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ひらがなエッセイ #14 【せ】

    友人がクリスチャンだった、という事もあってその連れに付き添い、教会に通う日々を過ごした時期がある。確か大学生の頃だったかとは思うが、私は何を隠そう、昨日の晩御飯さえ思い出せないぐらいに記憶力が皆無なのである。餃子だったかな、違うか。まぁ、それは良いとして、私と友人は毎週日曜日の朝に集合して教会に向かい、パイプオルガンの音色で賛美歌を歌い、【聖書】について学び、お昼になると、教徒さん達やそのお子様達と一緒にカレーを作ったりしながら過ごした。私は高校生の頃から一人暮らしをしていて料理には自信があったので、無宗教の調理班として重宝された。その空気感が心地良かったのか、誰かに必要とされる事に喜びを覚えたのか、私は日曜日になるとその友人と連絡を取り合い、教会へ向かった。

     ある日私は牧師先生に、ニーチェは神は死んだと言ってますがどうなんですか? と質問した。牧師先生は、ただただ白く草臥れた顎髭に手をやり、穏やかに「ニーチェは怖いねぇ。 」とおっしゃった。会話の途中で顎を触りながら話す人は、君より私の方が立場が上だアピールであり、その会話について君より優位に立てるぞ、という仕草である。背中に冷や水を一滴垂らされた心持ちで「確かに怖いですよねぇ。」とだけ返した。私が怖かったのは牧師先生の目が笑っていない笑顔であった。あかんあかん、あの目はあかん、人が踏み入れたらあかん領域があるわ、調子に乗ってました、解散解散、なんて思いながらも口には出さず、私はその日を境に緩やかに教会から離れていった。

    教会の子供達が手作りして私にプレゼントしてくれたリーフが部屋の壁に飾ってある。それを見るたびに、私はあの目を思い出す。皆それぞれに神を持つ。私はあの人の神を撃ったのだ。なんてぼんやり考えながら、とてもいけない事をしたなぁ、と、クリスチャンの友人から頂いた【聖書】をパラパラと読んでみたが、私には未だに理解出来ない事の方が多い。イチジクの木に話しかけたり、湖の上を歩いたり、小さなパンをちぎって何千人を満腹にさせたり、果てには死者を蘇らせたりしている。なんっじゃそら、と思う事は多いが、その節々に慈愛に満ちた会話や行動が織り成されていて、成る程【聖書】とは、この世界で一番美しい嘘、と、言っても良いのかも知れない。あぁ、こんな事書くとまた誰かに怒られちゃいますよね。

    ごめんちゃい。

    では、最後に私の好きな一節を。

風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない。

(旧約聖書『コヘレトの言葉』11章4節)



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