その1:使えるものは何でも使え
私がここまで成り上がることができた大きな理由は、「使えるものは何でも使え」と思っていたからである。
私は司法試験撤退後、最初に就職した企業がブラック企業で、また在職中に発達障害があることが発覚したため、退職勧奨を受け入れる形で退職をした。
その後、障害者手帳を取得し障害者雇用での就職を選択肢に入れた。
この時、私の両親は「障害者雇用」を選択肢に入れなくてもいいのではないかと言った。
しかし司法試験合格を30歳であきらめて就職した企業を2年弱でやめた人間を採用するまともな会社はどこにもないと思った。
あるとしても、それまで在籍していたブラック企業よりももっとひどいブラック企業ー労基法を遵守すると倒産するような企業ーだろうと推測した。
ただあくまで経済的には自立し、給与も所得も増やしていこうと思っていたし、給与で海外旅行もしたいと思っていた。
すなわち、私は障害者手帳を使って、就職先の選択肢を増やしたのだ。
障害者雇用というのは、障害者雇用促進法に規定されている制度で、法令上、事業所は従業員比率で一定程度、障害のある人を従業員として雇用しなければならないというものである。
そしてこの比率は一貫してあがっており、2006年ごろから、多くの企業にとってこの「比率」を遵守するのが難しくなっているのが現状だった。
その結果、かつては働くことができないような人も、企業がサポートをして働けるようになったというのが現状である。
つまり障害者雇用では、「かつては働くのが難しい」人がはたらいている。私の様に「普通にフルタイム働ける(上に残業もOK)」人は障害者雇用でも重宝されると踏んだのだ。
そのうえ「何とか働くことができる」状態ではなく、「出世意欲もある」ことを面接でアピールすれば、引く手あまたなのではないか。
そう考え、障害者雇用でも人生が挽回できると考えたのだ。
また発達障害がある人が支給される手帳は、「精神障害者保健福祉手帳」である。すなわちうつ病や統合失調症を患う方と同じ手帳が支給される。
私は当時、二次障害であるうつ病等を発症していなかったが、離職していたため、採用担当者が二次障害を疑うことも考えられた。
そこで私は自立支援医療を申請し、就労移行支援事業所に通所して、就職できないリスクを低減した。
そして当初就職したブラックな中小企業を退職して7か月後に、東証一部上場企業に障害者雇用で就職が決まった。日本の法律、福祉のサポートをフルに使って。
雇用形態は契約社員だったが、中小企業からもらっていた給与よりも多い給与を内定時に提示された。
また就職活動中は失業給付を貰っていたのだが、残日数が多かったため再就職手当も受給することができた(障害がある人は失業給付の支給日数が300日と長い)。
障害者雇用は一般的に、そうでない方の雇用よりも給与が低いといわれるが、使えるものをすべて使った結果、ホワイト企業に就職し、給与を上げることができた。
もちろん、自分を評価してくれた良い転職エージェントに出会たことなどの幸運もあったが。
ただこの結果のいくらかは、私が徹底したリサーチのうえ「使えるものをすべて使った」からだとおもっている。
余談だが、上記就職活動時に、たまたまAmazonプライムで「ワーキングガール」という1980年代の映画を見た。
学歴の関係で証券会社でトレーダーの秘書をしていた女性が、トレーダーになるまでのサクセスストーリーの映画である。
当時、面接会場まで行く電車内で、ワーキングガールの主題歌、”Let The River Run(邦題:ステップ・バイ・ステップ)”を聞きながら自分を鼓舞していた。
聞くと元気が出る歌ですので皆さんにも共有します。