ナイフ

悩むと見せかけて自己否定をする恐ろしさ

現場の実態をお知らせする記事になっております。当事者が見て独りじゃないと思ってくれたり、自分の状態を言葉にする一助となることを願います。

僕には容赦ない自己否定をしていた過去があります。もちろん自分では悩んでいるつもりでした。でもそれは「自己否定」「自責」「自虐」であり、自分の心を傷つけていただけなのでした。まるで心をリストカットしているみたいに。

以下、自分のどん底を文字にした内省的文章です。

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自分の場合、悩むという行為によく自己否定が入ってくる。よく考えれば恐ろしい行為だ。

他の人にとって悩んでいる状態とはどんな感覚だろう。人生の課題に対して解決できない状態が何日も続く。もやもやした精神状態。そんな感じだろうか。一言で言えば「逃げ」だけど。

自分の場合逃げに加えて逃げる自分を容赦なく責める。やはり夜寝る前という時間が溜まった感情を増殖させる。寝れなくなる。頭が得体の知れない何かに締め付けられて自分が分裂しそうになる。頭を壁につけると幾分か楽になる。神経が死にそうになりながらもなんとか言葉にしようとする。自分は今どんな状態で、何を気にしてこうなってしまったのか。でも本当のことは書けない。手が止まる。抑圧されているから。呼吸が弱くなる。喉が閉まる。声が出ない。自分を表現してはいけない。ネットでその時時の感情をそのまま検索する。すると引っかかるものはある。いつでも助けようとしてくれている。たまに心にヒットするものを見つけることができて、ちょっとずつ戻っていく。ほんとにちょっとずつ。で、やっと自分のデフォルトの状態に戻る。ハマってしまうと結構つらい。でもハマる回数は減ってきている。なくなることはなさそうだけど。でも少しずつ生き方を身に着けているのだろう。

先週しんどかったのでよく覚えている。というか、苦しみながら絶対に言葉にせんとあかんと思っていた。まじでつらいから。頭がつらいのと身体が痛いのは全然違う。頭がやばかった。胸はそうでもなかった。

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戻ってきました。

つらかったのでもうこの症状は続けたくないです。これが始まったの、たぶん大学生になってからだと思うのですが、自分よくこんなんできてきたなと思います。少しだけど変われてそう思える今は良いものですね。

自尊心、自責、依存、認知の歪み。もしそちら側に目を向けず「あなたは何をどうしたいのか」と問われたら、価値観を広げる仕事をしたいです。

この言い方が自分の本質を捉えているかは分かりませんが。

ただ、自分のために、しかも自分を貶めるためにしか使えなかった頭を、誰かの幸せの一つのために使えたら良いですね。僕が見つけたパズルのピースが誰かにくっついたら。

追々そちらも書いていこうと思います。

以上です。ありがとうございました。

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