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テレビがないとドラマが見られない、なんて誰が言ったの?

二年ほど、テレビを持たない生活をしていた。

きっかけは引っ越しだった。

業者さんがつないでくれて動作確認までしたのに、なぜか引っ越し2日目からウンともスンとも言わなくなったのだ。

当時の私は、朝ドラとあさイチでの朝ドラ受け(当時は、有働さん・イノッチ・やなぎー時代)を何より楽しみにしていたので、「困るなあ」と思ったが、逆に言えば困ることはそれだけだった。

そう思うと何だかどうでもよくなって、「ま、いっか」とテレビを処分することにしたのである。

意識的にテレビのない生活を選んだ、というよりは、成り行きでテレビのない生活になった、と言う方が近い。

だから私にとって、テレビとの別れは大きな決断でもなんでもなく、「テレビ?あー捨てた捨てた」くらいのものだったのだが、とにかく周りの反応がやかましかった。

「家にテレビがない」と言うや否や、大抵ものすごくバカにされるのである。

「えーっ?!なんで?!」

文明を知らんのか、それでよく生きていけるな、さぞかし不便でしょう、可哀想に…まあ、とにかくそういった類のことを言われまくる。

しかし、周りの予想に反して、私はドラマや映画を見まくっていた。映画に至っては、年に90本見るうちの7割以上がAmazonプライムビデオだったと思う。

※当時はPCも持っていなかった。

「えーっ?!なんで?!」

と再び驚きの声があがるわけだが、それはこっちのセリフである。

テレビがないと言っただけで、テレビ番組(や映画)を見ていないとは一言も言っていないのに。

ちなみに、「いまはこういうアプリがあって見られるの」と説明しても、相手は「でもテレビがないんじゃね」に落ち着くことがほとんどだった。

ねえ、テレビってそんなに大事なものだったっけ?ないと死んじゃうの?富の象徴かなんかなの?

書いててだんだん腹が立ってきたわ。笑。

でも、きっとこういうことって誰もが気づかないまま、悪気もなく繰り返していることなんだろうなあと思う。

つまり、テレビがない=テレビ番組が見られないという思い込みを疑いもしないようなこと。

大多数の人がしていることをしないと、変わっていると決めつけたり、自分の常識を相手に押し付けたりすること。

私の場合は、たまたまテレビがなかっただけで、これが恋愛観や結婚観、家族観、仕事観、自分の信条や理想を語る時に襲ってきたらと思うと恐ろしい。

アメリカで大きな問題になっている差別の問題だって、元を正せばそういうところに根があるのだろう。

これを書いているいま、部屋の片隅にはテテレビが座っているけれど、この二年の習慣から自発的にテレビをつけることはほとんどない。テレビのある生活もまた、私にとっては成り行きだ。いまだにCMの話にはついていけないし、ドラマにせよバラエティにせよ「何曜日の何時?」と聞かれてもすぐには答えられない。

だけど、相も変わらずドラマと映画が大好きだ。それだけは変わらない。成り行きではなく、意識して、選んで楽しんでいる。

だから私も、誰かの想いを上辺の情報だけでパッと切り捨てたりバカにしたりしないように、この「テレビなし生活」の教訓を胸に刻んでおこうと思う。


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