勿忘草

日々の記録、日記、音楽

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最近の記事

カーテン越しの隙間から漏れる光が夏の夜明けを知らせる。ジリジリと蝉の鳴き声が煩い。また夜明けを迎えてしまったようだ。惰性で過ごす夜の冷房の風がひんやり冷たい。エモいと一言で片付けられてしまう夜明けの青さはまた私たちに別れを告げ、眠りにつく。夜は夜明けの前が1番暗いらしい。

    • 好きな人としたいこと

      好きな人としたいこと、最近そればかり考えている。 恋に恋してる、とかいうけどこれじゃ架空の存在に恋してるみたいだ。いつか誰かと付き合う日のために妄想ばかりしている。推しに夢中になってる方が余程マシだと思う。 恋バナ?彼氏?彼女?今の私はそんな存在とは程遠い。好きな人がいないのだ。なんとなくで付き合うってなんだ?趣味が素敵だから付き合う?それっていいこと?かっこいいから?恋人は頭がいい?身長が高い?大企業に勤めてる?年収がいい?ハイスペックな彼氏ってなんだ、ステータスがある

      • ポケットに名言を

        寺山修司は日本の演劇や文学の世界に大きな足跡を残した歌人、劇作家である。代表作には「われに五月を」「田園に死す」などがある。彼の作品の中に『ポケットに名言を』という世界の文学や映画などから名言を切り取った箴言集がある。 大学の同級生に貸したのだが、未だに返却されていない。本を交換しあって読もう、との事だったのだが、てっきり返してもらえると思っていた。ポケットに名言を、というくらい自分の心を浄化する格言ばかりが選出された本で、そっと見返せるように持っていた。いわゆるお守りみた

        • 誰にも見つけられない星になれたら

          大学に入ってから何故だか斜に構えていてとても生きづらい。例えばいい趣味だねと言われてもどうせ何も私のことをわかっていない、と否定的に捉えがちだ。全てを知っていると思い込んでいるのは自分自身しかいないのだから、その否定的な思考すら馬鹿馬鹿しいのだが。 音楽を聴いて憂鬱さに浸る時間も増えた。夜中に音楽を聴き始めると自分の思考や価値観について考え出していつの間にか夜が明けている。憂鬱や陰湿さは決して消極的な気持ちになるだけではなくて、救いの面もある。 例えば私はきのこ帝国が

        カーテン越しの隙間から漏れる光が夏の夜明けを知らせる。ジリジリと蝉の鳴き声が煩い。また夜明けを迎えてしまったようだ。惰性で過ごす夜の冷房の風がひんやり冷たい。エモいと一言で片付けられてしまう夜明けの青さはまた私たちに別れを告げ、眠りにつく。夜は夜明けの前が1番暗いらしい。

          きらめき

          幼少期の記憶というものは不思議なものだ。もう15年ほど経っているのに好きな物や、楽しかった思い出は未だにふと思い出すことがある。 わたしは幼少期から2、3回ほど引っ越している。それは祖母の家の地域が花粉が酷く、弟の症状が悪化してしまうから、夫婦間の仲が悪く別居することになった、など大人の事情もあるのだが、私が強く記憶に残っているのは海辺の幼稚園へ通っていた頃であろうか。 わたしは海辺の幼稚園に通っていたのだが、今はもう幼稚園は廃止になってしまい、空き地になっているそ

          きらめき

          概観、2023

          春の陽気を感じられる暖かな日々も過ぎ去り、最近は木枯らしが吹き荒れて本格的な冬の到来を感じています。あの暖かな春が待ち遠しいです。 さて、2023年も終わりが近くなってきました。怒涛の1年だったのでは無いかと思います。20歳(はたち)という節目を終え、私は21歳になりました。いよいよ20代の突入ということで、大人に近づいたことといえばビールを飲めるようになったことくらいでしょうか。ビールが大人のイメージというのはいかにもステレオタイプ的な考えですが。 自分が大人になりたい

          概観、2023

          「冬」というものはどうしてこんなにも悲しくて淋しい思い出ばかりを思い出してしまうのだろう。動物たちは皆ひとりで越冬し、春を迎えるのに、ひとりひとり孤独なわたしたちは誰かの温もりに縋って、冬の寒さを誤魔化している。そんなの生き物らしくないと思った。

          「冬」というものはどうしてこんなにも悲しくて淋しい思い出ばかりを思い出してしまうのだろう。動物たちは皆ひとりで越冬し、春を迎えるのに、ひとりひとり孤独なわたしたちは誰かの温もりに縋って、冬の寒さを誤魔化している。そんなの生き物らしくないと思った。

          幼い頃の記憶-タオルケットは穏やかなを通して-

          2023年1月にリリースされたカネコアヤノの「タオルケットは穏やかな」。タイトルにもなっているが「タオルケットは穏やかな」は今年最も聴いた曲ではないかと思う。また、「よすが」に収録されている「抱擁」だが、この2曲を合わせて聴くと私の幼い頃の記憶が蘇る。 例えば「タオルケットは穏やかな」に という部分がある。 この歌詞を見てわたしはハッとした。わたしは小さい頃からずっと一緒の、大学へ進学する際にも実家から連れてきた「くまのぬいぐるみ」がいるのだが、昔から大事にしてきたの

          幼い頃の記憶-タオルケットは穏やかなを通して-

          わたし・僕でいるための『わたしたち』/ カネコアヤノ

          前作の「よすが」はコロナ禍を通して制作されたこともあり、寄り添うような優しいメロディが多かったイメージだが、今作「タオルケットは穏やかな」は全体を通してとてもシューゲイザーを感じる構成となっている。まず「わたしたちへ」冒頭も同様に、今回「タオルケットは穏やかな」制作にあたり新たに参加した照沼さんの力強いドラムのイントロから始まる。 「退屈に慣れる」とはどういうことなのだろうか?「退屈」とは何もすることがなく暇を持て余したり、飽きてしまうことだが、わたしたちは日々退屈しない

          わたし・僕でいるための『わたしたち』/ カネコアヤノ