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白衣は戦闘服


実は、准看護師を目指していました。

※この記録は私が体験したことをもとに書いていますが、全ての看護師さん、医療現場、看護学生に当てはまるわけではありません。
そして、看護師になることは残念ながらできなかった未熟者が紡いだ言葉です。ご容赦ください。


クリニックで働きながら学校へ行く毎日は忙しくて、とにかく目の前のことに必死だった。

実習の期間は課題に追われて睡眠時間がどんどん削られる。これは看護学生あるあるの話。

体力の限界がきて倒れそうになりながらも患者さんの前では笑顔で1日をやり過ごす。

看護師さんの厳しいお言葉のダメージは大。
心にグサッと刺さる。
ごもっともな言葉もあれば、ちょっと理不尽で難しい言葉もある。厳しいと感じるのはきっと、学生という立場でも、私たちは命を背負う責任があり、間違えましたでは済まされない職に就く意識を忘れないためだと捉えていた。


ある病棟で1ヶ月の実習が決まった。


そこは先輩たちに情報を聞くと「あそこはヤバいから覚悟しなね」と言われる病院実習のくじを引いてしまった。


いよいよ実習がはじまったとき、まず病棟の臭いに驚いた。食欲を失う臭い。

この中に一ヶ月もいられないかもしれない。
お昼ごはん食べられないかもしれないと思った。
その頃はコロナが流行る前だったので、原則、表情が患者さんに見えるようにマスクは禁止。

あとは、廊下を歩いている患者さんもおらず、楽しげな話し声は聞こえてこない。
想像以上に静かで薄暗い。

ナースステーションは緊張した空気。
戦場のような雰囲気を察知。
『必要最低限のことしか話しかけないでください』と背中に書かれているかのようで、学生は透明人間のようにすみっこで小さくなっていた。


重度の肢体不自由者、脊髄損傷等の重度障がい者、重度の意識障がい、神経難病の方が受け入れ対象となる病棟。


廊下を歩いている患者さんがいないのは、寝たきり状態の患者さんばかりだったからです。
共用トイレや手洗い場はあるものの、そこまで来て利用できる人がいない為、ほとんど使われていませんでした。

私たちが察知した雰囲気を
なんとなく分かっていただけるだろうか。

看護ひよっこ1年生にはハードモードすぎた。

いつ脱落者が出てもおかしく無いのは誰もが感じていた。でも、選ばれしものとなった私たちはなんとか全員で帰ろうと力を合わせたのだ。

「これ聞かれときに答えられなかったから、調べてメモしといた方が良い。絶対聞かれる」  

「どうしても上手くいかないんだけど、みんなはどうしているか教えてほしい」

「おすすめの参考書あるよ」

「師長さん、こう言っていたから気を付けよう」

「課題は人数分まとめて見やすいようにして提出。代表者が取りに行くように順番を決めよう」

「明日のこの時間空いてる子、お願い手伝って」

「物品の準備にこのくらい時間かかったから、早めに行動した方が良いよ」

「足浴のお湯、冷めるのめっちゃ早いから注意」

報告! 連絡! 相談 !
ホウ レン ソウ !!  めちゃくちゃ大事!!!

良いメンバーに恵まれたからこそ乗り越えられた。

初日に臭いがきつくてご飯が食べられないと思っていた不安は翌日消えた。
体力の消耗が激しいので食べてエネルギーチャージしないとやってられない。倒れる。
臭いを気にする余裕なんてどこかへ吹っ飛んだ。
強くならないと生き残れないのだ。

そんなことを気にする暇がないほど頭は問題解決の為にフル回転。

患者さんのこと、疾患について、情報収集、行動計画、手順書、記録、根拠!

やること山積みだからね。

大変という二文字だけで表現してしまうには足りないくらい大変だったけれど、嬉しいこともあったし、机上学習が実際に現場での行動に結びついて、専門職種が協力し、専門性を活かして患者さん本人はもちろん、家族、治療、将来、様々なことを考えて
その人らしい生活が送れるように知識と技術を持ち寄る多職種連携に感動した。
(多職種連携とは  医師、看護師、管理栄養士、社会福祉士、理学療法士、薬剤師などが共有した目標に向けて働くこと)


医師にしかできないことがあるのは想像がつくと思うが、看護師にしかできないこともあって、病気だけでなく、その人も背景までも看る看護は面白いし楽しいと思った。


担当は発語が難しい方だったけれど、話すだけがコミュニケーションではないから、表情と手、文字、様々な方法で笑顔を引き出した。
今でもその方がニコッと笑ったお顔を忘れません。



昨日まで元気そうにしていたのに亡くなってしまった患者さんがいました。

病院で勤務していると人の死に直面することもあるとは思っていても、急な別れは衝撃的で心が追いつかないものです。
上手く言葉にはできませんがいろんな気持ちが込み上げてきました。

目の前にいる患者さんに明日が来るとは限らない。
だからこそ今、限りある時間の中で何ができるかを考え続ける。その人にとっての大切なものを尊重して誠実に向き合う。


看護とは
手と目『看』で見てまもる『護る』と書く意味を深く理解するきっかけとなった。



そこから、老年、母子、精神看護実習へ。


あと半年。6ヶ月我慢できたなら
准看護師になれたかもしれないのに…


私は急におかしくなってしまった。

実習先でもバスや電車の中でも涙が止まらなくなってしまった。
泣きながら患者さんの病室には行けない。
「休憩室に戻りなさい」と言われ、実習ができなくなった。


憧れや好きな気持ちがどれだけ強くても
続けられないことがある。


休んだことのなかった仕事に寝坊した。
朝起きられなかった。
1回の遅刻。私の職場では許されなかった。
「こんなことが許されると思うの」
「全員に謝ってきなさい」

ポロポロと流れ落ちる涙。
息が吸えなくて過呼吸になった。
「すみません」としか言えなかった。

職場の看護師さんは昔、仕事をしながら看護学校に行くのが当たり前だったらしく「どんなに学業との両立が大変でも疲れたなんて言っちゃいけない」と教えられていた。

辛い。大変。苦しい。ベテラン看護師さんに反論なんてできるわけもない。
頑張っているのに、分かってもらえないのが悔しくて仕方なかった。


何かがぷつんと切れたのだ。 


仕事を辞めた。学校も中退した。
そのまま学校だけは頑張ればよかったけれど、資格を取得したら職場で准看護師として働く約束をしていたので、目標も場所も失った。

冷静に考えれば資格だけ取得して、就職先を探せば准看護師として働く場所はいくらでもあったと思う。でも、資格を取得して約束も守らず辞めることが怖くてできなかった。

こんな精神状態ではもう実習には行けないし、看護師にはなれないと思ってしまった。
自分にひどく落胆して閉した心の扉は固くて休学という選択はできませんでした。


看護実習に行かなければ、懸命に働く医療スタッフの努力を近くで見ることはできなかったはずだから、貴重な体験で、私にとって看護を学ぶ前と後では世界が変わったと言っても過言ではない。
資格もないのに長く語り出してしまうくらい看護が好き。看護師という素敵な職も。


ただ、結果的にこれで良かったのかもしれない。性格上、資格を取ったら准看護師として働かなきゃと思っただろうし、感覚過敏で過剰適応の私が看護師を仕事にしたらいつか使命感と責任で潰れていただろうな。

優しいだけでは看護師はできない。

優しい性格は強みになるが、微笑んでいるだけで命が助かることはないのだ。
それに、優しさや思いやりにも種類がある。
一見冷たく思える言葉や行動にも理由があるかもしれない。戦場で精神状態を保って、業務をしている看護師さんに対して尊敬の念を抱く。

一人の患者さんだけを担当できるのであれば、時間をかけて付きっきりで丁寧にケアをしたい気持ちはあっても、現実はそうとはいかない。

鳴り止まないナースコール。
異常を知らせるアラーム音。

その中で白衣という戦闘服を着て戦っているのだ。


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