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米津玄師史上、最もエロい曲は何?

 米津玄師の色気とは”ダイレクトでフィジカルなエロ”ではなく、”薄衣に透けるような寸止めのチラリズム”であると、歌詞に使われたセクシャルワードから分析したことがある。

この記事だ。↓

 米津はその佇まい、目つき、仕草、声など、至る所から色気を放出しているので、彼が歌えば”森のくまさん”でも色っぽく聴こえてしまうかもしれないが、実は性愛そのものを歌った曲はほとんどない。

 「腰やら股やら働かせお手軽欲望貪れば」とか「一人で快楽部屋の隅」と歌う"百鬼夜行"、あるいは”MAD HEAD LOVE”のように直情的な曲もあるにはある。しかし、それらはどこかコミカルで色気からは遠い気がする。

 ファンの間でエロいと噂の”クランベリーとパンケーキ”も、気怠い歌声と「汚れたシーツ」に騙されそうになるが、よくよく聞けばただの酔っ払いソングである。まあ、「その日限りの甘い夜を抜け」てはいるがw

 もちろん、エロ受容体の感度は人それぞれだ。インスタライブの「今日はちょっと長くヤっちゃったな」の一言に悶える感度良好な人たちにとっては十分すぎるほどセクシーかもしれない。

米津玄師史上、最も色っぽい曲は何か?

永井荷風は「歓楽」という作品にこう綴っている。
「得ようとして、得た後の女ほど情無いものはない」

 恋に堕ちる。とにかく相手を自分のものにしたいと必死になる。しかし、恋が成就したその瞬間から倦怠へのカウントダウンが始まるという意味だ。ひどい話ではあるが、そもそも恋とはそういうものだ。色褪せ、やがて散る花のように刹那的であるからこそ色香が匂い立つ。

 色気は狂おしいほどの欲望、安らぎとは真逆にあるギリギリの緊張感、抑えきれない媚態にこそ濃密に宿り続ける。

 馴れ合いのカップルとか夫婦には、かけがえのない愛情が育まれるかもしれない。しかし「恋」とは、本能が子孫繁栄のために放出するドーパミンが作り上げた幻想で、この脳内麻薬の効果=恋は長くても3年で終わるらしい。これは1993年にべストセラーとなったヘレン・E・フィッシャー博士の説であるが、当時は不倫や離婚を肯定するのかと物議を醸した。

 つまり、性愛という観点で見れば、なかなか成就しない”道ならぬ恋”の方がエロ度は高レベルで持続するというわけだ。俗にいう「障害がある方が燃える」というヤツだ。

 では、米津玄師の作品で、この条件に当てはまる曲とは、、、

”あめふり婦人”である

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↑画像は映画「花芯」予告編より

 まず、タイトルからしてすでに湿っている。婦人とは「大人の女性」「既婚女性」という意味でどこか古めかしく和をイメージさせる言葉である。この曲は娼婦との恋の歌では?という考察を目にしたことがあるが、婦人という言葉からは貞淑な妻の姿が浮かぶ。「あめふり」と平仮名なのも女っぽく艶かしい。

 これを二十歳そこそこの若い米津が書いている。明らかに年上の人妻との不倫の気配がする。

 そして、「濡れ場」と言う婀娜っぽい日本語にも直結するタイトルと歌い出しの歌詞。「街がびしゃびしゃ濡れる夜」から始まる季節は、じっとりと汗ばむような梅雨の終わり頃、噎せ返るような土砂降りの夜。

不遜な心ばかり強くなる
私に愛をくださいな
いっとう重ねて弾ける泡沫
さびしくなってどうしようもない

 身の程知らずの若い男の欲望が大粒の滴となって降り注ぎ、女の心にできた水溜りで弾けては消える。

何故だか嫌に静かで煩い
心満たしてよ!

 心満たしてよ!と叫ぶ声の青につれない女の影が染まっていくようだ。

それはつかの間の恋心
明日になったら肥える灯を消してよ
つまらないことばかり
知らずのまにまに気が触れて

適当な言葉が澱むまま
夜の底へ行く列車に乗りましょう
いけないと知りながら
愛されたいのはあなただけ 

 男はいけないことだとわかっている。だから、明日になったら燃え上がってしまう火を消してしまいたいと思っているのに、もう心も身体も止められない、言葉も見つからない。「愛されたいのはあなただけ」という思いだけが募っていく。

「夜の底へ行く列車に乗りましょう」

 こんなにも美しく文学的で淫靡な口説き文句があるだろうか?きっと終着駅からの帰りの切符はない。

そして、極め付けがこのフレーズだ。

落とせその腕の荷物をさ
夜へ沈むには邪魔になるだけだろう

いけないと知りながら
愛されたいのはあなただけ

 いきなり抑えてい感情が迸る強引な言葉。壁ドンでもしていそうな勢いだ。”おどろに揺れるマッチの灯”が燃え上がる瞬間。

 何もかも捨てて夜を貪り尽くすような、背徳の雨に打たれて溺れ死ぬような、破滅的な恋への誘惑。dioramaという架空の街の中のどこかに終着駅が沈んでいる。婦人は全ての荷物を置いてこの列車に乗ったのだろうか?

 ”あめふり婦人”

この曲はやはり”道ならぬ恋”ゆえの昂りが招く、愛もモラルもへったくれもない性愛そのもの。単なる肉体的な性欲とも違う、恋という強烈な脳内麻薬に抗えない人間が”静かに煩く”狂っていく物語。色っぽい。。。。

 新曲”PaleBlue”でも、生々しいほどに「恋」を歌ってはいるが、歌詞の性的な色気という点では”あめふり婦人”が圧倒的であると、筆者のエロセンサーが振り切れている。

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