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希死念慮まみれの私を救ってくれた東日本大震災支援ボランティア

こんにちは〜!🎐 最近激しい胸痛×喉に突き抜ける痛みがあって、狭心症か?と思い、昨日から循環器内科で検査を進めているkeburiです〜!受付の人が明るくて元気で、この病院良過ぎ、幸せになれる〜☺️

さて、アイスブレイキングもそこそこに「は?」「なんで?」と言われそうな表題の内容に触れていきたいと思う。

私の病歴自体は10歳頃(自殺未遂に至った前)からある。が、19歳の頃、(内定先の研修の)携帯販売でのカスハラや自分の無力さで閾値を超え、抑鬱状態と希死念慮に耐えきれず心療内科で初診を受けた。初診の時のSDS(Self-rating Depression Scale/自己評価式抑うつ性尺度)で「死にたい」にしっかりチェックを付けたのは今でも覚えている。力強い筆圧ッッッ!!

専門学校を卒業しても就職先の部署が携帯販売だったので、ミスしたら死ぬ・暴力をふるわれるというような地獄は続いていた。車載機器への部署異動があり、ある程度、鬱状態も落ち着いてきた。

話は1年巻き戻るが、私が専門学校を卒業する直前の2011年、未曾有の大災害である東日本大震災が起きていた。

私は千葉県にいたがそれなりに「あの不気味な揺れ」を体験している。私自身もその時に職場におり、お客様を逃がすのに必死だったし、帰りはWALKMANでラジオを聴きながら徒歩で帰った。惨状がテレビで流れ続けて、私は鬱状態の眼でも、被災者の状況に自分が立ったらと思うと涙が止まらなかった。

で、車載機器の部署異動となってから抑鬱は大分マシになりつつあった。-100が-90になったくらい。

時間差こそあったが私は何かできることはないか、と考え始め、「ボランティアプラットフォーム(現在ではそのマッチングサービスは終了している)」に登録した。「これが不足している」という物資支援のお願いをしている被災者の方が沢山いた。

私は1ヶ月に4万〜6万ほどかけて物資を送り始めた。必要とされる物資を送る他にも、時としてハロウィン企画をしたり、お子さんの誕生日のプレゼントを送ったり、クリスマス企画をしたり。子供には少しでも嬉しい体験をさせてあげたかったし、(私の毒親とはかけ離れた普通の)親御さんもそうしてやれなかったら辛いだろうと思った。

私の元には被災者さんからの本当に幼い子供の笑顔や、震災時の状況の話、子供が家族を探しに瓦礫の山に向かっていった話、津波の話、今立たされている苦境の話……など色んな手紙が寄せられた。

そして「ありがとう」という言葉も沢山寄せられた。

私は「自分が死んだ方が皆喜ぶんだ」そう信じて疑わなかった。だが、被災者の皆さんに救われたのは、紛れも無く私だった。自己嫌悪、自己否定ばかりだった私に自己肯定感が少しずつ芽生え始めたのだ。光と水を貰ったことによる小さな芽だった。

まだ実家にいたので、毒母には「ボランティアなんか意味ない」「うちは貧しいんだからやめろ」と悪態を吐かれたが、その時の父の年収は2000万円以上で、車も2年に1回買い替える家庭だった。私は何も与えられなかったが弟達は買いたい物を何でも与えられ、裕福に暮らしている。金がない……とは……??てか私の稼いだ金じゃん、私が何をしようが自由だ、と思い、無視した。ツバどころか痰を吐いてやろうかと思った。カァァーッ!!プッ!!!!

ボランティアプラットフォームのマッチングサービス終了と共に支援は終わることとなったが、私に残ったのは、人の役に立てた喜びや自己肯定感や私を必要としてくれた人々の気持ちだった。この頃には-20くらいまで鬱状態が回復していた。

お世話になった皆様には感謝しかない。

みんな元気かな。あの頃支援した子はもう高校生か、社会人か……。

どうか幸せであってほしい。

今できること? 東北の美味しい果物や野菜、大好物の生牡蠣をしこたま食べてます。東北だいすき!!🦪( '-' 🦪 )

あと一昨年くらいから今年4月にかけてフィリピンの子を支援していたんだけどこれはまた別の機会に……!

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