”考えた矢先に泣けてしまう” まで思い出せないものだったりする。

 先行公開されたCMでサビだけ聴いて、「LADY」は絶賛熱愛中のラブラブ甘々ソングだと思っていたが、全然違った。年季の入った夫婦みたいに空気のような存在になっているパートナーを、再びドラマの舞台へといざなう歌のように聞こえる。

 永過ぎた春に終止符を打つプロポーズソングかも知れない。

 いずれにせよ”煌めく映画のような”出会いじゃなくたって、積み重なっていく時間に埋もれながら、”あの頃みたいに”、あるいは”子供みたいに”恋をしなおすのは、「カナリヤ」でも歌われていた静かで確かな愛のカタチだ。

米津玄師らしさを更新するサウンド

 怒られそうだが「この曲は星野源とのコラボです」と言われたら信じてしまいそうだ。事実、星野源の「喜劇」と同じくmabanuaが編曲しており、歩くようなテンポとジャズっぽい洗練されたサウンドに仕上がっている。

 星野源だけでなく、ピアノのニュアンスは藤井風、ホーンはOfficial髭男dism、さらにVaundyやマカロニえんぴつの風味も、80-90年代歌謡曲っぽさも感じる。

 米津玄師は以前自らを「継ぎ接ぎのコラージュのような存在」と語っている。(ナタリーインタビューより)

 言い換えれば、斬新なのにどこか懐かしい普遍性がある名曲の数々は、様々な人の影響、経験、学んだ知識や教養が、米津にしかない消化酵素によって分解され、米津にしかないフィルターで再構築されたものだ。

 今までの米津が世に放った99曲*は様々な魅力を持ってはいるが、いわゆる”オシャレさ”を感じる軽快な曲が何も思い浮かばない。それが、100曲目となる「LADY」に満載され、またひとつ”米津玄師らしさ”を更新した。

「普通」という新しさ

 前作の「KICK BACK」を始め、米津の曲は目まぐるしい転調や転拍子などを含む複雑な構成が多いが、シンプルな転調、淡々とした心地よいリズム、みんな大好き半音階進行の「LADY」は米津玄師にしてはかなり普通の曲だと感じる。

 普通というのは平凡だとか退屈だということではない。独特なデジタルサウンドや壮大なオーケストライメージがあった米津曲に、生身の「普通」が加わったとでも言おうか。

 アクもトゲも毒もないスルッと飲み込める歌詞と耳障りのいいメロディ、洗い立てのシーツのような清潔な歌声、爽やかで晴れやかなアレンジ。こういう明るい普通のJ-POPは掃いて捨てるほどあるが、「LADY」の唯一無二の”普通”こそが米津玄師にとっての”変身”であり、”更新”なのだと思う。

 髪型を変えたことで、不本意ながらも”ミステリアス”とされていたビジュアルイメージも、もう”何も謎めいていない”「普通の人」となった。だがこれで「ずっと普通の人になりたかった」彼が本当に普通になったわけではないだろう。

 「Lemon」の次に「flamingo」、「PaleBlue」の次に「POP SONG」、「KICK BACK」の次に「LADY」とエンジェルフォール並みの落差で世間を驚かせてきた米津のことだ、今回の曲やビジュアルの「普通さ」はある種のコスプレなのかも知れない。

「今一番ホットなのが”いかにちょけられるか(ふざけられるか)”」

2022ナタリーインタビューより

「LADY」が普通にいい曲過ぎて、逆にこのままで済むはずはないという妙な確信さえ芽生えつつある。結局、米津玄師に「すっかり普通になっちまったな」と背を向けることも目を離すことも当分出来そうもない。


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