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why me ?(人にはそれぞれ使命がある)

初めまして、whymeと言います。お仕事は、事業再生コンサルタントやプロフェッショナル・コーチを10年くらいやっています。

自己紹介がてら、自分の人生を振り返ってみようと思う。

コンサルタントになってからは激動の10年でした。元々はメーカーで技術営業や事業企画の仕事をしていたのですが、そんな時に発生したのがリーマン・ショック。売上は半減、従業員は他部署へ異動したり、関係会社へ出向したり。そんな状況の中で、何も出来ない自分。自分自身がもっと強くならないと思って転職したのがコンサルタント。

メーカーの支援をしたい、そして、ペーパー出して終わりではなく、ハンズオンで改革を支援したいと思って、その事業再生コンサルティングファームに飛び込んだ。しかし、人生とはわからないものだ。

今でも忘れないが、入社して半年経った頃に社長から喫茶店に呼びだされた。プロジェクトではまぁまぁ評価されていたので、給料でも上げてくれるのかなとウキウキしていったところ、「今月、民事再生法を提出することになった。でも、安心してくれ。雇用は守るし、給料も現状維持するから」。

「ミイラ取りがミイラになる」ってこういうことねっ、いやいや、転職を機に結婚しようと思っていたし、全然安心できないよ!というのが本音だった。妻のご両親には会社が民事再生を申請したことは伝えなかった。いや、今思うと妻にも伝えていないや・・・。あの時の自分って、何かプライド高くて、嫌なやつだったな。

その衝撃の発言を社長から告げられた一ヶ月後、東日本大震災が日本を襲った。その時、品川本社の18階くらいにいたと思うが、とにかく揺れた。そして、従業員は各々ビルを飛び出して避難した。そのビルに入居していた他の企業は、ヘルメットを被って避難していたが、うちの会社はみんなバラバラ。点呼も取らず、今日は仕事できないから解散!って。まじか・・・。

業績の悪い会社って、オフィスに入るとすぐにわかる。空気が重いんだよね。誰も喋らない、コミュニケーションも少ない。ん?ニワトリが先なのか卵が先なのか?最初に転職したコンサルティングファームも御多分に漏れず。オフィスに行っても誰も喋らない。東日本大震災が来ても、誰も喋らない・・・。組織って何なのか考えさせられた。メーカーにいた時は、お互いが協力することは当たり前だったのに、それが全くなかった。

この会社に居てはいけないと思った2011年春。つづく。





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