『やさしさ』を『優しさ』と書くのはなぜだろう?
「あなたは、どんな人が好きですか?」と聞かれたとき返答に困るものですが、今は少し皮肉を込めて『優秀な人』と答えようと思うようにしました。『優秀な人』と聞いて、頭の良い人が好みなのかと思った人が多いと思います。でもそれは違います。私が考える優秀な人とは、その言葉通り、優しさに秀でた人のことです。「厳しい現代社会を生き延びるために、あなたは何を優先しますか?」という問いが投げかけられ、次の5つの選択肢が与えられたとします。『強さ・賢さ・やさしさ・冷静さ・厳しさ』の中で、最もあなたが優先するものはどれですか?この5つの中で『やさしさ』を選んだ人は少ないのではないかと思います。世の中、そんなに甘くはない!強くなければ勝ち残れない!等々『やさしさ』とは正反対の性質が求められる経験をさせられているからです。現代社会は、残念ながら低レベルなシステム上に成り立っています。『やさしさ』だけで乗り越えられるほど甘くはないという考え方は、理にかなっているようです。軍事安全保障を考えたとき、見せかけのやさしさを全面に押し出して「平和憲法があるから大丈夫!」などと言う、とても愚かな人がいます。対等の軍事力を持つから均衡が保たれるのであって、相手に戦意を持たせない状況を意図的につくり出すことは、現代社会においては必要なのです。ただそれは、いつまでも終わらない軍事的拡張を生み出し、有事には壊滅的な破壊をもたらすでしょう。力には力でしか平和を維持できないシステムは、それ自体が狂っているということです。この狂いは正さなくてはなりませんが、その原因はどこからくるのでしょうか。
もともと、日本人の魂の根底には、いつも『やさしさ』がありました。聖徳太子の十七条憲法「和を以て貴しとなす」は、明文化された『やさしさ』の証明です。遺伝子的には、YAP遺伝子を持つことも影響しているのかも知れません。現代社会は西洋的な価値観がグローバリズムとして、押し付けられています。それが正しいか間違っているかの判断は、人それぞれですが、西洋と東洋の価値観の違いは存在しています。チェスと将棋を考えれば、その違いは明白です。チェスは、衝突した駒の強い方が勝ちとなり、負けた駒は消滅します。一方、将棋は、強い駒が勝ちとなることは同じですが、負けた相手の駒は自分の駒になります。負けた相手の命までも尊重する心、『やさしさ』が将棋には込められているのです。相手の戦力ですら自分のものに変えるもの、それが『やさしさ』なのです。過去の世界大戦で、小さな島国である日本が世界から恐れられた理由は、この日本的な価値観が基盤にあったからかも知れません。
それはさておき、『やさしさ』選んだ人は、自らを険しい道へ進ませる選択したことは間違いありません。そんな選択をしたあなたは、もしかすると忙しい毎日を強いられていて、あなたの『やさしさ』を利用する者もいるかも知れません。場合によっては、騙す者までいるでしょう。選ばないほうが良かったでしょうか。でも、たくさんの仕事を任され(押し付けられ)余裕が持てない状態に陥っても、『やさしさ』を選んだ人は自分の歩みを止めないでしょう。そして、困難を一つずつ乗り越えるたびに、『やさしさ』以外の『強さ』・『賢さ』・『冷静さ』など、選択肢で選ばなかった素晴らしい能力を全て身につけているはずです。『やさしさ』以外を重視した人は、ある一面に特化することはできても、高レベルで多様な能力を手にすることはできません。『やさしさ』を『優しさ』と書く理由は、ここにあるのだと思います。『優しさ』そのものが優れた価値なのです。
現代社会を生きる中で、自分を見失い、安易に「成功」と思わされた幻想に駆り立てられた結果、『やさしさ』を手放す人は多いものです。敢えて『やさしさ』を選んだあなたこそ、誇り高き存在であり、真の『優秀な人』になれる人なのです。何かに優れているだけではなく、優しさを極め、秀でた存在になることが、多くの才能や能力を開花させる近道だとも言えます。この国には本当に優秀な政治家や官僚はほとんどいません。国のトップを担う人たちは、日本人では無いか、日本人の魂を捨てた人々に見えます。世の中は、ブーメランのように、自分の行いが巡り巡って戻ってきます。私利私欲にまみれた人たちにこの国の行く末を託してよいのでしょうか。『やさしさ』を基盤にしない「強さ」「賢さ」「冷静さ」「厳しさ」は、高圧的で冷たく非情なエネルギーになります。そんなエネルギーをあなたは受けとり続けたいですか?前述の選択肢の中で、唯一、互いを豊かな氣持ちにさせるものが『やさしさ』なのです。日本が太古の昔から豊かな国だったのは、この『やさしさ』を人々が大切にしてきたからなのでしょう。民族差別をするつもりはありませんが、日本人はみんな『優秀』だったのです。世界が変わるとき、最も大切な価値として、この『やさしさ』を復活させなくてはならないと思うのは、私だけでしょうか?人生の基盤として、『やさしさ』貫くことは困難なことかもしれませんが、それができる人こそ『優秀な人』なのです。不可能を可能にする『優秀さ』が世界を変え、素晴らしい世界を創造するのだと思います。
そんなことをあれこれと考えていたとき、携帯の通知音が鳴りました。Telegramからの通知で、そこには素敵な英文のメッセージが書き込まれていました。「・・・Impossibleを消し去り、I’M POSSIBLEに置き換えて下さい。」英語圏の人達には、知られた言い回しなのかも知れませんが、日本人の私には新鮮で驚きでした。英語で考えると、こんなに簡単なことだったのか・・・。この言葉、良いと思いませんか?自分が決めつけなければ不可能を可能にするのです。可能性を縮小するのではなく拡大すれば、その現実が引き寄せられてきます。自分の視点やあり方を変えるだけでいいのですから、やってみる価値があります。不可能だと決めつけて納得してしまえば、楽なのかも知れませんが、「優秀なあなた」なら夢を現実化できるでしょう。ナポレオンは言いました。「吾輩の辞書に不可能はない!」本気でそう思えたなら、限界を超えた自分がそこにいるはずです。すべてを決定しているのは「自分」です。昔、「太陽の人にオレはなる!!!」という記事を書きましたが、優しさを極めることが「太陽の人」に近づく道だと思えてきます。未来への重たい扉が開き始めたようなので、動き出す機会がついに来ました!足止めされていた分、誰も止めることはできないほど一氣に加速するときです!!不可能なことなど一つもない!!!
『やさしさ』を言葉や行動で表現できる人は、そのままでいい、そのままで十分、そのままで素晴らしいのです。『やさしさ』を基盤して人生経験を歩んできた優秀な人は、どんな時でも周囲に温かい安らぎのエネルギーを与えます。人によっては、自分のエネルギーが枯渇するまで与えてしまわないか心配にもなります。そんな素敵な人と出会ってエネルギー交流ができれば、互いの人生は豊かなものになるはずです。互いに増幅させたエネルギーは、不可能を可能にして奇跡をより現実化することでしょう。だから、敢えてもう一度いいます。「私は『優秀な人』が好きなのだ!」と。新しい世界には、高レベルなシステムを構築するために、奇跡の連続が必要なのです。この文章の本質が読み取れた人は、きっと私のソウルメイトなのでしょう。出会いの時が来るまで、幸運を祈っています。
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