海棠の花ゆるる家みつる愛 【バトン企画 2022】
一昨年の春まで、受付・医療事務のスタッフの一員として、十二年間お世話になった医院が、東京、中央線沿線の駅にある。
私の最後の職場だ。
三代にわたって受け継がれている、地元に根付いた医院。
そのため、通われている患者さんもまた、長年、家族ぐるみの御付き合いのご家庭が多い。
本日は、そのなかのおひとりの想い出を、お伝えする。
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お歳のほどは、確か八十の半ばぐらいであっただろうか。
お名前は、雪子さん。
当時の院長より、少し歳上の女性であり、幼少の頃からのお知り合いでもあったそうである。
雪子さんは、糖尿病の治療のために月に一回ほど通院なさっていた。
小柄で、物腰柔らかく、来院の都度、私たちスタッフにも何気ないお話をお聞かせくださり、非常に穏やかな印象のご婦人。
ご主人は既に他界されていて、基本おひとりの生活とのことだった。
お住まいは、医院から徒歩でニ十分ほどの場所にある住宅街。
そのあたりでは、「花海棠の美しいお宅」で有名だったそうである。
毎年、桜の花が終わり、少しした頃
「今年も家の花海棠が美しく咲きました。
お近くにお越しのさいは、どうぞお立ちよりくださいね」
雪子さんがおっしゃる。
その後、医院の院長夫妻は、日々のお散歩の足を少し伸ばして、雪子さんのお宅の満開の花海棠を、よくご覧に行かれた。
翌日、院長は仕事の際に「花海棠、今年も本当に美しかった」とおっしゃり、撮った写真を医院の壁に飾った。
雪子さんと同じ町内にお住まいの患者さんも、また多く来院されていた。
高齢の方が多く、ご自分の生活もままならない方も多い。
そんななか、雪子さんは、町内の清掃や管理を積極的になさり、ご不自由がある方々のお手伝いをなさっていたとのこと。
何名もの患者さんが、代わる代わるに口になさるのが、
「雪子さん、ほんとうによくやってくださってありがたいのです」と。
ご本人も、決してお若くはないのに、多くの方々の生活を支えていらっしゃる方なのだと、知って驚いた。
ある年の、少し春の訪れも感じられるような冬の月末、スタッフの間で、今月は雪子さんがまだいらしていないわね、と話題になった。
ご旅行にでもいかれているのかしら?などと話していると、暫くして、雪子さんのお宅の敷地内に別棟で住んでいらっしゃる、ご長男さんがお見えになった。
そして次のようにおっしゃった。
「母が、先月、自宅で息を引き取りました」
私たちは息をのんだ。
朝、雪子さんの姿が見えないので、どうしたのかなと思い、息子さんが訪ねたところ、ベッドで静かに休んでいて、身体をさわったら、既に冷たくなっていたとのこと。
乱れた様子が一切なかったので、苦しまずに逝ったのではないかとのことだった。
「初雪の降ったあの朝、母は安らかに天に昇ったのだと思います。
きっと雪が迎えに来たのでしょう」
なんて美しい最期なのであろうかと、私は思った。
以来、ピンクの花海棠を見るたびに、そして、東京に雪が降るたびに、私は雪子さんを想い出す。
そして、私もそのような最期を迎えられるようなひとになりたいなあ、と思うのである。
海棠の花ゆるる家みつる愛
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今年も、チェーンナーさんのバドンリレー企画に参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。
私にバトンをくださったのは、アポロン!
そして、私がバトンをお渡しするのは
ピリカさん!
そして、カニさん!
どうぞよろしくお願いいたします!