見出し画像

幼い頃の記憶-タオルケットは穏やかなを通して-

2023年1月にリリースされたカネコアヤノの「タオルケットは穏やかな」。タイトルにもなっているが「タオルケットは穏やかな」は今年最も聴いた曲ではないかと思う。また、「よすが」に収録されている「抱擁」だが、この2曲を合わせて聴くと私の幼い頃の記憶が蘇る。


例えば「タオルケットは穏やかな」に

今の形になるほどに
アイスキャンディー熊のぬいぐるみ
大事にするのが大変になるのはなぜだろう

「タオルケットは穏やかな」より

という部分がある。

この歌詞を見てわたしはハッとした。わたしは小さい頃からずっと一緒の、大学へ進学する際にも実家から連れてきた「くまのぬいぐるみ」がいるのだが、昔から大事にしてきたのにも関わらず、歳を重ねるにつれ、部屋の片隅に置かれ眺めるだけの物となってしまっていた。小さい頃は熊のぬいぐるみを肌身離さず一緒に生活していたのに、そのような記憶も薄れてきていた。「今の形になる」とは、歳を重ねるということ、手入れをするとまではいかなくても、それをこれから先も大切に扱っていくのはとても大変な事だ。
新しいものを買った時には嬉しくて丁寧に扱うのに、慣れてしまうと雑に扱ってしまう。物を大事にするのも人と付き合っていくのも似ているし、大切に扱うのは人も物も動物も全て同じだ。
また、熊のぬいぐるみと一緒に大事にしていた「タオルケット」のことも思い出した。わたしはそのタオルケットの柄や匂いが好きだったのではなくて、柔らかいさらさらした手触りが好きで寝る時は必ず手触りを確認して眠りについていた。
今でも手触りの良いハンカチをついつい買ってしまう。

「抱擁」の歌詞に

年はまた明けていった
天井の角を見つめ 心を許したかったから

「抱擁」より

というフレーズがある。

母はそんな寝る前の私にいつも読み聞かせをしてくれていたのだが、寝る前の景色は今のようにスマホの明るい画面ではなく、暖かい豆電球のオレンジ色の光や、天井の柄を眺めながら眠っていた。母の体温が温かく心地よかったこと、怖くて眠れない日は一緒に手を繋いで眠ってくれたこと、体調が悪く風邪をひいた日は夜遅くまで看病してくれてたこと、一戸建てに住む前は狭いアパートで皆で眠っていたこと、色々な記憶を思い出した。
祖父の家へ泊まりに行った際には、天井のシミや木の模様が顔や足跡に見えて、ちょっぴり怖かったことを今でも覚えている。

わたしは今一人暮らしをしているのだが、「怖い夢なんて忘れてしまおう」「大丈夫と抱きしめて」とカネコアヤノに言われると、怖くて眠れなかった私を包んでくれた母の温かさを思い出す。毎日ひとりで寝る夜に、そんな優しい「有り難さ」を感じて今更しみじみしている。怖い夢を見ても、眠れなくても今はひとりで眠るしかないからだ。地元の大学に行く選択肢もあったのに、一人暮らしをしたいと言って家を飛び出したのは自分だから仕方ないのだが。一人暮らししたての頃はストレスのせいなのか何故か金縛りにあっていてとても怖かった。今も「おかえり」「ただいま」を言ってくれる人がいなくて少し寂しい。

わたしが帰省する度に好きな料理を作ってくれること、一人暮らしを未だに心配してくれていること、失恋した時も美味しいものを食べなさいと1番に気にかけてくれていたこと、全てが愛されているのだとありがたく思う。憎まれ口を叩いていた反抗期がとても恥ずかしい。

また、「タオルケットは穏やかな」のMVは目まぐるしく変わる景色、そしてほんの少し映るカネコアヤノの姿がある。ほんの一瞬なのにカネコアヤノの眼差しはとても力強く、目まぐるしく変わる生活の中で「生きろ」と言われている気がするのである。本気で死にたいと思った時があるのか思い出せないが、だからこそ「生きろ」という眼差しに応えるように日々必死に生きている、気がする。このMVは日々の生活を切りとったような描写がいくつも見られるが、私たちの人生も同じように、母が私を育ててきた二十数年の時間もこのように目まぐるしく変わってきたのかなと思う。

子の成長は早く、親の老いは早い。限りある時間の中で少しでも恩返しがしたいと思っているし、成人したばかり(といっても1年前だけれど)の私がまだ愛がどうだとか、こういうものだとかははっきり分からない。失恋を経験しても、別れ方がどうであれ一人の人間をめいいっぱい愛することが出来たということ、は忘れないようにしたいし、そろそろ自分が辛い時に甘える勇気を持つことを理解したい。

カネコアヤノが言うように「曖昧な愛」でも誰かに真っ直ぐな愛を届けられるようになりたい、誰かを温かな光で包み込めるような、安心して貰えるようなそんな柔らかい存在になりたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?