へりくだってばかりでいいのか
こんばんは。
おととい夕方、やっとバイト応募のあれこれがひと段落。
履歴書等の準備もそうだが、なにより面接が終わるまでは気持ちが落ち着かず、noteがご無沙汰になってしまった。
ただ、面接が終わったらすぐ書けるように何個かテーマは考えてあったので、ひとまず働き始めるまでは定期的に書いていく予定。
今回は、前回の更新以降に読んだ本から、「おおっ」と思った1冊を紹介したい。
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紹介するのは、「謙虚力」。詳細は以下にまとめる。
タイトル:「謙虚力 超一流のリーダーになる条件」
著:松井住仁
出版:幻冬舎
初版発行:2019年9月
謙虚とか、謙遜とか。でしゃばらずにへりくだるその感じが、日本人の多くは文化として大好きな気がする。
下手(したて)に出て、相手を敬う。
自分を主張するより、相手を優先する。
このように、だれかと接する際の謙虚な行動・言動は、日本において一般に美徳といわれる。
また、自分の能力を見せびらかさないなど、自己主張を控えてつつましく存在する、そういった謙虚な姿勢も嫌う人間はいないだろう。
謙虚ということばを聞くと、漠然とこんなイメージが浮かぶ。
だからこの本もタイトルだけみて、どうすれば謙虚になれるかとか、そんなことが書かれているのかなあ、と思って借りた。
あとは、個人的に謙虚で素直な人に憧れていたから。
まさに、この本を借りた動機は完全にタイトルゲーである(失礼)。
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この本から強く受け取ったメッセージは、「謙虚を履き違えるな」と「譲らない部分も必要」。
そう、読む前に抱いていた謙虚のイメージが必ずしも正解ではないということだ。
ここで筆者のことばを借りよう。
「謙虚力」とは僕の造語で、単にへりくだり相手に譲るのではなく、相手を尊重し立てながら自己主張をする力のことです。(「謙虚力」p5・ℓ10)
つまり、「謙虚」とは相手の意見をしっかり聞いて理解し、その上で自らの考えを述べること。
もちろん初手からガツガツ自分を押し出すのは、さすがに謙虚とは言えないとわかるだろうが、
ハイハイ頷いてばかりで、自分からはなにも発しないのも違う。
言ってしまえばそれは、他人に合わせているだけの人だから。
そうか、
謙虚ってみんなにやさしく、あたりさわりのないように、
でしゃばらないように、器用に生き通すことじゃなくて、
いろんなことをいったん受け止めて、それに対してちゃんと反応を返すことなんだとわかった。
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様々な意見に耳を傾けた上で、それらに対してのYes/Noを判断し、自分の意見を述べる。
ということは、自分なりの軸や基準が不可欠になる。
そして自分なりの判断基準を明確にするには、いまの自分をきちんと理解する必要がある。
現状を見つめ、他人を認める。
だから、謙虚のはじまりは、相手じゃなくて自分だ。
自分がしっかりしてはじめて、成り立つ世界線である。
自分なりの基準ができれば、それは同時に、相手の言い分を譲るか譲らないかの線引きになる。
線引きを引く場所は、譲る7割、譲らぬ3割がベストだという。
したがって、相手の要求や意見を飲まない部分、それこそが自己主張として生きてくるのだ。
自分を見つめることが、相手を受け入れ、ゆるがぬ基準を作っていく。
謙虚でいることは、相手を念頭に入れて行動するゆえに、自分の意識としては外向きの矢印が働いているものだと思っていたが、
自らに謙虚さがうまれる矢印は、きわめて内向的だとわかった。
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日本人は、相対的に自己主張が少なく、受け身だとよく聞く。
もちろん、すべての人がそうだとは思わない。
しかし、へりくだる文化は簡単には消えない伝統だろう。
相手の言うことを聞いているのはラクだ。
なにも考えなくていい。きちんと従順であれば、怒られもしない。
それが美徳だと評価されてたまるか。
それが謙虚さの真髄だと語られてたまるか。
情報社会が発展するいま、
SNS等で他人の動向を知る機会は圧倒的にはやく、かんたんに手に入れることができるようになった。
他人を知るより先に、私たちは自分を知らなければならない。
しかし、自分にばかり意識の矢印を向けつづけると、自分に反するアイデアを吸収しなくなるリスクもある。
このバランスもまた、難しい。
だが、この作業って情報を集めたのちに、自分の考えに照らし合わせてそれらを取捨選択することでもあるのか、と思ったり。
自分を素直に見つめ、軸をつくり、フラットな目線で他人を受け入れ、そして自分を出す。
言うは易く行うは難し、とはこのことか。
まだ気軽に外出することも推奨されぬいま、
個人的に人生に迷っているいま、自分を見つめることが必要な機会に出会えてよかった本だった。
タイトルゲーで選んだ本も、いろんな意見に出会うための一歩だと思うと、悪くない。
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