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時代遅れのダサい勉強法が自分に合っていることもあるよね、という話

今回は語学&学習系の気づきについて書こうと思う。

ドイツ語を開始して約半年になるが、全然前に進んでいる実感がなく、少し凹んでいた。週に10時間ほど投入しているので、時間的には少なくない。所謂”3ヶ月でペラペラ”なんて最初から期待しちゃいないが、半年たてば超ブロークンでも会話のキャッチボールが始められるかと思っていた。しかし、相方から投げられたボールはいっこうに打ち返せないままだ。

少しアプローチを変えるべきか検討するために、他の言語の学習経験を振り返ることにした。英語は、日本人基本仕様読解メイン受験勉強+Sex And The City5回観る+外人とのランダムSkypeチャット+バックパック旅行数か月という各種合わせ技で大学卒業までに、日本人の中では一応英語OKな人レベルに到達した。フランス語は、週二回3時間きりの授業+鬼先生の課題の毎回チャプター丸暗記要求の準備をこなしていると、半年くらいでなんとなく超ブロークン会話ができるようになった。(当時)中国語は、読解の課題文全文ノート書き写し&全訳+クラスメイトや中国人友達の怒涛のような中国語Wechatの対応を毎日8時間以上やると、3か月目には会話が成立し始めていた。

こうしてみると全ての言語学習において、チャプター文丸暗記や全訳、書き写しなど非常に地味でどんくさい過程を辿っていた。今のゲーテインスティテュートのクラスでは80%くらいはスピーキングメインで、先生が文法の説明を軽くした後であとは喋って覚えてね!という感じでグループやパートナーでひたすら喋らされる。日本は文法や読解偏重だから喋れるようにならないんだ!という批判と対局にある、ノートなんてとらなくていいの、自然に話す環境のなかで学ぶのよ、という欧州的アプローチ…なのだろうか。(教育方面かなり知識がなくてわからないので適当な推測)

ゲーテが推奨してるアプローチだし、ドイツ人の先生だし、相方が授業を聞いたあとも自然に学べるいいクラスだって言ってたし、信じていこうとやってきた。しかし、自分で安くない費用を払い、仕事帰りの貴重な時間を投入しているのだから、少なくとも自分が良いと信じられる方法で気持ちよく学習していこうと思いなおした。

そして過去の経験をもとに、ドンくさくガリガリ反復して書いて覚える+チャットでアウトプットする、という方法を実施してみることにした。ガリガリ用に購入したのが、下記。中国にいるので電子書籍しか購入できないのは少し痛いところだが…(中国みたいに音声はダウンロードできるようにならんもんかな)このドリルには小学生の夏休みを思い出される、圧倒的な繰り返し+書かせるが盛りだくさんで、毎回学習するたびにノスタルジックな感傷に浸る事さえできる。

そして、アウトプットは相方にお願いし今後のWechat連絡は基本的にドイツ語で行ってもらうようにした。今日ごはんどうする?とか何時に待ち合わせ?とかの日常会話が多いので丁度練習にもってこいだ。

この合わせ技で2週間ほど運用してみたところ、早くも効果が感じられるようになった。なんとなく、ドイツ語で会話できてる!?感が出てきたのである。冷静に考えてこの2週間で大幅にドイツ語レベルが上がったわけはない。今までバラバラだったインプット知識が、収まるべき処に収まった結果、ある程度認識できる程度のかたまりでアウトプットできるようになった、というだけのことなのかもしれない。それでも、モチベーションに対するポジティブな効果は計り知れない。

今までどこかで、ガリガリアプローチを前時代的なものとして捉え、インターラクティヴ()な勉強法が良いと盲目的に信じていた。本当にそうなのかもしれない。でも、いまの自分にとってはガリガリが効果があるし、精神的にも心地よい。だから、これでいくことにする。大人になっての勉強は、子供のときほどの瞬発力や柔軟性は失われているかもしれないけれど、いろいろ選択できる特権がある。生徒は先生を選べない、なんて聞いたことがあるけれど、自分にとって良い先生やアプローチを選択しようとすることは、とても大切なことだと再認識した。

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