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『ツイッターで学ぶ「正義の教室」』はじめに(無料公開)

2022年12月13日(火)刊行の『ツイッターで学ぶ「正義の教室」』(坂爪真吾・晶文社)の冒頭部分=「はじめに」を無料公開します。

手の届く場所にある戦場

私たちにとって最も身近な「戦場」とは、どこだろうか。

銃声と爆音が響き、住み慣れた街が破壊され、愛する家族を失い、故郷を追われた人々が涙を流す光景は、遠く離れた異国の地で起こっている出来事であり、あくまでテレビ画面の向こう側にある世界である、と思うかもしれない。

しかし、最も身近な戦場は、24時間365日、あなたの手の届く範囲に必ず置かれているスマートフォンの中に存在している。

その戦場とは、ツイッター(Twitter)だ。ツイッターの世界では、毎日のように、「自分たちの考えこそが正しい」と主張する人たち同士が、激しい論争を繰り広げている。

「あなたの考えは間違っている」「決して許せない」といった否定や怒りの言葉が銃弾のように飛び交い、「悪」とみなされた個人や組織に対して、大量の批判と誹謗中傷が殺到する「炎上」が巻き起こる。

炎上のターゲットになった個人や組織に対しては、現在の言動だけでなく、過去の言動までもが「不発弾」として掘り返され、次々に着火・爆発させられていく。

現在と過去が入り混じった爆煙の中で、無関係な人が巻き込まれて燃やされる「延焼」や、そもそも関係のない対象に一方的に火を放つ「放火」も、あちこちで起こるようになる。

独りよがりの正義を掲げる人たちによって一方的に開始され、無関係な人たちがどんどん巻き込まれて、傷ついていく・・・という状況は、まさに戦争そのものである。

こうした「ツイッター・ウォーズ」に参加しているのは、ものごとの良し悪しがわからないこどもや、退屈をもてあましている暇人だけではない。

大学教員、医師、弁護士、議員、経営者など、社会的地位と豊かな収入があり、ツイッターに張りついているような時間はないはずの人たちもまた、熱心に自らの正しさを主張し、自分と異なる意見を主張する人たちを批判している。

不毛な争いを止める側であるはずの良識ある人たちが、積極的に炎上に参加する側、あるいは自らが炎上する側になってしまうことで、戦線はさらに拡大する。

なぜツイッターが「戦場」になるのか

言うまでもなく、ツイッターは誰かを燃やすための火炎放射器でもなければ、過去の不発弾を探り出すための地雷探知機でもない。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の一つであり、短い文章をベースにした情報発信・収集を行うことのできるウェブサービスである。

スマートフォン(スマホ)やパソコンから、140文字以内の文章、写真や画像、動画を投稿(ツイート)することができ、他人の投稿を閲覧することもできる。タイムライン(=自分のフォローしているアカウントの投稿が時系列で並んでいる画面)を眺めれば、自分が知りたい情報を、リアルタイムですぐに知ることができる。

匿名での利用も可能であり、年令や性別、住んでいる地域を超えて、世界中の様々な人とコミュニケーションをとることができる。

ツイッターは全世界で3億人以上に使われており、日本においても月間アクティブユーザー数は4,500万人を超える、LINEと並ぶ国内最大級のSNSである。若い世代の間でも、10代後半(15~19歳)の76.9%、20代の65%がツイッターを利用している 。

事件や災害が起こったときの情報確認や、グルメや旅行、アニメや音楽などの趣味・余暇に関する情報収集、現実世界の著名人・知人・友人との交流を目的として利用している人が多い。

みんなが日常的に使っているSNSが、なぜ血生臭い戦場になってしまうのだろうか。

その理由の一つは、「情報の拡散する速度がきわめて速いから」である。ツイッター上では、ひとたび事件や災害が起こると、あっという間にリツイート(RT:他人のツイートを再びツイートすること)やハッシュタグ(#) で情報が拡散される。多くの人が話題にしているキーワードはトレンドとして表示され、さらに多くの人の目に触れるようになる。

情報は、人々の感情に訴える単純な内容であればあるほど、広まるスピードは上がる。そして、情報伝達の速さと情報の正確さは反比例する。その結果、様々な誤解や誤読が生まれて、争いが起こるようになる、というわけだ。

<ツイッターの特徴>
① 正確さに欠けるが
② 人々の感情に強く訴える情報が
③ 単純化されて  
④ ものすごい速さで広まっていく世界

こうした環境の中では、誰もが炎上に巻き込まれるリスクがある。無名の一般人であっても、責任能力のない小学生であっても、うかつな投稿をしてしまえば、数百人~数万人から叩かれて炎上する。タイムライン上で批判が殺到するだけでなく、自宅や職場に嫌がらせの電話やクレームが届くなど、現実世界にも悪影響が出ることもある。

そして、一度ネット上に出回った投稿・画像・動画は、半永久的に残る。消したくても消えない「デジタルタトゥー」になり、進学や就職に影響することもある。ツイッターで炎上したことがきっかけで、失業や家庭崩壊、訴訟、場合によっては自殺や他殺といった取り返しのつかない結果を招いてしまうこともある。

ツイッターの世界は、私たちがいつも肌身放さずに持ち歩いているスマホの中で起こっている、最も身近な戦場だと言える。

最も身近な「正義の教室」

「そんなに危ない世界であれば、最初から関わらなければいいじゃないか」「ツイッターなんて見なければいいじゃないか」と思う人もいるかもしれない。

しかし現在の日本においては、ツイッターはLINEと同様のコミュニケーション・インフラになっている。やりたくなくても、友達とのつき合いや、仕事仲間との交流、情報収集のためにやらざるを得ない状況に置かれている人も少なくないだろう。

データによると、高校生の多くがツイッターを日常的に使用している。2019年の調査 によると、15~19歳のツイッターアカウント所持率は85.1%。アカウント所持者のうち、複数のアカウント所持者は66.5%だった。こうした中で、「ツイッターを一切やらない」という選択肢は、現実的ではない。

通学中の電車やバスの中、あるいは勉強の合間の休憩時間にタイムラインを眺めて、誰かの投稿をRTしたり、「いいね!」を押していると、その時のトレンドや炎上している事件=「正確さに欠けるが、人々の感情に強く訴える、単純化された情報」が否応なしに飛び込んでくる。

そうした情報に触れた時に、「許せない」という正義感に駆られて、情報の拡散や特定個人へのバッシングに加担するか。

「ちょっと待て。これは正確な情報ではないかもしれないぞ」と、立ち止まって考えるか。

「これは明らかに叩くほうがおかしい」と、燃やされている人を擁護する側に回るか。

ツイッターを利用している人は、毎日の空き時間になんとなくタイムラインを眺めているうちに、炎上に加担する「加害者」になるか、何もしない「傍観者」になるか、燃やされている人を助ける「支援者」になるかの選択と決断を、無意識のうちに行っていることになる。

そう考えると、ツイッターは、私たちにとって最も身近な戦場であると同時に、正義を学ぶための最も身近な教室になっている。

リスクとデンジャーの違い

ツイッターが日本に上陸した2009年から現在に至るまで、私は自らの運営するNPO(非営利組織)の情報発信のために、日々ツイッターを利用している。

NPOの仕事は、社会課題を解決することである。貧困や格差、地球温暖化、ジェンダー不平等や性的マイノリティに対する差別など、現代社会には様々な課題が溢れている。

社会課題を解決するためには、その課題を解決することの正しさを社会に発信することが欠かせない。そのための手段として、SNSは必要不可欠なツールになっている。

それぞれのNPOが、自らの信じる正しさをSNS上で発信する中で、正義と正義のぶつかり合いが生じる。あるマイノリティ(少数派)の権利を守るために活動しているNPOの正義は、マジョリティ(多数派)にとっては、必ずしも正義ではないこともある。また、同じ分野で活動しているNPO同士でも、正義の内容が食い違うこともある。

結果として、NPOの世界では、「何が正しいか」「誰が正しいか」をめぐる争いが、SNS上で頻繁に起こるようになる。私自身も、他のNPOが掲げる正義に対して、ツイッター上で「それは正義ではない」と批判したこともあれば、逆に他のNPOから批判されたこともある。裁判になり、法廷の場で決着をつけたこともある。

SNS上でのトラブルを回避するための方法については、おとな向け・こども向けを問わず、既にたくさんの本が刊行されている。

しかし、ツイッターの創成期から現在に至るまで、正義をめぐる争いが日常的に起こっているタイムラインを見続けてきた立場から感じることは、トラブルを避ける方法を学ぶだけでは、SNSを十分に活用することはできない、ということだ。

危険を過度に恐れるあまり、SNSで自分の意見を発信することに及び腰になったり、話題になっている事件や困っている人になるべく関わらないようにすることは、必ずしも正解ではない。

危険とは、避けるだけのものではない。管理すべきものである。危険には、リスク(risk)とデンジャー(danger)の二種類がある。

リスク(risk) 管理できる危険
デンジャー(danger) 管理できない危険

リスクとは「管理できる危険」である。例えば、車の運転中に事故で亡くなるリスクは、シートベルトやエアバック、自動ブレーキや車間距離制御装置などで下げることができる。投資でお金を失うリスクも、株式市場や資産運用の知識を学ぶことによって下げることができる。

デンジャーとは、「管理できない危険」である。たとえば、マンションの10階から飛び降りる行為は、「管理できない危険」である。どれだけ筋トレをしても、事前に保険に入っても、死ぬリスクは全く減らせない。運が良ければ、たまたま下を通っているトラックの幌にぶつかって助かるかもしれないが、それは計算も管理もできない。

ツイッターをはじめとしたSNSの世界に潜んでいる危険の大半は、デンジャーではなく、リスクである。つまり、管理できる危険だ。全くのゼロにすることはできないが、減らすことはできる。

本書では、SNSを使用する際のマナーやリテラシーといった表面的な領域からさらに一歩踏み込んで、これからの社会を生きるこどもたちが、リスクを踏まえた上で、批判や炎上を恐れず、自分が正しいと思う主張を堂々と発信するため、そして自分と異なる正しさを掲げる他者と対話していくために必要なノウハウを伝えることを目的とする。

キーワードは「メタ正義」

本書は、正義をテーマにした本である。しかし、特定の考え方を取り上げて、「これが本当の正義だ」「これさえ覚えれば大丈夫」と主張するようなことはしない。

正義とは、正解ではない。どこかに正しい答えがある、もしくは正しい答えを知っている人がいる、というわけではない。正解を誰も知らない状況の中、明確な基準やルールがない現実の中で、自分なりの考えを打ち出して、他者の理解と支持を集めること。これが正義の基本条件だ。

そう考えると、必要なのは、偉い人や頭のいい人から「これが正義だ」という教えを受けるではなく、私たち一人ひとりが、自分なりの正義の作り方=「メタ正義」を学ぶことである。メタ(meta)とは、「超越する」という意味の言葉だ。自分の立っている場所、自分の信じている考えを、俯瞰的=鳥のように一段高い視点から捉え直すことを意味する。

みんなが正義だと考えているものは何か。自分は何を正義だと考えているのか。そうしたことを俯瞰的に捉え直したうえで、今必要な正義のあり方を構想する力。これが「メタ正義」だ。

「メタ正義」を身につけることができれば、ツイッターという戦場にあふれる様々な正義を冷静に観察して、よりマシな正義を選ぶため、あるいはダメな正義を選ばないための基準を持つことができる。

偉い人が言っているから、フォロワーの多い人が拡散しているから、メディアでも報道されているから、といった表面的な理由で、他人の正義を信じることはなくなる。他者から批判や攻撃をされても、毅然とした態度で反論し、跳ね返すことができる。

「メタ正義」を身につけることを通して、正義のつくり方と扱い方をマスターすれば、あなたはツイッターを利用するリスクとストレスを大幅に減らすことができる。

そして、SNS本来の目的である、地域を超えた人間関係のネットワークをつくることに専念できるようになる。誰かの過去を掘り返して燃やすためではなく、自分の未来を明るく照らすためにSNSを使えるようになる。そこから、SNSを通して自分を変える力、そして社会を変える力を得ることができるはずだ。

本書が、あなたがツイッターという名の戦場を生き抜くため、そして正解のない世界の中で、オリジナルの正義をデザインするための武器になれば幸いである。

目次

第1章 ツイッターにあふれる「こどもの正義」

1-1 正義って、「間違い探し」なの?
1-2 他者を裁いていいのは、自分が裁かれる覚悟のある人だけ
1-3 正義って、「悪者探し」なの?
1-4 怒ることは、正義なの?
1-5 正義って、「復讐」なの?
1-6 正義って、「誰かのため」なの?
1-7 正義って、「好き嫌い」なの?
1-8 正義って、二択なの?
1-9 データがあれば、正義なの?
1-10 社会のせいにすることが、正義なの?
1-11「こどもの正義」と「おとなの正義」の違い

第2章  「おとなの正義」のつくり方

2-1 「正義のコスト」は、誰が払うの?
2-2 正義と正義のぶつかり合いは、なぜ起こるのか?
2-3 対話する力を身につけるための言葉
2-4 空気に踊らされないスキル
2-5 空気をつくるためのアウトプット

第3章 「正義」を使いこなせるおとなになるために

3-1 「正義の道場」としてのクラウドファンディング
3-2 正義のリスク管理 自分のつくった「正義」に振り回されないために
3-3 まとめ 「わたしの正義」が社会を変える

あとがき

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