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躁と鬱を反復横跳びする日々

何か書きたい気持ちはあるのに、アイディアが浮かばない。書き始めれば何か書けるかも、と思って書き始めても、筆が進まない。私は普段スマホで文章を書いているので、厳密に言うと指が動かない。頭の動きも鈍くなっている気がする。

アイディアが思い浮かぶのは躁のときが多いので、おそらく今は普通と鬱の狭間なのだと思う。しかし、何か書きたいという創作意欲だけは強いので、もしかしたら躁と鬱の混合状態なのかもしれない。

今まで書いたnoteや日記などを振り返ると、『こりゃいいや』と思う文章はたいてい躁のときに書いている。私は、躁状態の自分が持つひらめきを信頼しているので、”今は躁だ”と自覚している間にアイディアをメモするようにしている。

ただ、そのアイディアも落ち着いて見るとそうでもなかったり、全く意味が分からなかったりするので、精度は高くないのかもしれない。今年は年始から躁の日が多かったので、メモ帳を見返してみると、2月だけピンポイントでカオスだった。その一部を紹介したい。

2/24
ライフの「お客様の声」に、レジ係の男性の接客が大変良かった旨を投稿してから、その男性がイキイキしだしたように見える


これは『こりゃいいや』と思った方のアイディアである。アイディアというかなんというか、ただの思いつきでも記録に残してあると、そのときの自分の精神状態がなんとなく分かるのでありがたい。

このメモから察するに、2/24近辺は躁状態だったのだと分かる。(私が積極的に意見を発信するのは稀なので)3/5のメモを最後に記録が途絶えているので、3月上旬で躁は終わったらしい。

いつから躁が始まったのかメモ帳を遡ってみると、「おそらくこの日だ」というメモを見つけた。

2/15
午前中のベローチェにはジジイしかいない。大半のジジイがドリンクと一緒に紙コップの水を携えている。右のジジイはコーヒーゼリーと水、左のジジイはサンドイッチと水、斜向かいのジジイはドリンクと水×2。それ以上飲むな


2/15以前のメモは「朝読書してみた」や「バレンタイン中止」など、意味の分かることを書いているので、おそらく普通と鬱の狭間だったと思われる。しかし、2/15から突然メモが詳細かつ批判的になっており、なんとも言えない意味不明さが滲み出ているので、この近辺で何かしら心が揺らぐ出来事があったのだと思う。

手掛かりを探るべくGoogleカレンダーを開いてみたが、これと言って気になるイベントや予定はなかった。10年前から書き続けている日記帳の方も目を通したが、こちらは2月だけすっぽり抜けていた。日記帳は鬱のときに書きがちなので、日記を書いていないということはやはり躁だったのだと思う。noteには姉がちいかわにハマっていることについての記事が残されているだけで、とくに問題は発生していないように見えた。

そこで、Googleフォトの2月の写真を見返してみることにした。すると出てきたのは、テーブルの上をあらゆるフィルターで撮影した意味不明な写真だった。それも8枚。

おそらく普通に撮った写真
少し明るくなっている
謎のフィルターを使っている
なぜ?


同じような写真があと5枚ある。
あぁ、分からない。自分が気色悪い。
そこで、この時期に書いていた生活記録表(睡眠時間や天気、気分の上下などが書いてある)を確認したところ、ある記録を発見した。

2/8
ついに初めての取材案件。撮影のため東京駅へ。歩きすぎて疲れた。入稿マニュアルをよく読んでおかないと。

2/10
なんとか入稿できた。でもまた新しい仕事来て一気に緊張。とりあえず今日は休憩。


そうか、初めての取材で緊張していた時期か。自分で撮影したことがなかったから、練習のために何枚も撮っていたのか。ここまでメモをひっくり返してようやく真相が分かった。

私は緊張すると一気に躁転し、終わると鬱転する傾向がある。2月は取材が多かったので、そのせいで躁転し、仕事に慣れた3月に気が抜けて鬱転したのだと思う。

このように、私の生活はメモで構成されており、メモがないと自分の精神状態をなかなか思い出せない。写真だけではなんのこっちゃ分からないので、文字で残されていると大変助かる。メモがあれば、次はいつごろ躁になりそうか・鬱になりそうかを予想でき、生活が崩壊するのを未然に防ぐことができる。

最新のメモにはこう書いてある。

5/28
午前仕事して昼にチヂミを食べ夕方ホットケーキを食べた。珈琲屋のホットケーキはあまり甘くないしフカフカでもないのにボリュームがあるのでちょっとキツい。でも18時半には五右衛門にいた。


1日の食事の大半を小麦が占めている。暴飲暴食に気付かず珈琲屋をディスっており、明らかに躁である。となると、現在の私は躁状態で創作意欲満々なのも納得がいく。

次の鬱転に備えて、日中しっかり太陽を浴びて規則正しい生活を送らねばならない。躁と鬱を反復横跳びする日々だが、ラインを越えずにいられるのはやはりメモのおかげである。


未来の自分がこの文章を見返したとき、6月上旬の精神状態をどう判断するのだろうか。今の私は躁だと思っていても、後で俯瞰すると鬱のように見える、なんてことはよくある。しかし、メモの精度が低かろうが判断が間違っていようが、私は書き続けるしかない。

一応、私は”今は躁だ”と現時点では自覚できているので、思い付いたアイディアを残しておこうと思う。

6/4
チラシが多すぎるので、ポストに「チラシを入れるな」という旨のシールを貼らないといけない。しかしピザのチラシは欲しいので、その旨はお伝えしないといけない。


私は躁の時期に衝動買いしたテプラを持っている。やはり私は、躁状態の自分が持つひらめきを信頼している。

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