ポケットに名言を


寺山修司は日本の演劇や文学の世界に大きな足跡を残した歌人、劇作家である。代表作には「われに五月を」「田園に死す」などがある。彼の作品の中に『ポケットに名言を』という世界の文学や映画などから名言を切り取った箴言集がある。

大学の同級生に貸したのだが、未だに返却されていない。本を交換しあって読もう、との事だったのだが、てっきり返してもらえると思っていた。ポケットに名言を、というくらい自分の心を浄化する格言ばかりが選出された本で、そっと見返せるように持っていた。いわゆるお守りみたいなものだ。

オスカー・ワイルド、マルクス、フランシス・ベーコンなど数多くの著名人から引用されているが、今回は2つの格言を紹介したい。

まず、1つ目だが、太宰治『晩年』から。

死のうと思つてゐた。ことしの五月、よそから着物を一反もらつた。お年玉としてである。着物の生地は麻であつた。鼠色のこまかい縞目が織りこめられてゐた。これは夏に着る着物であらう。夏まで生きてゐようと思つた。

太宰治『晩年』

太宰治の死生観は有名だ。5回以上の自殺未遂を繰り返しているし、愛人と共に入水自殺をしたことで知られている。

夏はどうしても死にたくなる。

じめじめとした梅雨が明けると心も軽くなるような気がするが、「夏季うつ」と呼ばれるように、暑さからの疲労感の蓄積や、食欲低下、エアコンの冷えによる自律神経の乱れから自死を図る人も少なくは無い。わたしも夏を迎えるとその暑さから暗い気持ちになってしまうことが多い。いつも暗いと言われれば否定はできないが。

「夏まで生きてゐようと思つた」と生に希望を見出すのは、夏に着る着物を貰ったからだ。せっかく貰った着物を着れず、夏が訪れる前に死を選ぶのは惜しいと思ったのだろう。

わたしは夏生まれであり、ちょうどお盆真っ只中に生まれた。本気で死にたいと思ったことは幾度とあるが、実際に行動に移したことはない。毎年夏を迎えるのに高揚感とは反対に重苦しい感情がのしかかる。どうにか生きてみよう、と思うのは私が夏生まれだからだ。夏、自分の誕生日を待ち望んでいる。今年もまたひとつ歳を重ねていく。

2つ目は、この本からの引用だ。

忘れないということは、一体何だったのであろうか?

私には、忘れてしまったものが一杯ある。だが、私はそれらを「捨てて来た」のでは決してない。忘れることもまた、愛することだという気がするのである。

寺山修司『ポケットに名言を』

忘れたいことは人生において数え切れないほど存在する。あの人と過ごした時間、失敗してしまった瞬間、何かちくちくとした言葉を言われた時。わたしは、恋人に浮気をされた過去がある。忘れたくても思い出というのは都合が悪く、あの人が好きだった物を見るだけで思い出してしまう。

浮気された自分が悪いとは決して思っていない。むしろ、こんな素敵な私と別れてしまい、ご愁傷さまと思うくらいだ。わたしを選ばなかった者たちへ、全員後悔して欲しい。

忘れる為に先を急ぐ、ことがいいことなのか?別れた恋人を後から悪く言うなんていくらでもできる。上書きを重ねて忘れていく、果たしてそれがいいことなのか?時々あの人を思い出すことがあるが、私は忘れた訳では無い。

あの人が好きだったペンギンは私も好きだし、唐揚げ、ハンバーグが好きなところも変わっていない。
別に無理に忘れようとしなくったっていい、あの人を愛していたことは事実であり、私の中の人生の一部として存在していたからだ。許したわけじゃない、でも無理に忘れなくてもいいと思う。

人が紡ぎ出す言葉は時に救いに近いお守りになる。鋭利な刃物として人を傷つけることもできる。

「忘れることもまた、愛することだ」という言葉はわたしの心の中にずっと残っている。人は1日に3万回もの思考の取捨選択、判断をしているという。人を傷つけないために、言葉を取捨選択する、心に残したい言葉を書き留めておく、忘れることで過去を愛する。

そうすることで、私が私らしく、人に優しくすることができるのではないかと思う。

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