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ポストコロナ時代における中国の特殊性

コロナ禍発生から約1年半が経ち、中国に住む外国人の中にも長期化を見越したうえで隔離期間を覚悟で一時帰省する人が出てきた。相方の友人の一人も、今年7月に6週間の休暇を使いスイスに帰省したひとりである。

家族や友人に再会した喜びは勿論のこと、今ヨーロッパがどんな状態なのか、実際に経験できたことによる収穫が大きかった話してくれた。メディアからの情報を通して形成していたイメージと現実にかなり差があった、というのだ。

彼女は私達と同じく、コロナ発生から今年夏までずっと中国にいた。「ここにいると、ヨーロッパってみんな権利ばかり主張して、全然コロナに気を付けてない、っていうイメージがあるじゃない?」。相方と私は、うんうん、と頷く。別に中国のメディアばかりから情報収集しているわけではないが、自由や権利を主張する人たちが好き勝手にしているイメージ(失礼)が少なからず浮かんでいた。

彼女は続けた。
私もそうだったの。でもね、少なくとも私が帰省した2021年7月時点で、私は街の人みんなが細心の注意を払っていることに驚かされたの。注意の度合いも、中国における注意レベルよりも上だと感じたわ。メディアが報じている少数派の過激な動きはあるけれど、大多数の人は非常に積極的に安全対策をしていたわ。

何よりも、現地で初めて実感がわいたのは、私たちが去年中国において体験した「コロナ」はもう既にある程度過去のもので、一部の地域を除いて大多数の人の生活は以前の状態にほぼ戻ったけれど、世界の他の地域ではもうずっと1年以上「コロナ」が変えた世界の中に生活し続けている、ということ。そして、もうその世界が当たり前になろうとしているということ。

例えばね、友人と会ってもよっぽど親しい仲である以外は、キスもハグもないのよ。ビジネスで人に会っても、握手もしないの。私はその感覚がわからないから以前のようについ頬を差し出すんだけど、向こうは微動だにしなくて、「あぁそうだ、やらないんだったわ」とはっとするの。

トラムに乗ったら、スペースがあれば皆自然に距離を取るのよ、中国ではあまり見られないことよね。健康コードはルールであるからチェックするけど、本当に感染拡大を防ぐために効果のあるアクションを個人が主導的に取っている、という状態ではないように思うの。


彼女の話を聞いて、ハッとされられた。日本語のメディアでホームオフィスとか本社ビル閉鎖などのトピックなどをよく目にするようになっても、またコンサル会社が担ぎだした新しい変革テーマ()だろう、くらいに捉えていた。自分の周りの環境だけに目を向け、ポストコロナの世界的な潮流を本当に理解しようとしていなかった。

そして、移動の制限が続くであろう今後のポストコロナの時代では、より想像力や高レベルのコミュニケーションが求められるようになるのではないか、と思えてきた。以前であれば「行ってみて自分の目でみたらわかる」ことを、「行かなくても理解できる」ようにしなければならない。伝える側は、言語化やデータ整理をレベルアップしていく方向性だろうか。聞く側も、自分が受けているであろう今いる環境によるバイアスを自覚しながら、意識的に想像力を働かせて主体的に理解しようとする姿勢を持つ、ような事が必要になる気がしている。

思えば、20歳を過ぎてから1年以上居住する国から出国しないというのは初めてのことである。次に日本に帰国するのはいつになるかわからないが、浦島太郎状態になることは覚悟しておかなければならない。中国以外にいる人にとっては、この感覚は伝わりにくいかもしれないが、自戒をこめて文章に起こしておくことにした。

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