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【くら仮日記①】化石や剥製を見たら「でか」と取り敢えず言う(国立科学博物館)。

今回は国立科学博物館へ行った。 ここへ行った理由は、単純に動物が好きだったこととジャイアントバイソンの化石があると聞いたから。強くてデカい「生きる要塞」だったジャイアントバイソンの化石があるらしい。こりゃ見にいくしかないよな。 (ちなみに写真は一枚もありません。写真を撮るという文化がないのです。これからは撮るようにします) 国立科学博物館へ最寄駅は上野駅。公園口からまっすぐ歩いて、国立西洋美術館を右に曲がると見えてくる。入り口は地下(太陽光の入ってくる広場みたいな地下)に

    • あの時ほんとうはなんて言いたかった?

      「お前さえいなければな」 小学校での文化祭の頃、クラスのリーダー的な人にそう言われた時、僕はほんとうはなんて言いたかったんだろうか? 僕は自分の気持ちを理解することが苦手だ。暑いとか寒いとかそういったことは過剰なほど理解できるのに、心の中となると途端によくわからなくなる。嬉しいことがあっても、嬉しいと思えない。嫌なことがあっても、嫌だと思えない。いつもそうだ。 本当の気持ちがわからない代わりに、僕がいつも心の中で思うことは「まぁそんなもんだよな」とか「別にいいや」とか、

      • 興味はすぐに腐ってゆく 〜私がnoteを書けない理由を添えて〜

        私は時々今のようにnoteを書くのだが、その頻度は極めて低い。 別にnoteを書くこと自体は悪いことではないし、むしろnoteを書いて発見などをシェアすることは良いことであり、誰かが書いたnoteを自分が読んで知見を得るということも多い。 だからむしろnoteはたくさん書いた方が自分にとっても他者にとっても良いことだと思う。 それでも、私はnoteをなかなか書けない。なぜなのだろうか?自分の行動なのに、自分がその理由を理解できていない。 この疑問を解決しようと、私は「

        • 好きではないものを好きになろうとしていた。

          自分はどんな人間だろうか? 僕は自分を説明するときに、いろんな「自分を構成する要素」を挙げることがある。どんなことをしてきたか、どんなことが苦手か、どんな性格か、どんなことを考えているか、そして、どんなものが好きか。 そしてそれらはいずれ「自分はこういう人間だ」というものに変わっていく。 でもこれが、自分の枷になるとは思ってもいなかった。自分を定義すること、自分はこういう人間なんだと知ることは決して悪いことではないのだが、かといって必ずしも良いことばかりではない。 僕

        【くら仮日記①】化石や剥製を見たら「でか」と取り敢えず言う(国立科学博物館)。

        • あの時ほんとうはなんて言いたかった?

        • 興味はすぐに腐ってゆく 〜私がnoteを書けない理由を添えて〜

        • 好きではないものを好きになろうとしていた。

          音楽の賞味期限の中で、ふとした時に思い出す一曲。そこに見えるもの。

          私はよく音楽を聴く。 私が誰かの曲を知るのは、大抵どこかの店のBGMからだったり、テレビの紹介からだったり、人の勧めからだったりする。誰かが好きで聴いている、誰かがリクエストしている。そんなところから私は誰かの曲を知り、そして歌詞を調べたり何度か聴いてみたりして、自分が今気に入っている曲になっていく。 でもそれは、一時的なものだと思う。 私が気に入る曲のほとんどは一ヶ月も経てば聴かなくなるし、一年もたてばそんな曲を聴いていたことすら忘れてしまう。 音楽に賞味期限はない

          音楽の賞味期限の中で、ふとした時に思い出す一曲。そこに見えるもの。